「悪童島7」


                  



「ほら、小椋さまのお屋敷はそこだから」
 モモの前を走りながらお軽は、前方のひときわ広壮な門構えの建物を指し示した。
 彼女は驚くほど足が速かった。モモたちよりよほど俊足、まさに名の通り、軽々とした身のこなしようだ。

 貴人の邸宅が居ならぶ、都でも特別な階層の居住区である。
 途中何度か、あきらかに場違いのゾーンに入り込んだモモたちをいぶかる様子の警吏らに呼び止められたが、そのたびにお軽は小椋大納言からの書状を見せて足止めをかわしてきた。
 小椋さまの威光、恐るべし。とモモは思った。

 それにしても、なんたる大豪邸。
 聞くところによれば、敷地の中に入ればまるで別天地、内部から外の景色は遮断され見えぬ設計なのだという。庭園に川は流れ、小舟が浮かび、竹林や花畑から桜並木、果ては人工の丘や滝までがつくられ家主の興趣に供しているらしい。
 モモが育ったような寒村ごとき、その庭にすっぽりと収まってしまうに違いない。

 実をいえばモモには、そんな異世界みたいな場に自分の身がおかれ、平静を保てるか気が気でなかったのだが。
 そんなモモの思いをよそに、一歩を争うこの緊急時、ケダモノたちの頭にあるのはご馳走のことだけだった。
 まただからこそ、これほど懸命に走り、かつ羽ばたいていられるのだろう。
 犬猿キジをしてかくも一心に動かすものは、小椋大納言のようなセレブのお呼びとあらば、さだめし山海の珍味を揃えて待ち受けるに違いない、そういう単純な発想だ。
 招かれたのは桃太郎なのだが、自分らは一体となってその働きを支える存在、身内も同然ののつもりでいる。
 それにしても、こんなモモたちのためにわざわざ道案内を申し出たお軽には頭が下がる。


 かくして。
 モモは小椋大納言邸の正門前まで来ると、息を切らしながら、お軽に謝意を述べた。
「お軽さん、ご足労でした。おかげで、刻限に間に合いました。お礼は後日、改めてさせていただきます。今はこれで……」
 ハリウッド映画の主人公ならばこの辺で、お軽を抱きしめ、感謝の口づけをするところであろう。
 だが、彼は桃太郎だった。そんな洒脱な振る舞いなど期待できようはずがない。
 と思いきや。
 なんと、お軽のほうから進み出てモモにしがみつくと、耳元で「よかったね」と囁き、名残り惜しそうにさらに強く抱きしめた。
 でも、そこまでだ。
 この時代、庶民の間では男女の西洋風の接吻の習慣はなかったとするのが一般的である。
 とはいえモモは異性からの、それも年頃の娘からなされる初めてのハグ体験にクラクラッときてしまった。
 モモからすれば天にも昇る思いでいたわけだが、ケダモノたちは醒めている。「なに、こいつら?」と思いながら二人の睦み合いを眺めるだけだった。
 言うまでもなく、彼らの交配のやり方はすべて後背位である。
 向き合って抱き合うのが人の男女の愛情表現だと言われてもピンとくるものではない。

 さて。
 モモは、どーーん! と門を叩いた。
 同時に、戌の刻を告げる鐘の音が都の夜空を鳴りわたる。
 刻限だ。ぎりぎり間に合った。
 だが。
 応答がない。
 モモはもう一度、門扉を拳で打ちつけた。
 やはり、反応は返ってこない。
 モモはもう懸命に、訪問の告知を繰り返す。
 何度門を強打しても、手応えなしなのだ。

 これだけのお屋敷、警備の者がいないはずがない。
 もしかして、セールスか宗教の勧誘、受信料の取立てかとあやぶまれ、居留守を使って出てこないのだろうか。
 いや、そんなはずもない。
 しかし、あるいは。
 モモは、自分の貴人の館への出入りにふさわしからぬ風体から、覗き窓を通して見た門番が物乞いだと判断、無視を決め込んだのかといぶかった。
 いや。もっと深読みして、公園でのモモの様子を知らされ素性を怪しんだ上の者が、来ても通さぬよう指示を下したのでは。

 こうなるとモモも引き下がれない。
 門を蹴ったり、ど突いたり。
 門の向こう側はあくまで応対を拒むかのように沈黙を続けるのだ。
 モモはかくなるうえは、門をこじ開けてでも屋敷の中に入り、のけ者にしたことで怒鳴り込んでやろうかとさえ思っていた。
「くそっ! くそっ!」
 ぼが〜〜ん! ずご〜〜ん! どが〜〜ん!
「よしなさい。壊れちゃうよ」
 お軽が止めに入った。
 実際、頑丈な造りの門扉には、モモの怪力によるしつこいほど繰り返される来訪の挨拶の前にヒビが入りかけていた。

 変だなと思っていると――。
 あれあれ。
 よく見ればこの門、内側ではなく、外側に向かってしか開かない造りではないか。
 モモがいくら打撃を与えてもひび割れるばかりで動かなかったはずだ。
 そうなのだ。
 はじめから門は開いていたのだ。
 ああ、よかった。シャットアウトされたなどとは早とちりだったのだ。
 小椋大納言の屋敷の者はモモが刻限どおりに来るのを察し、門の閂(かんぬき)を外してくれていたのだろう。

 モモは今度は、扉を思いっきり引っ張った。
 本来、人が二人がかりで押したり引いたりしないと動かないほど頑丈な造りである。
 果たして、門扉がこちら側に向かって重々しく開け放たれる。
 ゴギゴギゴギ……。
 ケダモノたちは狂喜した。
 わ〜〜い、ご馳走だ〜〜♪♪ 屋敷の中でご馳走が待っている〜〜♪♪
 と――。
 うわっ。
 扉に大変なものが張り付いてる。
 背中から槍で突き抜かれ、そのまま門扉に串刺しとなった門番の死体だ。

 きゃーーっ! うひゃ〜〜っっ!!
 お軽は悲鳴をあげ、犬猿キジはどよめいた。
「やだ。なに、この人?」「死体だよ、死体。したい〜」「なんで、こんな死に方しちゃったの?」
 騒然となったケダモノたちを背に、モモは衝撃と恐怖に動じながらも自制を保とうとする。
 モモが察するに、おそらくは。
 屋敷の中で急変があり、助けを呼びに出ようとしたが、一人では門が開けられず門扉をよじ登っているところを、背後から槍を投げつけられたとおぼしい死に様である。
 モモは門外から屋敷の中をうかがった。
 ここからでは暗くて、何もわからない。

 モモはまず、生まれて初めてハグした少女の身を気遣った。
「お軽さん。こんな次第なので危険ですから、早急にこの場から離れてください」
「あたしだけ? 一緒に逃げよう。ここ、ヤバイよ」
「わたしは中で何が起きたのか確かめねばなりません」
 桃太郎は門から奥へと踏み込んでいった。
 犬猿キジも恐る恐るながら、あとに続く。
 彼らにはまだ、ご馳走に未練があった。
「待って。やだ、ひとりにしないでよ」
 お軽もモモの背にしがみつくようにしてついてくる。

 モモの行動は無鉄砲であろう。
 実際、まともな神経の持ち主なら、ここですでに逃げ帰るかもしれない。
 だが。彼は桃太郎だった。
 門口で異常に出くわせば、入っていって奥のほうはどうなっているか自分の目で極めずにいられぬ性分なのである。

 モモは敷き詰めた砂利を踏みしめながら、慎重に進んだ。

 果たして、屋敷の内部は凄惨きわまりない様相だった。
 ケダモノたちは仰天してざわめき、お軽は何度も慄きの声を発した。
 敷地の中は死体だらけと言っていい。
 下男も、下女も、警護の者もみんな……。
 彼らの死に様は、逃げても抵抗しても容赦のなかった賊たちの非道ぶりを物語っている。
 しかもこれだけの殺戮、大人数でなければできない。

「偵察が必要だな」
 モモは心の揺れを隠そうとするように、有能な指揮官ぶりを発揮しはじめる。
「よし。まず、キジ。舞い上がって、この屋敷が今どうなってるか、空から俯瞰してこい。犬、猿。この桃太郎は中央を行くから、おまえらは左手と右手に分かれ、敷地の中をぐるりと調べるんだ」
 しかし。
「やだよ〜〜っっ」
 犬と猿とは臆しきって従おうとしない。
「賊の奴ら、まだ居残ってるかも。出くわしちゃったらどうすんの?」
「それにさ、モモ隊長。分散はしない、かたまって戦えって、昼間の出入りのとき言ったじゃん」
「昼と今では事情が違う。敵がどこにいるかわからないから分かれて探索する必要があるんだ」
 モモは、キジまで動かないのをいぶかった。
「キジ、おまえは空飛べるから、何かあってもすぐ逃げてこられるだろ。なぜ行かない?」
「ぼく、昼と今とで事情が違うの。夜だと鳥目で見えないの」
 ええい。役立たずどもめ。

 やむなく彼らは、かたまって地上行動する。
 このうえなく美しかったはずの庭園を慄然たる思いで通り抜けたモモたちは、豪壮な家屋の入り口に達したところで立ち止まった。
 長い渡り廊下が続いている。
 静かだ。
 人の気配がまるでない。
 誰も、誰もいないのか?
 モモは思いきって大声を発し、暗がりに向けて呼びかけた。
「誰か、誰かおらんかーーっ!」
 意外にも、返答はすぐに来た。
「誰もおらんぞ〜」

 え??
 きゃ〜〜っっ!!
 殺された者ばかり見せられたモモたちは、誰もいないと思われた空間に誰かいる、その一事をもって震えあがった。
「ほら……誰もいないってさ」「全滅だよ、全滅。ぜ〜んめつ」「いったん引こうよ、親分。朝になったら出直そう」
「待て、待て。誰もいないなんて、嘘かもしれないだろ」
 うろたえるケダモノたちを制しつつ、モモは、闇の彼方に目を凝らす。果たして、奥のほうでは何物かうごめいている。
 人だ。人が、こちらに向かい、やって来る。烏帽子をつけた公家らしきなりの男が、よろよろとした足取りで闇の中、異様な姿を浮かび上げながら。
 だんだんと、だんだんと近づいてきた。
「おらんぞ……もう誰も……おらん……みんな……みんな殺され……誰も……」
 心乱れているようだ。
 意識朦朧となって目は宙を泳ぎ、顔は血まみれ、装束もまた血だらけ、歩いたあとに血を滴らせ、致命打を負わされながらかろうじて身を支えるという風で。
 モモたちの前までくると事切れて、バタ! と倒れ伏した。
 目をそむけたお軽は、モモの身にしがみつく。

 ケダモノたちが寄ってたかって騒ぎたてた。
「この人なの、小椋大納言?」「そうじゃない。昼間見たのと違う顔」「じゃさ、大納言どこよ?」「盗賊を退治するとか言ってたけど……先手打たれて、盗賊から退治されちゃったんじゃない?」
 ほんとうに、小椋大納言はどうなってしまったのだろう?
 わからない。まるで、わからない。
 そもそもモモは、ミステリー本を売るため造型されたキャラとは違う。
 彼は童話の主人公。身上は、悪者を追い詰めることでなく、悪者を懲らしめることなのだ。

 お軽は、ここにはいたくないが、モモのそばから離れたくないといった風だ。
「ねえ……ここから先に……行く勇気ある?」
「お軽さん。戻る勇気がありますか?」




( 続く )




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