要するに、特攻とか玉砕、集団自決といったタナトスな要素こそ、当時の日本人を動かしていた国民的感情ではなかったかと思います。 民族集団としての日本は、勝ち負けを度外視、死ぬために、美しく散るためにだけ、あの戦争を戦った観があるからです。 そして、後世のヴェトナム人が、勝つため、生き残るため、敵を倒すために発揮したしぶとさ、粘り強さ、頑強さといったものをまるで示すことなく、帝国の命運を勝者の前に捧げてしまった。 奇妙とは思いませんか? 祖国を命がけで守る気概のある民衆なら、ヴェトナム人のように戦うはずです。 よく、南京のことがアウシュビッツと並べられますが、これは適切ではありません。 大日本帝国の臣民は、ナチスがユダヤ民族を抹殺したように、中国人を皆殺しにしようとはしませんでした。 ほかならぬ自分たち自身が滅びる気でいたのです。 そう。勝ち目のない戦争をわざと敵側に利するよう遂行するという不可思議なやり方に徹することにより。 その結果、一億の日本人すべてが死んだわけではなかったのですが、大日本帝国なる機構は滅び去りました。 太平洋戦争とは、このような集団性の精神病理が国を動かし、歴史まで変えてしまったという巨大な症例です。 特攻は、そうしたタナトロジーの熱狂が生み出した自滅手段のひとつとして捉えるべきでしょう。 カミカゼ攻撃が道連れに選んだ最大の目標こそ、大日本帝国だったわけです。 |