日本軍は招かれた客か?



 もう何度も書いたが、日本軍が西欧への隷属から東アジアを解放したなどという主張は、共産主義からヨーロッパを守るためドイツ国防軍はソ連に侵攻したとするゲッペルスの言い草と変わるところがないのではあるまいか?

 東欧人を何千万も殺戮したことでナチの軍隊に感謝する西欧人がいないのと同じく、アジア人の大多数は、大東亜共栄圏なるものを実現しようとした人々による戯言を真に受けていない。

 搾取からの解放とか独立の手助けといった二者間の関係は、恩恵を受けた側がそう感じることではじめて成立するはずなのだ。

 たとえば第二次大戦におけるアメリカ軍の場合、とりわけヨーロッパでは、侵略からの解放者としての身上を大きく備えていた。
 それについてはアメリカ人ばかりか、フランス、ベルギー、ノルウェー、ユーゴ、イタリアなど欧州諸国民も認めており、国際的に共通の歴史的了解ができあがっている。

 一方、東半球のほうでは、ヒトラーの同盟者であった大日本帝国が本心からの善意をもって白人による支配から東亜植民地を独立へと導いたなどと、よほどこじつけて受け取らないかぎり、そのように発言するアジア人はいない。

 むろん日本ばかりに非があるわけでなく、ノーマン・メイラーが作中人物に言わせたとおり、太平洋では日米五分五分の帝国主義闘争だったかもしれない。
 しかしながら日本以外のアジア諸国に共通するものといえば、日本からもっとも欲深な軍事的支配を受けたという被害意識にほかならず、皇軍は、進駐したいずこの地においてもそうした共通史観を植えつける行為に専心したと見るのが道理であろう。

 「俺たちのおかげでアジアは独立できた」などと誇ることは、一部日本人の自己満足以外のなにものでもないのだ。

 日本が世界と関わる歴史において日本軍のおこなったことを賛美するのが日本人しかいないという、こうした自賛史観――小林よしのりの場合、自惚れ史観――がまかり通る風潮が将来の日本に利益を生みだすとは思えない。




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