数すくない「ネット左翼」の間では、奇妙に現実からずれた認識が行き渡っているようだ。 「ネット右翼はアメリカ贔屓」というものである。 しかし――。 |
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アメリカが好きで好きでたまらないネット右翼、アメリカを日本の手本にしろと言い張るネット右翼……。 まるで都市伝説のような話で、そんなネット右翼を見たという人を探すこと自体、至難なのである。 ネット右翼といえばとにかく、おそろしいまでに民族主義に凝り固まっていて、その反中・嫌韓ぶりと変わらぬほどアメリカ嫌いというのが相場であり、おなじ民主主義国としての価値を認めるようなのと出くわしたことがない。 (自分の国の民主主義すら価値がわからぬ連中だ) 「ネット右翼はアメリカ贔屓」。 裏を返せば「ネット左翼はアメリカ嫌い」でなければならないらしいが、いったいどうして、左派の間ではそんな風聞がまかり通るのだろう? あまりにも理解に苦しむことなので、もしかしたら左翼を自称する者の中に「右翼は親米、左翼は反米」という色分けを固定させたがる、なりすましの右翼側工作員がいるのではと邪推したくなるほどだ。 (なにしろ、「親米では左翼にあらず」とは、まことリベラルにあるまじき発想、バカウヨ好みの攘夷意識と通底する物言いだから) |
「反米主義でなければ左翼じゃない」? 合衆国じゃリベラルだって、そんなこと言わんぞ |
おそらく、歴代の自民党政権が日米同盟の強化に執心だったから、自民党を支持するネット右翼も米軍に好意的に違いないという解釈なのだろう。 実際、あの日本会議も「日米同盟堅持」の方策を掲げている。 だが、心からアメリカが好きでそうするんじゃないのは歴然だ。 |
だって、靖国派の歴史認識ほどアメリカ合衆国と相容れないものはないじゃないですか。 大東亜戦争は英米からの防衛戦争だったと堂々と主張しちゃってるのに |
もし靖国主義の同調者で「親米」をとなえる者がいても、それは偽りの親米にすぎないだろう。 ちょうど、反共戦略を進めながらソ連と不可侵条約を結んだドイツ第三帝国が心からの親ソでなかったのと同じように。 なぜヒトラーは、『わが闘争』での主旨に反してスターリンと手をにぎり、一時的にソヴィエトと「同盟関係」を保ったのか? それは、開戦初期の二正面戦争を避けるためと相手を欺き、やがて戦端を開く時間稼ぎをするためだった。 こんな歴史的経緯を知っていれば、なぜ日本会議系の前政権が靖国史観に染まりながら「対米従属」したのかという矛盾ぶりで理解に苦しむこともない。 とりあえず最大の脅威である中国に備え、アメリカと組んで動いているだけなのだ。 彼ら靖国主義者の意図は、そうしてアメリカに干渉されないよう媚びながら、国際的立場で、軍事力で、アメリカに拮抗する力をしだいに強めていくことだったのだろう。 やがて米軍に立ち向かえるようになった場合、彼らがどう出たかは火を見るよりあきらかだ。 日本会議のようなカルトが与党内部で巣食っていられたのは、彼らの腹に一物ふくんだ対米融和策が、「純正保守」による反共親米の方向性と表むきで一致したからにすぎない。 右翼の対米観について語ってきたが。 それでは、ウヨでもなければサヨでもないという日本人。 この国のゆうに九割を占める普通の人々はどうなのだろう? 語るまでもない。彼らはおしなべて、「親米」という言い方も必要ないくらい、普通にアメリカびいきだ。 アメリカの音楽、食べ物、ビジュアルを好み、デザインでもファッションでもアメリカの流行を取り入れ、アメリカ人と話す言葉を学び、とにかくアメリカ式のものに溶け込んでいる。 まるでアメリカという国が日本の親戚であるかのような感覚なのだ。 たとえアメリカの政治や軍事の実情には疎いにしても、日本の大衆は、自分の国がアメリカ文化圏と一体であり、アメリカと切っても切れない関係にあるのだと本能的に知っている。 こうした土壌の上にいるせいで、小泉も安部も麻生も、税金の無駄遣いとか盛大に非難されながら対テロ戦争での米軍支援ができたのだ。 対米協力に関するかぎり、けっして国民意識から大きく逸脱した政策を強行したわけではないと言っていい。 自衛隊の海外派遣に反対する人の大多数も、アメリカが嫌いだからではなく、むしろ、きな臭くて血みどろな仕事は米軍にやってもらった戦後の行き方に慣れすぎて依存癖から抜けだせず、わざわざ危険な任務を志願するというのが納得できない。 それこそ偽らざるところではないのか。 なんのかんの言いながら、日本の大衆からアメリカを引き離すのは日本を占領するより難しいのではと思われる。 事実、世界の前では猫をかぶった靖国派の政治家たちと裏腹で、無神経に本音をぶちまけるネット右翼らの大掛かりな宣伝攻勢をもってしても大衆を反米色で染めあげる目論見は成功しなかった。 国粋主義者や共産党にとっては有難くないだろうが、日本人の大多数は歴然たる親米派であり、日本国家の正体とはそんなアメリカ贔屓の大集団。 それが日本の姿なのだ。 この国の大衆を味方につけたければ、反米の旗印を掲げたのでは目的は達せられないだろう。 しかし何故か、思想上の両極にあるはずの反動保守と市民活動家だけが「反米」という排他性で一致を見せる。 どちらも、米兵の不祥事や広島・長崎の話になるとアメリカ嫌いをあらわにし、とにかく「アメリカ出ていけ」の方向に話を持っていきたがる。 それで、国粋派は米軍にたよらず核武装を、サヨクは米軍と縁を切り軍備撤廃をもたらそうとする。 まことに奇妙な類似性と言わねばならない。 いずれも、日本のおかれた現実から遊離しているのだ。 軍備の大増強であれ撤廃であれ、実際にやったならばアジアの安定を大きく揺るがすこと請け合いだろう。 そのことは回りまわって、日本への破滅的な災厄となって報いる。 つまり、日本のためを思うならばやってはいけない二つのことを、対立する両者がそれぞれのやり方で実現させようと躍起になっている。 自国のためになるとかたく信じながら。 きわめて興味深い現象である。 |
キルロイ見てるぞ
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