新世紀大学文芸学部
オンライン文芸創作講座

1. オンライン小説を面白く読ませるには?

11. 国際状況での日本人の描き方は?

2. 名台詞を書くコツは?

12. 日本で小説なんか書いたって、仕方ない

3. 魅力的な主人公を造るには?

13. 恋愛場面をおもしろく描くには?

4. なにを書いたらいいか、わからないのです

14. 小説家に絶対的な才能は必要か?

5. 句読点の打ち方を教えてください

15. 外人キャラのそれらしい描き方

6. 文章は、長めがいいか? 短いのがいいか?

16. 世界で通用する小説を書くには?

7. 新人賞の傾向と対策について

17. 波乱に富んだ筋書きをつくるには?

8. プロの作家は手本になるのか?

18. 物語にもっとリアリティを出したいのですが

9. 説明的な描写は、どこまで?

19. 素敵なネーミング

10. 盗作はどこまで許されるのでしょう?

20. 印象的な題名を付けるには?



 

 オンライン小説を面白く読ませるには?


 つまらない文章を書かないことです(笑)。

 冗談で言っているのではありません。
 面白い出来事をつまらない文章で描くよりも、つまらないことを描きながら面白い文章で読ませられるほうが、作家として上手なのですから。

 小説を面白くするためのネタ集めの大切さがよくいわれますが、それで文章を手抜きしていいわけがありません。

 どんな美味しい素材でも上等でないパンにはさんだら、一品としての味は落ちてしまいますが、パンそのものが美味しければ、たいしたものをはさまなくても美味しく食べられるのです。


 名台詞を書くコツは?


 千行かかる会話の内容を一行で語らせる努力を。
 全キャラクターの口に緘口令を布き、内容のない言葉をだれにもしゃべらせない決意を。
 台詞とは、状況や筋書きを説明するものではなく、人物の性格を表現する最大の手段だという理解を。


 魅力的な主人公を造るには?


 最初に、悪役の設定を。
 これは人物ではなく、人々に災禍をもたらす「悪役的状況」でも結構です。
 それから、この「悪役」が志なかばで挫折するとすれば、いったいどういう場合だろうかと想像をめぐらせる。
 そしていよいよ、悪役にとってありがたくない要素を一身に具えた、まるで悪役を邪魔するために生まれてきたような主人公をでっちあげなさい。

 つまり、「あいつさえいなければ、悪役はすべての野望が遂げられたのに……残念!」という状況を現出させること。
 あなたに魅力ある人物を創造する能力がまるでないとしても、状況が主役を引き立ててくれます。


 なにを書いたらいいか、わからないのです


 あなたのやりたいことを書きなさい。
 それがなければ、なにも書かず、材などかまわず書かずにいられなくなるまで待つことです。
 本当にお腹の空いてない人になにを食べたらいいか説くのは、無意味です。


 句読点の打ち方を教えてください


 そんなのは、どうでもいいことです。
 素人は、文章の成型などより、まず文章に面白味を出す努力をしましょう。


 文章は、長めがいいか? 短いのがいいか?


 代表的な愚問です。

 パスタは、スパゲティがお好みでしょうか? マカロニのほうがいいですか?
 うどんやそばを、長いから食べづらいと感じたことがありますか?
 井上ひさしの文章を研究してみてください。読みづらいと思うでしょうか? 喉越しよくこなれているでしょう?

 あなたの文章が読みづらいと感じるとすれば、長文だからではなく、ヘタクソだからです。


 新人賞の傾向と対策について


 「新人賞の傾向と対策」に類する本を一切、読まないこと。新人らしさが損なわれるだけなので。


 プロ作家の作品はどこまでお手本にするべきでしょうか?


 今の文士たちの仕事ぶりをどこまで参考にすべきか?

 彼らがおしなべて、われわれより筆力と娯楽創作性に秀でていることはたしかですが、同時に、文芸不況をもたらした張本人でもあることを忘れてはなりません。
 彼らがもっとうまくやっていれば、出版界はずっと活況を呈していたかもしれないのですから。

 そうした意味で現役作家の本は、実戦的な参考書であると同時に、反面教書ともなり得るのです。

 まず読者として、正直な読書眼を。
 たとえ相手がプロの作家であっても、つまらないものにはつまらないと言ってやる明快さを。


 説明的な描写は、どこまで?


 風景とか建築とか、作者はとても詳しいが、読者にとってはどうでもいい物事にかかわる長めの描写は、読者がいちばん退屈を感じる部分ではないでしょうか?

 スタンダールの小説がいい参考になるかもしれません。
 あの人は、風景描写をくだくだ長引かせて読者をウンザリさせるのが重要とはすこしも考えなかったらしく、人物心理を分析することにひたすら力点を置いていました。
 それでも彼は、世紀の大文豪。
 いいえ、だからこそ大文豪なのです。

 つまり、本当に大事なのは、「キャラクターの心の動き」というものを、仕草とか台詞を手がかりに具体的に描いてみせることで、 事象の精細描写へのこだわりではないわけです。

 描写が苦手だという人は、風景なり調度なりの本質を擬人化し、キャラクターに働きかける存在として扱えば、意外とすんなりいけるかもしれません。
 逆に言えば、どんなものであれ、キャラクターに影響をおよぼした場合において初めて、描写される権利が生じるのではと思うのです。

 もしも、建物とか自然の状況説明に記述を割くことで読者を退屈させる効果しか得られぬのであれば、そうした余計な「ピラピラ部分」はハショってかまわないし、それで文筆力の不足を問われることはないはずですが。


 大胆な質問で行きます。盗作はどこまで許されるのでしょう?


 こちらも大胆な返答で応じましょう。
 盗作したくなるほど独創的な内容の小説なんて、日本では見たことがありません。まあ、あんパンが独創的だといえるのなら、日本の文学も十分に独創的なのでしょうが。

 ところで。
 著作権保護法がいったい、なにを意味するのでしょう?

 「先に思いついた」というだけでアイディアがその人の専有とされることによって、若く、有望で、豊かな才能に恵まれた芸術家たちの前に、うかつに足を踏み入れられない、通る者に定められた道から抜けるのを強要する大量の地雷を埋設してしまったのではありませんか?

 もしも著作権にしばられていたら、シェークスピアもあれほどの創作力は発揮できなかったに違いないはずですが。

 実は、日本人は性分的に、他人の真似をすることを欧米人のように、不名誉とか罪悪とは感じていません。

 世界でもっとも恥にこだわる国民が、他者の技量を模倣することだけは恥として受けとめない。逆に、「お手本」から手早く学ぶことは不可欠とされ、真似ができない者は無能者としてあしらわれました。
 すなわち模倣行為は集団へと同化する行為にほかならず、良くも悪くも、ここに日本文化の特徴と社会の発展性があったのです。

 それが今や、日本人は世界の中に自己の姿を見出さなければならなくなっています。
 あなたが日本的な伝統にもとづき、悪気どころか好意をもって先人の著作を引用したつもりでも、世界はそう認めてくれないのです。

 それでもなお盗作したいというなら、止め立てはいたしません。
 たとえ、あなたがだれかの真似をしなければ一作の小説も書けない人だとしても、なにを真似すればいいか見極める目だけは養うようにしてください。


 国際的な状況で日本人をどう描いたらいいか悩みます。外人キャラの中ではどうしても、印象がかすんでしまうんです


 そうですね。
 ぼくも、おなじように深刻な悩みでつぶされ、イマジネーションが凍結してしまった時期がありました。

 これまでは、登場人物が日本人であることなど意識せずに描写し、狭い国内で自己満足に浸っていればよかったわけですが、外に出ていき、リアルな国際事情とじかに接することで作中世界とのズレを実感する人は増えるでしょうから、もはや自己満足では済ませられません。

 たしかに、日本人という国民、日本という社会は、真にドラマチックな物語を仕組むための材料として、サマにならないどころか、まるで適しません。
 根本的に、アンチ・ドラマの人格教育がなされ、アンチ・ドラマの精神によって維持される社会構造だからです。

 したがって、大幅に実情を捻じ曲げないかぎりは、ドラマらしいドラマとして成り立たせることができないわけです。
 でもそれだと、実情から浮きあがった、ニッポンらしくもない人物や背景になってしまうだけ。

 いつか日本の風土に材を取り、ハムレットやドン・キホーテ、ファウストやジュリアン・ソレルのような、普遍性を備える作中フィギュアを創造して名を成すのを渇望していましたから、そうした事実を突きつけられるのは致命的な衝撃でした。

 自分の生きるこの日本の現実の中からは、真に自立した、自作であらしめたいキャラクターは生み出すことができない。

 それがわかってからでは、「しょせんは日本人」のキャラクターをどう立てたところで、外人とりわけ西洋人キャラのみごとな立ちっぷりと較べたら、仕草も言葉遣いも、一人前の魅力に欠けた案山子のようなものとしか思えなくなりました。

 かと言って、鏡に映った姿を認めず、「カッコイイ日本人が海外に出かけ、活躍する」みたいなオリンピック・ヒステリーじみたものでは書く気になれないし。
 書ければ、どんなによかったかしれませんが(笑)。
 三船敏郎やブルース・リーがステロ化された東洋的魅力で西洋人と渡り合う(というより、「張り合う」)といった意味での存在感ではどうにも納得できなくて。

 今、長い試行錯誤で苦しんだ末に、ようやく、ひとつの悟りに達しています。
 その成果は、建設中から公開している作品「火星への道」に少しずつ生かされつつあるわけで、ここでは、日本人もヨーロッパ人も黒人も、とりあえず同じ国の国民として扱ってみることで善後策を見出そうとしています。

 とにかく、外人キャラとからむ日本人キャラをそれらしく描きながら、なお外人キャラに拮抗する存在感をあたえることは、プロ、アマを問わず、今後の日本の作家にとって最大の課題となるでしょうね。


 日本人のつくった話は外国では受けません。日本人だけでいい気になってるものなんか、書いたって仕方ないのではないでしょうか?


 身も蓋もない言い方をなさいますが、まあそういうことです。

 日本のマスコミといえば、だれの小説が向こうで受けたと騒ぐものですが、実際には、日本の本は海外では一部のマニアの手に取られるだけで、真に世界の大衆から好まれるようになったとは言いがたい状態です。

 あの「タイム」誌が「二十一世紀の日本文学を変革する作家」として、よりにもよって○○○を選んだという一事だけ取り上げても、いかにわが国の文学界が外国人からは、興味のないもの、どうでもいいものと思われているかがわかるでしょう。

 こうした状況を変えられるのはわれわれ以外にありません。

 別項で述べますが、国際的に通用する物語を仕組むには、とくに海外向けを意識する必要はないのです。
 むしろ読む人が国籍など忘れて楽しめる内容になっていることが肝心で、それには、どんな一文にも面白味を盛りこまずにいられない、あなたの個性こそが最大の決め手となるでしょう。


 現実では、恋人同士が燃え上がっている場面でも、はたから見たら退屈な感じです。なぜ、プロ作家の恋愛小説は面白いのでしょう?


 これは戦争もおんなじです。
 生きるか死ぬかで切迫しているのは当事者たちだけで、ドキュメントなどを見るかぎり、その様相は、残虐というより殺風景に近いでしょう。

 映画の戦争場面が娯楽として成り立つのは、人間同士で殺し合う状況を、創り手が「ゲーム的」にデフォルメするからにほかなりません。

 小説の恋愛描写でも、基本はそういうわけで、物語の根底にゲーム的要素――「うまくいくか、いかないか」という方向に読み手の関心を向かわせること――は欠かせません。絶対に。

 プロの作家たちは、そうしたゲーム性を、生々しい疑似現実風のフレーバーをまぶした衣で見えなくなるまでくるみ込み、読者に、隠し味の正体がなんであるか気付かせないだけです。


 小説家は職業でしょうか? 芸能人のように絶対的な才能が必要ですか?


 >小説家は職業でしょうか?

 車を運転するのと同じでしょう。
 ドライブするだけなら遊びでも、タクシーを乗り回せば、お金が稼げます。
 これは、文章を書く場合にも言えることです。


>芸能人のように絶対的な才能が必要ですか?

 いいえ。
 そもそも、芸能人となるのに絶対的な才能が必要なわけではありません。
 小説家についても同様で、本当に必要なのはデビューする才能です。


 外国人の登場人物をそれらしく描くには?


 まず、そのキャラクターを外国人として描く必然があるか、もう一度考えてみてください。
 ただ奇をてらうためにだけまぎれ込ませたのであれば、外人キャラなど不用です。

 よそ者であることを極端に意識せず、あなた自身やあなたの家族を描くように、その外国人を描写しなさい。
 そうやってリトマスのように、周囲の状況のほうを引き立たせなさい。

 とかく日本人は、白人を買いかぶって扱い、それ以外の人種は知恵おくれみたいに描いてしまう傾向があるので、ご注意を。

 「アナタ、ワカリマスカ〜? 外国人ノ登場人物ノー、ソレラシイ描キ方ガ〜?」といった感じで、片言の日本語をしゃべらせないこと(笑)。
 やるなら、エキサイト翻訳サービスの和訳文のように、文体そのものを崩したほうがそれらしいです。

「外国人ヲ引クタメニ、ソレニ適切ナキャラクターガ、アリマスカ?」
 こんな感じで、ぜんぜん意味不明ながら、本格的な雰囲気だけは出せるでしょう。

 ともあれ、外人キャラに安易に手を出すのは失敗の大元。
 本当にそれらしく描きたければ外国人と同居するくらいの覚悟が必要と思ってください。

 日本人との比較に気を回さなくていいという意味では、フランス革命の話とか、外人しか出てこないほうが、かえってやりやすいかもしれません。

 この際、文化的・民族的な裏付けにはこだわらなくていいです。
 あなたは、その外国人とおなじ国籍ではないし、おなじ教育を受けて育ちもしなかった。
 だから、その国の人に読ませても自国の人間に思えるよう描いてのけることは、初めから無理でしょう。

 あなたの描く非日本人がどこの国の人間に見えようとも、ドラマが繰り広げられる象徴的状況の中で必要とされる条件を充たしたキャラクターとして立っていれば、あなたの勝利です。


 世界で通用する小説を書くには?


 「自分の国で受けない奴が書くものなんか、どこの国でも受けない」などと、野暮なことは言いますまい。
 いまでは名立たるロシアの文豪たちも、自作が西欧とくにパリで注目を浴びることを欲していたものです。

 今や、インターネットという天恵のような発表の場が万人にあたえられ、英語なり外国語に訳しさえすれば、あなたの作品をどこの国の人にでも見てもらうことが可能となりました。
 高望みではないし、すこしも不自然なことではありません。

 これは前に、「日本映画を世界で売る」という特集企画で説明したことですが、文芸を海外に売る場合でも原理的には通用するでしょう。

 要は、あなたの小説が世界で受け入れられる味付けになっているかどうかです。
 世界で受け入れられる味付け?

 日本古来からの伝統的味わいではありません。
 アメリカ人好みのジャンキーな味付けでもありません。
 さらには世界各地の調味料を混ぜ合わせ、各国民が許容する近似値を割り出したものとも違います。

 人類です。
 人類の本性に合わせた娯楽性、人類の本性が求める味をもった小説を、あなたに許される執筆条件のうちに書き続けていくこと。

 これ以外に、あなたが書いたものを世界の大衆に(批評家に、ではない)受け入れてもらう方法はないと結論していますが、いかがなものでしょうか?


 波乱に富んだ筋書きをつくるには?


 戦争、疫病、海難事故、通り魔、陰謀、スキャンダル、悪魔の呪い、天変地異……あらゆる手段を尽くし、主人公が望みをかなえる妨害をしてやることです。

 そうした障害に体当たりで立ち向かわせ、克服させるならば、主人公の魅力と作品の値打ちは高まります。


 物語にもっとリアリティを出したいのですが


 この二百年の文学史から人々が学んだ重要なことは、リアリズムには所詮、幻想を引き立てる飾りの役割しか果たせないという、その用途性でしょう。

 すなわちリアリズム小説とは、現実をコピーしたものなどではなく、創り手の願望が極端に抑圧されただけのロマン主義文学の亜型に過ぎないのです。

 あなたに現実での経験がいかにあろうとも、作品の中に現実はつくり出せません。

 そのことを承知したうえで、あなたがたくわえた現実世界での知識を、読者が作中世界に期待するドラマ的要素を盛り上げるため、大いに活用しなさい。

 疑似現実風の状況設定が、作中世界で織り成されるロマンチックな人間模様をきわだたせ、物語を生きたもの、すなわちリアルなものとするのに大いに効果をあげるでしょう。


 どうしたら魅力あるキャラクター名が思い付けるのか教えてください


 キャラの名前というのは要するに登場人物のコード名ですから、馴染みやすく、覚えやすく、そして他者との色分けが鮮明であることが一番。

 もっとも、ぼくの場合、日本人キャラの命名になると呆れるほどテキトーです。
 寺田ヒロオとか永井文豪とか天地実とか……いつも、そんな感じでやっつけちゃってます(これじゃ、参考になりませんね)。

 実際の話、漢字表記での見栄えまで配慮しなければならぬため、東洋人の命名って難しいと思います。
 それに比べたら、西洋名を考案するほうがずっと楽ですね。

 こちらは、洋画のクレジット・タイトルをくまなく見て、印象的な名前があればストックすることにしてます。
 そのまま使うわけじゃなく、音律に沿ってアルファベットを置き換えたり、アナグラムに仕立てたりで、別名をでっちあげるんです。

 アーロン・グラント、ジミー・フライト、ハリマン・ホーン、ビクター・クロストン、アーネスト・スティンケンハイマー……といった調子に(笑)。

 余談ながら、宇宙戦記のキャラにものものしいドイツ名あてはめるという風潮、どうしたものでしょうか。
 今のドイツ人から見たら、きっとバカかと思われかねないはずですが。


 印象的な題名を付けるには?


 題名は題名です。他の作品と区別するためのコード名以上の意味はありません。
 作家は筆力に応じた出来の作品名をひねり出すものとはいえ、小説の題名にまで芸術性を云々するのは間違いです。




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