「汚物のジョー」
DIRTY HEART 警告 このコンテンツには、食欲をなくす表現が大いに含まれます
飯を食い終わったら、ジョーの話をしてやろう。
通称は、汚物のジョー。
もう忘れ去られちまった男だ。
奴はもう一発で世界選手権の栄冠をつかむところまでいった。
なんで、汚物のジョーなんて呼ばれるかって?
ジョーは、ピンチになるとゲロを吐きかけ、相手がひるんだ隙に反撃に出る、それが奴の流儀だからさ。
反則にならないのか?
そこはそれ、うまくやってる。殴られて吐いたよう見せてるから、ルール違反じゃないと言い張れるんだ。
† † †
リング上では今しも、対戦相手のドブソン選手から一発くらうのを待ち受けたように、吐き返しを見舞ったところだ。
ゴゲーーッ!
ドブソンの顔から上体にかけて大量のゲロまみれになった。
これじゃ、たまらねえ。
ドブソンもジョーの恐ろしさは知ってるわけで、とうぜんゲロを避ける訓練はしたはずだが、ジョーの打ち出すゲロの命中精度は神技だった。
狙った射的ははずさない。
「ぐえええ。なんじゃ、こりゃあ?」
ひるんだ瞬間をとらえ、ジョーのボミット・パンチがドブソンの顎を見舞う。
こいつは強烈だ。
ただゲロを吐くだけだったら、ここまでのし上がれるもんじゃない。
顔にこびりついたゲロの飛沫とともにドブソンのマウスピースが勢いよく口の外に吹っ飛んだ!
(スローモーション描写)
ドブソンはぶっ倒れた。
動こうとしない。
レフェリーがカウントを数えあげる。
「一、二、三、四、五……」
ここでドブソンに勝利すれば、王者決定戦への出場権を得る。
ちーーーーん!
やった! ドブソンを打ち負かした! 王者決定戦への出場が決まった!
思えば、長い道のりだった。
「俺は、大物になってやる。未来の王者(チャンピオン)だ」
無名時代のジョーが世界選手権に挑むなんて言えば、みんなが嘲笑ったものだ。
「ケッ、てめえが大物だと? 汚物だろ。汚物のジョーだ!」
実際、ジョーは街の鼻つまみだった。
働きもせずに、喧嘩ばかりしている。
その喧嘩もまるで弱く、ほとんど勝ったためしがない体たらく。
だが。
そんなジョーに目をかけた男がいる。
高知練兵。通称はコーチ。
若い時は凄腕のストリートファイターとしてならしたが、膝に銃弾を受けてしまってからは引退、いまは有望な若手を掘り出して鍛えあげることに生き甲斐を見出していた。
コーチは、ジョーがゲロを吐くときのパンチと変わらぬほど強烈な「嘔吐力」に驚愕する。
普通の人のゲロはドババッと噴出するだけだが、ジョーのゲロは破壊性をもっていた。嘔吐の直撃を浴びるとサンドバッグが破裂してしまうほど。
あいつのゲロには誰にも負けない爆裂力がある!
「ジョー、鍛えてやる」
コーチの特訓が始まった。
それこそ血反吐を吐くような厳しい特訓が。
嘔吐という反応は胃袋の非随意筋の伸縮によってひき起こされる。
コーチのやり方は胃袋をとりまく腹の筋肉を鍛えに鍛え、ジョーの嘔吐による打撃「嘔吐力」をさらに高めようというものだ。
つまり、ジョーの腹部に強烈なパンチをくらわせる。際限もなく、それを繰り返すのだ。
「ゲフッ! ゴヘーーッ!」
「ジョー。吐くなよ。これしきのパンチで吐いとったら、相手をへこますほどの強いゲロっ吐きにはなれねえぞ」
「グエッ! ゲーーッ! ブ、ブッ……ゴエッ、ゴエ……」
「おお、よしよし。吐きとどまったか。おまえも進歩した……それじゃ、こいつはどうだ?」
コーチのさらに強烈なパンチが見舞った。
ゴゲーーッ!
「俺が憎いか? この顔に向けて吐け! てめえのゲロは威力は凄いが的に当たらねえ。吐いた分がそっくり無駄になっちまう。対戦者の顔にぶっかけねえと意味ねえだろ。凄い嘔吐パワーなのに、そんなんじゃ無駄玉ってもんだ。悔しかったら、的に当ててみせろ。この顔に! 吐け! 吐くんだ、ジョー!」
ジョーはこうして鍛え上げられたのである。
ゲロを浴びせられ取り乱す対戦者たちの前に、ジョーは無敵だった。
だが。
ついに世界チャンピオンを決する場で、ジョーの前に立ちふさがったのは……。
ゴンゲーーッ!
べろっ! びちゃびちゃびちゃ! じゅるるる……
「ひえ〜〜っ!」
「ジョーに浴びせられたゲロを食ってる」
「バケモンやが……」
対戦相手は、スカーロット選手(通称キャプテン=スカーロット)。
彼は、ジョーを打ち負かすにはゲロに対する耐性をと悟り、無人島にこもって、運ばれてくる人間のゲロのみを食して生命をつなぐという究極の節食生活をきわめたのである。
ジョーがいくらゲロ攻撃を見舞っても、威勢が増すばかりでまるで効き目がない。
苦戦を強いられるジョーを元気付けるコーチと仲間。
「もっと吐け! 吐くんだ、ジョー!」
「ヤバイぞ……ジョーにはもう、吐き出すものが残ってない」
「そうだぜ。外人なら、納豆とくさやとニラレバとぬか味噌が苦手なはずだ。それ全部、持ってこ〜い!」
持ってきた。
「ジョー! これ食って、強烈なのを吐きかましてやれ」
「ガブ! ゲブ! グブ! ブッ、ブッ、ゴゲーーッ!」
「ぎへーーっ!」「だれが俺らに吐けと言った!」
「ジョー選手、疲労困憊です。すでに差し入れを呑みくだす余力も残っておりません」
最終ラウンドのゴングが鳴った。
「あっ。ジョー選手、リングのゲロに足を取られ、よろめきました!」
ジョーの身はくず折れた。
レフェリーがカウントを始めた。
「一、二、三……」
あんなゲロも吐いた……こんなゲロも吐いた……。
いま、血反吐と汚物にまみれ、生気を失いつつあるジョーの脳裏には、かつて身に訪れた、苦しく、きたなく、恥ずかしかった思い出ばかりが次々と去来する。
チキショウめ……どうせならもっと、麗しい想い出が去来しやがれ。
アマチュア選手権の日、あの娘が真心こめて作ってくれた差し入れの弁当も吐いてしまった。
卵焼きも、ベーコン巻きも、肉団子も、蒸し鶏も、ポテトサラダも、それから青菜の混ぜご飯も……すべてゲロに変えて対戦相手に浴びせてやった。
それで勝利し、栄光の道へと踏みだすきっかけを得たものの。女の子は逃げていき、初恋は実らなかった。
有名になってからは縁談の話も持ち上がりはした。
だが、すべて破談に終わる。
「ゲロばっかり吐いてる人に娘はあげられません」
そんなジョーにも、心を通わせあった女性が寄り添うようになる。
酔っ払って下水溝にはまり、溺れそうになったところをジョーに救われたのが縁だった。
誰もが汚水に浸かるのをいやがって見守るばかりの中、ジョーだけが敢然と飛び込んだのである。ドブ水を吐き出させ、口うつしに人工呼吸をしてやった。
やがて二人は許婚の間柄にまで進んだ。
しかし恋人がリングで吐き続けるのを見せられるのは、婚約者といえども耐え難いことだ。
ついに彼女はジョーに迫る。
「いますぐ決めて。わたしを取るか、リングで吐き続けるか」
「リングが……リングが、俺のゲロを呼んでる」
ジョーの目は虚空を見すえていた。
「さようなら」
「四、五、六……」
吐き尽くしたぜ。
「七、八……」
「汚物のジョーが……」「おぶつのジョーが……」
ちーーーーん!
「おだぶつしました」
† † †
ジョーは終わった。
だが。なぜジョーを蔑む?
誰の胃袋の内容も、吐いてしまえばあんなものなのに。
ジョーはただ、みんなの前でそれをぶちまけ続けただけだった。
まるで、腹の内は隠しておくものと決めつける世界に挑みかかるかのように。
画面が暗くなる。
そして――
ありし日のジョーが嘔吐する、雄叫びのような、絶叫のような凄まじい音が場内に轟きわたる。
ゴンゲーーーッッ!
チャンチャンチャチャチャ〜〜ン♪
(元気付けるテーマ音楽が鳴りわたり、エンディングクレジット)
|