前の章に続き、秋葉原系のアニメやゲームについて。
実はアキバ系文化は、人類の人権の半分を代表するフェミニズムに対し、真っ向から異を唱えるものとなっているという話。
今から思えば噴飯ものだが、末期麻生政権の人気挽回策のひとつとして、「カワイイ大使」というのがあった。
「日本名物」アキバ系ファッションをアピールする意図かは知らないが、文化使節として、メイドや女学生のコスプレをまとった若い娘たちに各国を歴訪させるという愚かきわまる目論見だ。
どう考えても、こんなもので日本国家に敬意なんか払われるはずがない。
「日本娘は男に愛嬌ふりまくだけの馬鹿ばかりと思われる」と不安でたまらなかったのだが、さいわいにも国際的な注目などぜんぜん浴びることもないままキャンペーンは終了した。
だいたい、似たようなことを欧米の国が本気でやったら、もっとうまくやるだろうし、日本産の「カワイイ大使」など肉体面でも個性の面でも太刀打ちできず、たちまちお株を奪われるのは目に見えている。
入れ替わるように麻生首相のもとには、アメリカの人権団体から、日本製の性暴力ゲームが野放しなのは女性差別だから取り締まってほしいと直訴するメールが束になって届けられた。
はからずも二つのアキバ系文化の所産をめぐり、日本国家というものの女性に対する意識の特異性が浮き彫りされる格好となった。
由来、日本での男尊女卑の気風に対しては、良い意味でも悪い意味でも国際的な定評が確立している。
例の安倍政権にとっての恥辱となった各国議会での「性奴隷非難決議」も、そうした偏見とは言いきれない土壌の上に証言が積み上げられ、説得力をもって受け入れられたところがある。
要は、日本の「カワイイ大使」など、先進カルチャーでもなんでもない。
欧米人の目、とりわけ女性の目には、西洋風のちゃらちゃらした衣装をまとい、愛想をふりまくだけで自立心のない「ゲイシャ」そのものに映ったことだろう。
(この場合の「ゲイシャ」とは、伝統舞踊の踊り子などと違う、悪名高い「慰安婦(Comfort Women)」のほうに近い意味だ)
日本のアキバ系文化というのはそれくらい、女性の地位向上をめぐる世界的な動きから逆を行ったものなのだ。
フェミニズムが人類の権利の半分を代表するものであり、そして未来の正方向であるとすれば、今は咲き誇るかに見える日本のアキバ文化など、ロシア革命で白衛軍が支えたオムスク政権のようなものにすぎず、そんなものを支持する人々に未来がないことを示している。
かかる時代の流れに乗りそこなった男たちが自分の思い通りにできるセックス・シンボルを得られる逃避の場としての仮想世界。
多くのユーザーにとって、そこに日本製のアニメ、コミック、ゲームといった媒体の存在価値があると見られているのはたしかだろう。
これは、アキバ系カルチャーが、後ろ向きの男ばかり(後ろ向きの女も)集まるという破滅的な土壌の上に成り立った仇花であることを意味する。
( この章、まだ続く )
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