ご注意
以下の文章は、もう十年以上も前に書かれたものです


「ロボットえらい」



――将来の人類史で原爆の開発に匹敵する大事件といえば、やはり人間型ロボットの登場でしょうか?
――たぶんね。ただし、人間のように動けるか否かは問題じゃない。人間に匹敵する頭脳をもったコンピューターであることが重要だ。

 楽しいおしゃべりの相手をするばかりか、チェスなど高度なゲームの対戦役を務め、生活上の難題に行き当たったとき正しい解決法を示し、ことによると医師の代わりにカウンセリングまでおこない、いわば頼りがいのある相棒として尽くしてくれる。

 遠からぬうちに(おそらく西暦2030年頃)、学生が小脇にかかえて歩くノート型パソコンでもそうした機能を備えるようになるだろう。

 断言しよう。その社会的影響力たるや、絶大なものとなるに違いない。

 おそらく、多くの人が、この絶対に自分を裏切ることのないベスト・フレンドを、つねに傍らに置いていないことには気分的に安住できなくなってしまうのではないか?(精神医学者によって、「ベスト・フレンド症候群」と名付けられよう)
 当然それらは、ハンドバッグ型やぬいぐるみ型など、携帯に不都合とならぬファッション性まで備わった商品として店頭に並ぶ。

 しかも、これは2030年の話。
 そこからさらに十年、二十年と年を経るごとに、ベスト・フレンドは手帳サイズ、腕時計サイズにまで縮小され、いっそう生活と密着したものとなっていくことは間違いない。
 二十一世紀半ばには、携帯電話で話をする人の半数が、電話でつながった誰かとではなく、携帯電話型をした頭脳ロボットそのものと会話を交わしている、というのは大いにあり得る光景だ。

――二十世紀の工業社会をリードしたものは鉄鋼と自動車産業だったけど、次の世紀の基幹となるものは、半導体とロボット産業というわけですね?
――間違いなく、そうだろう。
 昔の貴族社会ですべての旦那様に有能な執事が必要とされたように、来たるべき高度計算化社会にあっては、すべての人間に満ち足りた自尊心を保たせるべく奉仕してもらうロボットが不可欠なのだから

――だけど、人間は本物の人間と交じり合って世の中に適応していくのが望ましいんじゃ?
――建前としては。しかしながら、人々が個人個人として解放されたように見えながら、その実、個々の尊厳を保つため必要な嫁入り道具はなにも与えられぬままおっぽり出されただけというのが二十世紀という時代の実情ではなかっただろうか?

 こうした、押し合いへし合いする群衆の中で叫び、手を振るほどにしか自己主張のできない、未成熟な個人ばかりの寄り集まった社会がファシズムの温床となったわけさ。

 絶対君主の時代からはるかに進歩しているはずの今世紀に、最悪の独裁型指導者ばかりが台頭したのは、かかるカラクリによるものだよ。

 ギリシア・ローマの昔から、文明社会は奴隷による奉仕に支えられてきたが、そうした社会に安住する人たちがとりわけ野蛮な性向の持ち主だったとは思えない。

 やりたくない仕事は他人にやらせ、自分はその働きに依存する。これは完全ならざる人間として無理からぬことさ。

 奴隷制の支持者たちの落ち度は、一部の集団だけがその仕組みによる恩恵を享受し、演算化時代でロボットが果たすべき役割を、つまり奴隷の役目を、時期尚早にもおなじ人間に負わせたことじゃないかという気がする。

 言ってみれば奴隷制度なるものは、ロボットが一台もなかった地上で人々が人間的本性をぶつけ合っているうちに出来あがった、やむを得ざる代替的状況だったのさ。

 こうした人類の本質は、博愛主義とか共同体への献身とかといったお題目でどうなるものでもないと思う。
 われわれのひとりひとりがみんな、生まれながらの王族だ。だれもが、そうした性向を極端に抑圧して、フツウらしく、庶民らしく振る舞ってはいるが。

 わたしに言わせれば、それこそが社会的ゆがみの大元なのさ。
 人間は、誇りを満たされてあつかわれる状況において初めて、他の人に対しても真の敬意をもった態度で応じることができる。
 そういった本能的願望は抑圧せず、満足させるべきだ。ただし、だれか他人を支配するというやり方で成し遂げてはならない。また、だれかに隷属することにより嗜虐的な歓びを味わってもならない。

 逆説でもなんでもない当然の道理として、社会に無数のロボット、人間型ロボットが取り込まれ、個々の人々に奉仕し、それぞれの自尊心をケアすることにより、人間はより人間らしくなると言っていいだろう。

 結局、人間型コンピューターは、つまりロボットという存在は、予定調和的に人間生活に不可欠のものなんだ。われわれは寄り集まると、楽をしたがるのさ。
――いえ、寄り集まらなくても楽がしたいです(笑)。

――人々の暮らしをよりよくするために、つまり数学的原理にもとづくシステムを人類に奉仕させるために、こなすべき計算がヤマほどあるが、これからは、発展するコンピューターの発展する計算力がその役目を担い、われわれの負担を軽減してくれるんだ。しかも、彼らに報酬は必要ない。

―― 一銭もですか?
――人間じゃないからな。徹底的に搾取してかまわない。
 いかに人間のように見える振る舞いをしようとも、ロボットは人間なんかじゃないんだよ。そこのところのセンスを失ってはならん。ロボットが人間社会に反逆するなどというのは、まさしく人間の頭からしか出ない発想だ。むしろ、人間型ロボットを人間とおなじ種族であるかのように思いこんだセンチメンタルな人間どものほうが社会問題を引き起こすかもしれん。「ロボットの存在権を認めてあげよう」とか(笑)。

――将来、ナノテクノロジーによって人工の神経細胞を超高密度化すれば、電子頭脳にも意識が生じるらしいですけど。
――将来、やってみればいい。そうじゃないって、わかるから。



 ロボットに心が生まれる?
 いかに無茶苦茶なことを思いつく筆者でも、この考えは退ける。
 それは、タイムマシンが実現不可能なのと同様、SFマニアの夢でしかないだろう。
 仮に、百万体のロボットに意識が生まれたとしても、臨床心理学など通用するはずがないのはわかりきっている。

 ロボットも人類同様、集合無意識で根底において一体化することになるのだろうか?
 個々のロボットが製造工程で被ったトラウマを突きとめるため精神分析をしてやらねばならないのだろうか?
 ロボットも体型によって性格が異なるのだろうか?

 もう、たくさんだ。

 将来、本当に電子頭脳が意識を持たされたように見えることがあっても、それは生体的な欲求とは関わりのないところでプログラミングされた疑似意識にほかならない。
 機械はあくまで機械であって、生命にはなれないのである。
 これは、フォン=ノイマン・マシンについても変わるところがない( いかに自己の複製を生み続ける機能をプログラムされているにせよ )。

 コンピューターがもつ高度計算機能への人々の畏怖を利用し、あらたな偶像教を生み出そうとするかのような、科学の仮面をまとった山師たちは――フォン=ノイマンを山師だと言うのではない――基本的な真実を思い知るべきだ。


「生命のないところには意識もない」




お次は、クローンについて。語調が過激だぞ


目次へ戻る


ホームへ戻る