以下のくだりを読んでもらいたい。 『東洋経済新報社の論説主幹だった石橋湛山は、政府の中国政策をこの上なく厳しく批判しながらも息子を戦死させた。湛山は息子も自分も自由主義者ではあるが、国家への反逆者ではないからこそ、息子は戦地に赴いたと書いている』 (『日本が犯した七つの大罪(櫻井よしこ著/新潮社刊)』から引用) 例によって、右翼陣営一押しのドラゴン・レデイにふさわしく、もっともらしい叙述ではあるが、正直わたしにはすこしも讃美すべきところは読み取れない。 サマセット・モームの言葉を引用するなら、「愚かであるがゆえに不幸を招くような人に心から同情することなど到底できない」のだ。 あえて教訓を引き出せば、祖国という名の共同体に安住し、自分の国を管理する資格を放棄した人物の不幸だろうか。 マッカーサーまでの日本国家は、こうした国体に縛り付けられるだけの人々を道連れに、荒廃への道をジャガーノートのように暴走していった。 だいたい、石橋湛山が本物の自由主義者ならば、トーマス・マンのように海外に亡命しても、故国を乗っ取った軍国主義者らを攻撃し続けたはずである。 事実、大戦後期のイタリアでは、決起した反ファシズムのパルチザンと黒シャツの残党とで、イタリア人同士が殺し合っているのだ。 パルチザンは自分を、「国家への反逆者」どころか、「真の愛国者」と感じたからこそ戦い、その働きによって祖国を戦犯国家ではない、自由主義陣営の戦勝国に位置付けさせられた。 結局のところ、湛山のように国に囚われる者は国を滅ぼす者でしかないのだ。 わたしは前にも語ったが、国家とは「調教するのを怠れば国民を食ってしまう野獣」なのだから、管理の労をねぎらうことで災いをもたらした人々に言い逃れは許されないのである。 櫻井よしこらは一見、心温かくなるような語り口で、郷愁の中の日本と明治以降の近代国家としての日本とを(意図的にか)混同させようとしているとしか思えない。 日本人よ、日本はあなたの国である。 なにがあろうとも、それを幻想や崇拝の対象としてはならない。 家族的な甘えを寄せ、国に食われる者となってはならない。 あなたは、その野獣に運ばれていくところにしか行き場がないのだから。 |