「霊能笑戦」


悪魔が来るよ。笑わせないと殺されるよ。
ずっと以前、「木下ぺーすけ」名義でリレー小説として投稿したものをまとめ、手を加えました。


このイメージ画像は、描画メーカー「NovelAI」で制作されました。



 大前寄席也(おおまえ・よせや)は子供の頃より、人を笑わせるための厳しい訓育を受けてきた。
 仕込んだのは父と母である。
 親の二人ともおよそ冗談の通じる性分でないにもかかわらず、なんのためにか学校の勉強そっちのけで一日も欠かすことなく続けられたのだ。
 放課後、同級生は、ドッジボールで遊んだり、友達同士で家に呼び合ったり、一緒に塾に通ったりするのだが。
 ひとり寄席也(よせや)だけはまっすぐ帰宅しなければならない。
 そこでは母が待ち受けており、まだ幼い彼にお笑いの特訓をさせるのである。

 寄席也の母は、度の強い眼鏡をかけた痩せぎすの女だ。
 なんだか人生を捨てたような、投げやり気味の、いくぶん鼻にかかった陰陰滅滅たる声音で説いて聞かせるのである。
「悪魔が来るよ。笑わせないと殺されるよ」
 寄席也は、この母の言葉を聞くたびに震えあがったものだった。

「悪魔が来たら、警察を呼べばいいじゃないか」
 母は、意味のわからない返答をするのが常だった。
「バカをお言いでないよ。警察に冗談が通じるものかね」

 母のやつれた顔には、ユーモアのかけらもない人が無理やりに、笑いの巨星となるべき者を育てる義務を負わされた場合のみ味わう底知れぬ苦悩がにじみ出ていた。
 そんなにイヤなら、冗談なんか言わなけりゃいいのに。
 寄席也は、幼心にもそう思った。

 父は父で、また理不尽な、許せぬ存在だった。
 無骨で不器用なこの男は、家の中でもぶすっとした顔つきでいる。
 自分が冗談の一つも言えぬくせに、寄席也からつまらないダジャレを聞かされると鬼のように怒り出すのである。

「おい。なにか面白いこと言ってみろ」
「上から飲んでも水道水。下から飲んでも水道水」
「また、くだらないダジャレで誤魔化す。ジョークってのは、枝葉じゃなく骨格で笑わせるものなんだぞ、骨格で」
「学校じゃ、みんな面白がってるよ」
「そんなギャグで笑う奴らは悪魔の餌食になるだけだ」

「いいか、寄席也。俺はこれから、便所で用を足す。その間になにか面白いギャグをひねり出せ。出来が悪かったらぶん殴るから、覚悟しろ」
「うへっ!」
 バタン!

 戸が閉まり、待ち受ける厳罰までの短い執行猶予が始まった。
「え〜と、え〜と」
 ジョバジョバジョバジョバ……。
「え〜と、え〜と」
 シュバーーッ!
「え〜っと……」
 ギイーッ。

 父が無表情で姿をあらわす。
「できたか?」
「と、父さん……ここから先は、とおさんからね」
「たわけ!」
 ゴ〜ン! と石頭で頭突きを食らわせる父。
 寄席也は転倒した。
「そんな機転のなさで、悪魔の攻撃から身が守れると思うのか」
 寄席也は、悪魔の攻撃より父の攻撃から身を守りたい気分だった。

 その父はことあるごとに、滅茶滅茶な言葉で息子を戒めた。
「寄席也、覚えとけよ。たくましく育たなくとも、最後に笑わせることを言った者が悪魔に勝つんだからな」

 やがて寄席也も、思春期を迎える。
「母さん。ぼく、高校に進みたいよ」
「無駄なことはおよし。おまえは男の子なんだ。このご時世で男子高の制服なんか着たって、仕方ないじゃないか。それより、悪いことは言わないから、ギャグをおやリ。この先、ずーっと役に立つよ」

 そうするうち、人生の節目となる日がやって来た。

 車で帰宅する父から、携帯電話による連絡である。
 父は、どこにいるときでも、毎日おなじ時間に様子をうかがう電話をかけてくるのだ。折悪しく母は留守だったため、代わりに寄席也が受けた。

「おい。悪魔は来たか?」
「悪魔なんか来ないけど」
「なんだ、おまえか……学校どうだった?」
 まずいことを聞かれたように舌打ちし、とっさに話題を切り替える父。
「あのさ。今日、バスに乗ってて運転席のそばで冗談言ったら、運ちゃんが笑い転げちゃってさ。あやうく車体が橋から飛び出すところだったんだ」
「おまえもう、十五歳だろ。責任もって人を笑わせるようにしろ。ジョークは、人を殺す刃物にもなるんだぞ」
「気遣ってくれないの? ぼくもそのバスの中にいたんだよ」
「まだまだ、おまえの死に時じゃない。悪魔がやがて……」
「悪魔がやがて……なんだって?」

 父はまたもや、まずいことを言ったというあわてぶりで、さらに話を誤魔化そうとする。
「で……どういう冗談を言ったんだ?」
「うん。こんなこと言ったんだ――。
『女の子ってね、身につけるものを欲しがるのよ』
『そうじゃないだろ。男の身についてるものが欲しいんだろ』

 受話器の向こう側で、父のけたたましい笑い声が轟いた。
「ワハハハハハハハ! あっ、ああっ、うわーーっ!」
 キリキリキリキリ……! グッシャーーーン!!!
「父さん!」
 連絡は途絶えた。
 結局、この日が父親の命日となったのである。

 通夜。
「ぼくのせいで、ぼくの冗談のせいで、父さんは……」
「寄席也。こっちへ来て、父さんの死に顔を見てごらん」
「ああっ! 笑いながら死んでるっ」
「生きてるうちはニコリともしなかった父さんがね……おまえはいいことしたんだよ。父さん、天国へ行けるよ」

 弔問客も集まり、お通夜の夜は更けていく。
「父さん死んじゃったから、今夜は母さんが代わりに、とびきりの冗談きかせてあげようね」
「いいよ、母さん。無理しなくても。父さんの命日くらい悲しそうな顔していようよ」
「バカッ! 一日でも笑いを欠かすと、悪魔に殺されるよっ」

「だいたい、悪魔、悪魔って子供の頃から聞いてるけど、ぼくはまだ、悪魔の姿を見たこともないんだぜ」
「バカだね! 悪魔が見えるようになったら、その人はオシマイなんだよっ」
「あのね。母さんは口を開けば、ぼくのことをバカ、バカって、やたらケナすけどさ。ぼくが利口じゃないのは、塾にも通わせずにギャグの特訓ばかりやらせたからじゃないか」
「バカはおよし。塾なんかで冗談が通じるもんかね」
「あ! また、バカと言った」
 ひそひそひそひそ。
 囁きあう弔問客たち。
「すごいな」「お通夜なのに、親子で漫才やってるぞ」

 このようにして、母と子のひきつった笑顔のうちに、父の四十九日も過ぎた。



†             †             †



 命日から五十日目。
 前置きもなく、母は言いだした。
「おまえももう大人だから、そろそろ悪魔のこと明かしてやらないといけないね」
 悪魔……。
 いよいよ……いよいよ、悪魔が何者か教えてもらえる。
 長年の疑問への答えが得られる期待に、寄席也の胸は高鳴った。
「母さんは……母さんは、悪魔の正体を知ってるのかい」
「ううん。けれど、悪魔にものすごく詳しい人がいてね。その人のところ行けば、悪魔のことはなんでも教えてもらえる」
「どこなの、その人がいるのって?」
「南の果ての小島で、鬼快ヶ島(きかいがしま)ってところさ」
 母は、酷い表現ばかりこれでもかと連ねるいつもの口調で、息子を待ち受ける試練について語りはじめた。
「深い、深い、密林の奥で、凄まじいほどボロッボロな建物にひとりで暮らしてる。その人のそばにずーっと居て、修行をつけてもらいな。青春を擲(なげう)ってギャグの才能に思いっきり磨きをかけるんだよ。悪魔を笑わせるための総仕上げさ」
「いやだ。そんなところ行きたくない」
「おまえ、父さんにしたことわかってるだろ? 一日も休みなくシゴいてくれた人を笑い死にさせちまったんじゃないか。その精進ぶりなら、悪魔と出会っても立派にやっていける」
 まったく。息子をなじってるのか誇ってるのかわからない物言いだ。
「おまえは父さんを超えた。一丁前の男になった。この家にもう、居場所はないんだよ」
「わけがわからないよ」



( 続く )




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