一億玉砕を断罪する




「ナチによるホロコーストは戦争犯罪以前の人類の大罪だが、日本軍がしでかした残虐行為は、どの国にも例をみる戦時下における逸脱にすぎぬから、ドイツ人よりは非難される度合いが低くあるべきだ」

 こうした弁法は、自賛主義史観の持ち主ばかりか、一般の間でも受け入れられているようだ。
 だが、本当にそうなのだろうか?

 実は、日本人とドイツ人、どちらも人類への極罪を犯したことに変わりはないのである。

 語るまでもなく、ドイツ人はユダヤ人という一民族を計画的に地上から抹殺しようとした。
 かたや日本人は、集団性狂熱に引きずられ(一人一人は普通でも、固まり合って、狂熱と呼ぶにふさわしい風潮を作り出していた)、世界の中において自滅を遂げようとした。

 目的が達成されたとして――どちらも阻まれはしたが――、日本の場合、じかに害のおよぶのが日本人自身とその道連れとなる外国人だけだったから、事態の恐ろしさはいまだ認識されずのわけだが、考えればこれはまさに、人類史における前例のない、信じがたい規模の暴虐にほかならない。

 一億近い人々が地上から消えてなくなろうとしたのである。

 今日、世界は一つの複合体として認知されつつある。
 その見方でいくなら、ユダヤ人が数十億の人類の中で欠かせぬ民族なのと同様、日本は世界にとって必要な国以外のなにものでもない。

 それを、おのれたちの決定で「玉砕」し、独特の文化や血統ともども滅亡しようとするとは、なんというエゴイズム!
 ことは日本だけの問題ではない。

 いかなる部位にせよ、体内にあって全体の一部として機能すべき臓器が、ひとつでも活動を停止したらどうなるだろうか?
 人は生存に支障をきたすのであり、もちろんこの仕組みは、世界を構成する国々の関わりにも当てはまるはず。

 日本人は玉砕することによって、意図的にではないにせよ残余の世界全体に打撃をおよぼそうとしていた。

 そう。われわれの父祖はまさに、それをやる直前までいったのだ。
 後代の日本人は、第二次大戦を遂行していた頃の先祖を回顧するとき、なつかしさを抱くべきではない。

 普通の人々が普通のありようで祖国に奉仕する行為の集積(つまり、近代戦争)がもたらす結果により、われわれの祖父母は生存を断ち切り、われわれが生まれる機会を奪おうとしていたのだから。
(驚け。本当に、そうなのだ。水子供養なんかやってる場合じゃない)




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