「悪童島6」


                        



 小椋大納言からの使者が書状を持ってきたのは、モモたちが公園でいつも通りに夜食を煮炊きしているときだった。

「あ〜あ、またキビ料理」
「船を借りれればご馳走たらふく、って言ったのに」
「あれだけの大奮闘、まったくの徒労だってんだから」
 ケダモノたちのぼやくこと。
 無理もあるまい。
 せっかく懇意になりながら居場所も伝えず、鬼姫の前から辞去してしまったのだ。
 モモはしまったと思ったところだった。
 まことにあってはならない手抜かり、最後の詰めを怠ったと言うしかない。
 そのツケが今夜の食事に回ってきた。

「さあ、出来たぞ。しっかり食え」
 犬も猿もキジも嬉しがらない。
「戦勝の宴がキビ雑炊だなんてなあ」
「モモ隊長、ご褒美も受け取らずきちゃうんだから」
「そうだよ。あんな綺麗なお姫様となんの未練もなしに別れちゃうだもん。もっと積極的にアプローチしてればさ、ご馳走の並んだ宴に招かれて、立派な宿だって世話してくれたかも」
「この桃太郎、金ほしさに戦ったのではない。善意からの行為に見返りを求めれば、卑しく思われよう」
 いや。モモも相手があの綺麗な姫君でさえなければ、臆面もなく窮状を訴えて援助を得ていたかもしれない。
 しかし、こんな具合に窮迫し、公園で寝起きする身だなどと彼女にだけは知られたくなかったのだ。

「おまえらだって、あの御方からこんな卑しい身分と思われたくないだろ?」
「卑しい身分って、なに?」
「俺ら、フツーに犬だよ、猿だよ、キジだよ。卑屈になってるの、桃太郎親分だけでしょ」
「なにせ、相手は王族ですからね、おうぞく。向こうから見れば、誰も彼もが卑しい身分でっしょ。こっちの素行なんか気にしてないよ。なにより俺らあれだけ戦功挙げたんだから、ねだれば、いくらだってご褒美もらえたはずでっせ」
「船を借りると約してくれただけで畏れ多いのに、駄賃をねだるなどと、そんな乞食みたいな真似できるか」
「乞食みたいな真似……って。俺らの状況、すでに乞食じゃないすか」
「それを言うな」

 そこへ、使いの者が現われたのだ。
「桃太郎殿とやら。探しましたぞ。小椋大納言時盛さまよりのご意向を伝える書状、お届けに仕りました」
 さすが都で貴人に仕える者、使い走り役だけで平民たちとはなんたる格差、着るものも態度も口ぶりも、もうまるで違うとモモは思った。
 警護の者が二名付き従い、この連中も立派ななりで立派な武具を携えている。

「この桃太郎に? 小椋大納言さまのご意向?」
「さようでございます。委細は書面にしたためてありますゆえ」
 使い人はうやうやしい物腰で書状を渡すと、粛々として立ち去った。

 ケダモノたちは、鍋ではなくモモの手にする書状を囲むように、わいのわいのと群がった。
「小椋大納言って……部下を大勢率いて駆けつけた、あのカッコよかった人? いかにも文武両道に秀でてるって感じの」
「朝廷にも顔がきくって聞いたけど」
「そうそう、都の鳥たちも噂してる。とにかく羽振りが良くて、もうセレブの域だとか」
「そんな超大物からじきじきの手紙だなんて。どんな用件だろ」
「パーティーやるから来てほしいとかだったら、いいけど」
「兄い。いったい、どんなこと書いてあんの?」

 興奮してざわめくケダモノたちとは真逆で、モモはまったく嬉しそうな顔をしていなかった。
「それが……わからない」
 え? え? え?
「モモ兄い、まさか……字が読めないの?」
「すげえや。俺らと話ができるのに、人から来た手紙がわかんないって」
「それじゃ恋文のやり取りも、LINEも、交換日記も無理じゃん」

 そうなのだ。
 若干なさけないことに、モモには読み書きができなかった。
 おばあさんがモモを学校に通わせず過酷な児童労働を課したせいで、国語を学ぶ機会を失したのだ。

「じゃさ。その手紙の返事はどうすんの?」
「どうしよう」
 実際の話、手紙を読むこと自体できないのに、返事を出すなど論外であろう。
「だって偉い人からの書状だよ。お返事しなけりゃ失礼でしょ」
「さっきのお使いの人にそれ言ってさ、読み上げてもらえばよかったじゃん」
「字が読めないなんて言えるかよ」

 そりゃモモにだって、時の政府の大立者からの書状とあっては、自分の運命に大きな転換をもたらす重要な用件だとは察せられる。おそらくは、昼間の働きに対する感謝、賞賛、ねぎらい、公的なあるいは私的なお呼び出し、もしかしたら仕官へのお取立て……。
 しかし。
 小椋大納言の使者はこの有様を見てどう思っただろう? 口には出さぬが、そうとう見下したのではあるまいか。
 そのうえにモモが読み書きもできない無学な輩とわかったら、主(あるじ)の館に戻ってどんな伝え方をされるだろう?
 家来に取り立てる話も(たとえあったにせよ)、お流れとなるやもわからない。
 モモは忸怩たる思いにとらわれていた。

 ケダモノたちも理解した。
 自分らの処遇がまるで改善されないのは結局、この親分のくだらない見栄に根因があるのだ。
 彼らはモモに飛びかからんばかりに迫った。
「モモ兄い……」「好機二度も棒に振る……」「もう呆れたのなんのって」
 わいのわいのと、またもやいさかいが始まった。
 そのとき。
「あたしが読んであげる」

 呼びかける声がした。
 見れば、暗がりに若い娘がたたずんでいる。
 公園に屯する娼婦の一人だろうか。
 焚き火のそばに来てみると、そうではないとわかった。
 娼婦ならもっとあだっぽいし、服装はそれなり華美だろう。
 化粧も濃くない。すれた感じはするが童顔だ。年の頃はモモとおなじくらいかもしれない。

「字が読めないんだって? 都じゃめずらしいね」
「いかにも。この桃太郎はカントリーボーイです」
「あんたね」
 娘はうんざりしたように吐息をついた。
「こんな時代なんだからさ、横文字あまり使わないほうがいいよ」

 娘は面白がる感じで、モモの浮浪者にしては特異な装束をじろじろ眺めまわし、犬猿キジが並んだ場面にめずらしそうに見入っている。
「あんたのペット? よく仕込んであるじゃん」
「餌で釣らないとすぐ離れていきます」
「女の扱いもそうしてる?」
 娘がふふっ、とせせら笑った気がする。
 モモは何か、別世界から来た存在を前にする思いにとらわれた。
 あの鬼姫様とはまた違った意味で、モモには異郷の住人だった。

 臆する風もなく寄ってきた彼女は、書状をモモの手から抜き取るようにして手にすると、気のない調子で開いてのけ、文面をさらっと目で追ったのち、はじめに戻ってゆっくり黙読していく。
「へー」
 娘は書状に目を通しながら、嘆息しそうになるのを鼻にかけた物言いで誤魔化した。
「なんと書いてあるのでしょう、お嬢さん」
「えーと。小椋大納言時盛って人が、あんたの働きぶりに感服しててね。従者に取り立てたいって」
「従者に取り立てる? 小椋さまが、この桃太郎を?」
 ケダモノたちは俄然、色めきたった。
「すげえや。そんな大人物から取り立てられるなんて、兄い、出世街道まっしぐらじゃないすか」
「桃太郎親分。リクルートの好機でっせ。小椋大納言って、日ノ本政府の高官なんでしょ。精一杯お世辞言って取り入らないと」

 娘は人間だったので犬猿キジが騒ぎだしたのが不思議に思えたが、彼らとモモとの間に会話が成立しているようなのがさらに不思議でならなかった。

「でさ。委細を話し合うため、屋敷に来てほしいって」
「小椋さまがお屋敷に、われわれを招待?」
 そら、来た!!
 ケダモノたちは狂喜した。
 娘は、犬猿キジの興奮ぶりにたじろいだ。
「さあ……ペットは連れてけるかわかんないけど。あんたのことはお招きよ。なんでも急ぎ片付けなければならない特別の用件があるみたい。都を荒らす盗賊を懲らしめるんだとか」

 願ってもなかった。
 この桃太郎。超人的な武才をもって生まれた鬼退治のエキスパートだ。盗賊くらい、ものの数ではない。
「ただし……時刻を指定してる。今夜の戌の刻だって。その時刻に来なければ応じる意思なしとみなし、お役目は別の誰かにまかせるって……」
 戌の刻って……。
 半刻ほど前、戌の刻より一刻前の酉の刻を伝える鐘が鳴った。
 つまり……あと半刻しか猶予は残されていない。
 うわわわわ!
 モモは足がつったときのように慌てふためいて立ち上がり、ケダモノたちに号令を発した。
「犬! 猿! キジ! 刻限はわずかだ! 突っ走るぞ!」
「バワウ! キキキキッ! クケクケ〜!」
 なんたる機動力!
 モモとケダモノたちは怒涛のごとき勢いで、お軽の前から消え失せた。
 お軽が、これは一緒に行かねばと思い、あとを追おうとしたとき――。
 彼らは、またもや怒涛のように戻ってくると、娘の前に急停止した。
 そして。
 息を切らしながら、モモは娘に、恥ずかしそうに問いかけるのだ。
「お名前を、まだ」
「お軽(かる)だけど」
「お軽さん。実は、訊き忘れた大事なことがありました」
「あい」
「小椋さまの屋敷って、どこ?」




( 続く )




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