デンバー無差別発砲事件



 この手の事件が起こると、まず、犯行に用いられた凶器が人々の関心事となる。
 だが銃は、強盗犯の逃走に役立てられる自動車とおなじで、悪事の道具にすぎないものだ。忌むべきなのは犯行をあらしめた精神状態であろう。

 犯人の学生二人は幼稚だった。
 二人分のライフルで、警察が駆けつけるより先に何百もの逃げる標的を仕留めようともくろんだとしたら、その襲撃計画――なにが計画だ。頭をぜんぜん使ってない――はお粗末にすぎる。

 むしろ彼らが最初に銃をブッ放し、学校中に騒ぎを起こしたからあの程度の被害で収まったと言えなくもない。
 前触れもなく爆弾で校舎を吹き飛ばすようなことをされたら、どうなっていたか。その場合、世間は、銃砲の規制を声高に叫びまくっただろうか?

 デンバー郊外の無差別発砲事件への人々の反応は、キチガイの使う刃物に示された大衆的鈍感さの好例である。

 強盗や殺人、誘拐など銃器犯罪はその動機や意思があってはじめて起こるものであり、銃がなくても悪者には刃物やこん棒を使って目的が遂げられるに違いない。したがって、銃だけ規制しても、つりあった犯罪の減少が見られるとは思えない。

 世の中から死傷者を減らしたいなら、運転免許証の取得に強く規制をかけたほうが、よほど速やかで広範な実効が期待できるし、いっそドライバーから車を取り上げてしまうことだ。
 とはいえ、ニューヨーク・タイムズといえども、紙面からタバコ産業を締め出したように、新車の広告に規制をかけるなどはありそうにない。

 押し入ってきたガンマニアに脅されたり傷つけられるのは極限の恐怖だが、交通災害は、間抜けな人、不運な人だけをまれに見舞う食中毒のようなはずれ籤だ。
 みんな、本気でそう思っているのだ。

 第二次大戦は、国家によって大衆が銃砲の所持を禁じられたナチ=ドイツ、ファシスト=イタリー、軍国日本によって引き起こされ、全地で敵味方数千万の犠牲者を出すという人類史上最悪の惨禍を招いたことを忘れてはならない。

 かかる巨大な暴力行為を推進させたものこそ、偶像的指導者を崇拝し、愛国的熱狂に挺身する、歯止めのきかなくなった大衆のマス・ヒステリーだった。
 そして、デンバー事件に対する社会の反響も、どうやらマス・ヒステリーの様相を呈しており、冷静さからほど遠い状況に見えるのである。



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