読まないほうがいい |
画像はイメージです 物語とまず関係ありません |
「赤ずきん。ちょっと二階から、おばあちゃん引きずり下ろしてきておくれ」
母親がこう言い付ける。
「二階」と呼びはしたが、実のところ屋根裏だ。日当たりも風通しも悪い。冬は冷える。そんなところに老いて身動きもできぬ肉親を押し込める意図からは、愛情などおよそうかがえるものではない。
実際、冷え切った環境である。
時と場は、中世小氷期のヨーロッパ。
役立てない者には息をする資格さえなかった。
赤ずきんのババアはひさしい前から、身が不自由だ。
ひとりで体も起こせない。つまり、もう働けない。まったくの穀潰しになり下がった。
世話が大変で、家の者は甲斐のない苦労を強いられる。
(福祉とか社会保障といった概念のない時代である)
だから、ゆるやかな餓死に追い込むほかない。
母親はその日の分の食事を枕元においていく。一食分の量しかなかったが。
「大事に喰うだぞ」
そう言い置きしても、飢えたババアはいつも、たちまち平らげてしまう。
そして、ひもじいよ、もっと欲しいよと哀れっぽく泣きわめくのだ。一日中。
迷惑きわまりない。
赤ずきんだって日に二食しか食べないのに。
赤ずきんはババアのことを、死んでほしいとまで思わないが、いなくなってくれたらと本気で願っていた。
しかしババアはしぶとく、いつまでも天に召されようとしない。
ある日ついに、意を決した母は赤ずきんを呼んだ。
「このままじゃ、やってけないからね」
森の奥までババアを連れていき、捨ててこいという。
赤ずきんには従うしかない。
でも、いやだった。
ババアを階下までひきずり降ろす真似なんかしたくない。
おばあちゃん、きたないんだもん。臭いし。
実際、見るのもいやなほど醜いのだ。
赤ずきんは汚物をあつかう態度で、ババアを襟首を引きずるようにして階段のところまで這わせると、あとは蹴り飛ばしてころげ落とした。
そんな暴挙を、母は叱りつける。
「殺しちゃっちゃダメだよ。家ん中で死なれたら厄介だし、噂が立つからね」
ババアはうんうん、うめいていた。
「大丈夫かな?」
「大丈夫でなくたってかまわないよ。いつだって、おばあちゃんはうめいてるんだし」
痛風にリウマチに胆石と骨粗相症を患っていた。診せる医者はないし、診せるための金もない。
さて。
母は、玄関に用意した手押し車にババアをヨイショして乗せると、そそくさと旅立ちの支度をする。まるで死刑の執行準備のようだ。
「さあ、手押し車におねんねだよ。ラクチンでしょ?」
「やだよ、やめとくれよ」
「ずり落ちないように、体を縄で結わえとくからね」
「ほどいとくれ。きついよ、いたいよ」
そして、一食分の食べ物が入ったバスケットを渡す。
「さあ、おばあちゃん。孫と一緒に、遠足だよ」
「いやだよ、いやだよ」
あとは、赤ずきんの役目になる。
「行ってきます」
「日暮れまでに帰ってくるんだよ」
ババアをくくり付けた手押し車を、ガラガラと押して運ぶ赤ずきん。
「いやだよ、いやだよ」
運命を悟ったババアは、縛られた身で泣きわめいている。
ちょっぴりかわいそうとは思う。
しかしこの時代の倫理観では絶対的な悪事といえず、良し悪しは各戸の事情によって決められた。
赤ずきんにはどうにもならない。
当の赤ずきんだって人権が認められないし、児童福祉法にも守ってもらえない。
森の中を分け入って進みながら、赤ずきんは思いをはせた。
おばあちゃんにも、あたしやママみたいに、子供時代や女の時代があったのかしら。
あったよね、きっと。それでおばあちゃんも子供の頃は、あたしみたいなことやらされた。
おばあちゃんに捨てられた親族の人も、きっと泣きわめいたに違いない。でもおばあちゃん、情に負けないで言い付けどおりにしたんだ。
そう思い至ると、すこしは気が楽になった。
道中。
ババアは、なんとかして赤ずきんの心を動かそうとはかない努力をする。
「赤ずきんや。なんで、こんな冷たくなっちゃったんだい。おじいさんが生きてた頃、あたしたち、おまえと仲良く遊んであげただろ」
ふん、だ。おじいちゃんと組んで、さんざん赤ずきんをオモチャにして弄んだくせに。ちゃんと覚えてるんだから。
今となっては恥ずかしくて、お母さんにも言えやしない。
ババアはなおも、ギャーギャーわめき続ける。
「赤ずきんや。おまえはあたしの孫じゃないか。あたしゃ、おまえが大人になって結婚するまで死ねないよ。おまえの花嫁姿を見たいんだ」
うるさい。
いっそ猿ぐつわをかませようか。
あ。
赤ずきんは足を止めた。
木こりの夫婦がいる。見られたらまずい。
いくら厄介者でも家族だ。露骨に捨てるのはご法度。知られたら、村中の噂になっちゃってお母さん困るし、あたしが叱られる。
赤ずきんは迂回した。
そうして、さらに森の中を進む。
ゴミと同じで、どこでも人目につかないところにほうり捨てればいいのだろうが、赤ずきんが運ぶのは血のつながった相手。
置いていくのは当座の雨風がしのげる場所にしたい。せめてもの情けだ。
でも、もうお昼過ぎ。
そろそろどこかに決めないと、日暮れまでに家に帰れない。
あまりにも森の奥へと踏み入りすぎた気がする。
変な人が出てきたらどうしよう。
身を守るものといえば、母から渡された特大サイズの安全ピンひとつ。針がおそろしく長くて太い、短剣の代用にできるシロモノだ。この地方の年頃の少女は護身用に持ち歩かされる。
(はい。中世に安全ピンはなかったとか野暮は言わない)
そうするうち。
一軒の廃屋を見つけた。
いかにも荒れ果てた感じだが石造りで頑丈そうだ。
パバアは廃屋を見るや、打たれたように暴れだす。
「いやだよ! ここは! 勘弁しとくれよ!」
赤ずきんは怪訝に思う。
おばあちゃん、来たことあるんだ。なぜ、この場所に人が住めそうな家があるってこと、黙ってたのかしら。
赤ずきんはかまわずに、手押し車を廃屋の前で止めた。
ここにしよう。
赤ずきんはなるたけ朗らかさをつくろう。
「おばあちゃん。ほら、新しい住処(すみか)だよ。今日ここまで来たのはね、おばあちゃんをお引越しさせるためなの」
「あたしゃどこにも行きたくないよ。おまえと家まで帰るんだ」
「おばあちゃんの家は、ここなのよ。赤ずきん、ときどき遊びに来てあげる」
もちろん、嘘だ。もう来るつもりはないし、来たことも忘れたかった。
それはそうと。家の中って、どうなってるの?
赤ずきんは廃屋の戸についた鉄の取っ手をつかんで引いたが、ずいぶん前から開け閉めされないのか戸が固くなってて開けにくい。
「ああっ! 開けちゃダメだよ、赤ずきん!」
ババアの発する甲高い悲鳴が、孫娘をビクつかせた。
そんな反応されると、余計に開けたくなるものだ。
取っ手を思いきり引っ張って、ようやくこじ開けた。
少女らしい好奇の念を抱きつつ、真っ暗な屋内に目を凝らしてみる。
もしかして、お宝ものがあるかしら。お人形とかオモチャとか……。
げーーーっ!
驚愕。
建物の中には……死体が……人間の死体が……骨となって朽ち果てたような人間の死体が、数えきれないほど多数、折り重なるようにして凄絶な末期の様相の名残りを各個にさらしている。
いっぺんに死んだのと違う。誰もが別々の時期にひとりぼっちで閉じ込められ、食べ物もなく、絶望のうちに弱りきって死を迎えたとおぼしい。
すさまじい惨状。すさまじい臭気。
やだ! なに、これ? きったない!
人間の死って、もっと厳かなものかと思ったけど。
赤ずきんは蒼白な顔で、ババアを見やった。
ババアはといえば、赤ずきんよりさらに青ざめた顔でいる。手押し車の位置から家の中は見えないはずなのに。
すべて理解した。
ここにあるのは、赤ずきんの家で代々捨てられてきたお年寄りたちの亡骸。
おばあちゃん、子供の頃ここに来たことあるんだ。そのとき、おばあちゃんのまたおばあちゃんかまたおじいちゃんを捨てたんだね、今の赤ずきんのように。だから、あんなにわめいてたのか。今度は、自分が捨てられる身になったもんだから。
もはや赤ずきんには、罪の意識はまるでなくなった。
あとは、やるべきことをやるだけ。
赤ずきんは手押し車を建物の入口まで運ぶと、ババアを縛り付けた縄を手早くほどく。そして力まかせに、むずかるババアを廃屋の中へと引きずり込んだ。
「はいやーーっ!」
ババアは足の踏み場もなく重なったご先祖たちの遺骸の間に、転がされた格好であがきまくる。
赤ずきんは素っ気ない態度で、最後の食事の入ったバスケットを置く。
「おばあちゃん。ご飯おいてく。でもこれしかないから。大事に食べるんだよ」
老婆は狼狽した。先祖たちの骨に囲まれ、起き上がることもできぬまま。
「いやだよ。こんな山奥にひとりぼっちなんて」
「かえって安心だよ。泥棒も追いはぎもいないもの」
「狼が、狼が襲ってくるよ」
「大丈夫。狼さんはロリコンなの。お年寄りには手を出さないから」
ババアはなおも、泣き落としを試みる。
「ああ、ああ……お願いだから、もっとやさしくしておくれ。いずれ、おまえのことは童話(メルヘン)になって語られるんだよ。おまえが主役のお話に世界中の子供が聞き惚れる。だから……だから、もっといい子に……」
「赤ずきんが童話(メルヘン)の主役? そんなに良い子で有名になるなら、今ここでどんな酷いことやっても誰にもわからないよね?」
ここにおよんでババアは、孫娘のけっして変えようのない恐るべき本性を理解した。
「人でなし!」
「それがメルヘンよ」
赤ずきんはババアの前で、見栄を切るようにしてみせた。
そして背をむけ、出ていこうとする。
「赤ずきん!」
ババアはあきらめなかった。這いつくばった身をトカゲのようにくねらせ、赤ずきんにしがみついてきた。
ぎゃっ、きたな!
総身に戦慄が走る。
醜い老婆の生きんとする執念、孫娘を巻き込んではばからない生存本能の発露は赤ずきんを凍りつかせ、対抗措置をとらせるに十分だった。
メルヘン・パワー!
赤ずきんは渾身の力でバパアを蹴り飛ばした。
「げええっ!」
ババアが蹴り倒されたところで、バキボキと乾いた、いやな音が響いた。
ババアの下敷きになった骸骨が折れたのかババアの骨が折れたのか。
まあ、いいや。赤ずきんはあとも見ずに走り出ると、すばやく戸を閉める。
だが。ババアも必死だった。
貪欲なまでの激しさで追い迫り、戸にもたれかかるようにして押し開けようとする。
赤ずきんも懸命になって、開けさせまいと全身で戸を押さえつけるけど力がおよばない。
なんなのよ。体が不自由なのに、ものすごい馬鹿力!
このままじゃ開けられちゃう。出られないよう、戸に錠前かけないと。
錠前? そんなものないし……どうしたらいい? そうだ!
赤ずきんはとっさに、ポケットから護身用の特大安全ピンをつかみ出し、ぶっとくて長い針を戸についた鉄の取っ手の隙間に通して錠前のようにすると、これもすばやい仕草で足元から拾いあげた石を使い、気合をこめて釘のように打ち込んでドア付近の壁面に接合させてしまった。
これで戸は閂をかけられたかたちとなり、もはや押しても引いても開けられない。
中からは、戸を割れんばかりにどんどん叩く音。もう、死に物狂いだ。
「出して! 出しておくれよ! お願いだから! 赤ずきん!」
赤ずきんは息を切らしながら、無言で拒絶の意を伝えるしかできない。
ババアはしばらくの間、うめくような嘆くような悲痛な声音を発し続けたが、とうとう絶望と恐怖から錯乱したのだろうか、いきなりけたたましく笑いだし、赤ずきんをゾゾッとさせた。
「さよなら、おばあちゃん」
ほんとうはこんな別れ方したくなかった。
もっと穏やかなありようで最後の挨拶を言いたかったのに。でもおばあちゃん、あんまり聞き分けないから。
「赤ずきん、おばあちゃんを忘れない。おばあちゃん、独りじゃないから。そのうち、赤ずきんの子がお母さんを連れてここに来るし、赤ずきんもいつかまた、ここに連れられて……みんな、みんな一緒だよ」
赤ずきんは家路めざして、空の台車をころがしていった。
ここで終わったら、何の教訓も残さない、嫌味なだけの話となるに違いない。
しかしまだ、続きがあるのだ。
もっと恐ろしい続きが。