「大立者」
(The Players)


スーパーヒーローはもういらない!
超能力で人の心を操る術を体得した主人公。
彼は人々の心に働きかけ手駒として助力させ、
巷にあふれる悪事を封じ込めていく。



 いつからだろう?
 良いことをするなら自分一人じゃなく、大勢を動かしたほうがずっと効果が大きいと気付いたのは。
 みんなで少量の善意を小出しにして悪事を取り囲む。
 そうやって、悪いことする奴(ら)を封じ込めてしまうんだ。そのほうが誰でも参加させやすいし、一人ひとりの負担も少なく、いざという場合のリスクも小さいもので済む。
 いや、大勢で取り囲まなくてもいい。
 場合によっては、悪事をする者にじかに働きかけ、その行為をやめさせる。
 ただし、これはあまりやりたくない。悪意で心を占められた者を思い通りにするのは複数の善意を動かすのと比べても、おそろしく精神力を消耗することなので。

 スーパーヒーローはもういらない。

 まったく。自分だけで頑張ってる時は馬鹿みたいだった。
 たった一人で悪い行為者、場合によっては複数の行為者に立ち向かい、その程度の圧力では改心する気のない相手からしばしば暴力をともなう拒絶的対応を示され、徒労におわる結果を見た。
 よく、鉄拳の餌食にされたっけ。

 今はだいぶ違う。手に余る仕事は他の者にまかせられる。
 相手がガタイのいい人間ならば、こっちも屈強な体格の者を用意すればよい。
 弁が立つ奴には、もっと頭の切れる人に協力してもらう。相手を論破するんじゃない。周囲から見てこちら側が正しいと納得してもらえればいい。
 適材適所の配置をもって応じるのだ。
 そうやってセクハラでからまれたり、言いがかりをつけられたりして困っている人を救う。
 助けた誰かに感謝されても自分の功績にはならないが、善意が役立ったとの思いは抱ける。まあ自分がじかにした行為じゃないから、お礼をそっくり助力者に持っていかれるのはやむを得ないが。
 それでも、良いことをした後は気持ちがいいものだ。

 おっと。昔のことでもの思いに耽ってるときじゃない。やるべき仕事が出てきた。
 赤ん坊が泣いている。
 場所は朝のJR車内。大勢の人が利用する公共機関だ。
 大げさでなく鼓膜にダメージを与える乳幼児の甲高い泣き声は音響兵器の発砲にも等しい暴力行為そのもの。
 それなのにこの混雑時、ベビーカーを押し入れるようにして乗り込み乗客数人分のスペースを奪って平気どころか、したり顔でスマホに夢中のあの若い母親ときたら我が子に泣かせるがままじゃないか。

 これを擁護し「赤ん坊は泣くのが仕事」とほざいた馬鹿がいるが、まるで違う。
 赤ん坊の仕事は泣くことじゃない、育つことだ。
 そしてあの母親、我が子を育てる義務をぜんぜん果たしていない。

 赤ん坊の泣き方にも二種類ある。
 まず、空腹なり粗相なりで助けを求めて泣く場合。これは仕方がない。
 もうひとつは、ある程度育った子に多いが、泣けば何でも望みが通ると思い込んだ子が威嚇的に泣き散らかす場合(聞けばわかる)。子供を躾けられない親のだらしなさが発現したものだ。
 こういう場合の赤ん坊の泣き声を気ざわりと感じるのはそのため、つまり親のエゴが子を通してそのまま出ているからで、これを誰もが自我を抑えてやり過ごさねばならない公けの場で聞かされてはたまったもんじゃない。昔の、乳幼児への躾が厳しかった頃にはあり得ない状況なわけで、「赤ん坊だから仕方ない」で片付けたら日本が困るのだ。
 今回の事例がまさにこれで、放っておくわけにいくまい。

 みんな黙ってはいるが、大多数の人が内心ではこんな女はさっさと降りろ、消えろと念じているに違いない。それでも文句も言わずにじっと堪えている。日本人の習性だ。
 とうぜん爆発すれば怖い。
 誰かが堪えきれずに怒気をあらわにし、電車の窓からベビーカーとあの母親を放り出したいとの凶暴な衝動を実行にうつす前に何とかしなければ。

 さて。
 だれにまかせよう?
 この車輌の中から、適役を探さないと。
 ぼくの視界は車内のすべての人を含む範囲にまで拡張された。
 あいつはどうだろう。
 ひとつおいた乗降口の付近、端正な姿勢で吊り革をつかんでる、小柄だが筋肉質で真っ正直な性格が顔に出ている若者。
 たぶん適役だ。そうでなくても今は、他にまかせられるのがいない。
 念じよう。
 心に訴えかけるんだ。
 意識を集中して投射すれば、たいていの者は心の扉を開いてくれる。
 さっそく、若者は反応した。

 あれ? 細かい意味が伝わらないぞ、日本語が通じない。
 外国人だったのか。中華系? ヴェトナム? ネパール? まあいいや、心の交わりに言葉はいらない。
 役に立ってくれればいい。




( 続く )




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