私は第二次大戦の素人研究家であり、細かい枝葉の部分に分け入って意見を述べることは、無知をさらす結果を招きそうなので避けたいところだが、わたしより無知な人士が公然と、恥をさらしてはばからずにいるのを見るにおよび、自分もちょっとだけなら、という気になってきた。 実は先日、古本屋で、とても恥ずかしいことが書かれた本を見つけたのだ。 それは、小林ほしのりという二流漫画家の手になる「マンネリズム宣言」なる単行本である。
この驚くべき虚構に満ちた作中世界では、大日本の帝国軍が、祖国防衛のため立ち上がり、アジアに解放をもたらす正義の軍隊として描かれており、御丁寧にも、作者自身が開戦初期の勇ましく進軍する皇軍将兵を思いやり、「でっかいことをやってくれたなあ」と感涙する場面まであるのだ(「プロジェクトX」じゃあるまいし)。 いくらギャグ漫画家の描いたものとはいえ、この場面はお粗末すぎるが、お粗末なのはそればかりでなく、すべてがその調子だから、古本屋で百円で投売りされているのもわかるだろう。
「マンネリズム宣言」では、国家間の善悪の判定がおそろしく単純で、「悪いのはすべて、日本以外の国」として片付けられてしまい、日中開戦のきっかけとなった北京郊外の盧溝橋での衝突も、真相はどうやら中国側が企んだものらしいのだ(笑)。 まあ、よかろう。 盧溝橋事件を仕掛けたのが中国側だったにせよ、その出来事を「渡りに船」とばかり、中国領土へ攻めこむ口実にしたのは日本軍司令部以外のなにものでもない。 仕掛けた罠に食らい付く相手と判じたから、中国側も仕掛けたのだろう。 果たして、「事件」で済ませられたあの小競り合いを全面戦争にまで拡大させたのは仕掛けられた側ではなかったか。 小林ほしのりは「マンネリズム宣言」で、従来は日本軍によってなされた殺戮の現場と称されていた写真を掲載し、「正しくは、空襲の警報に慌てふためき、防空壕に殺到した中国人同士で押し合い、踏みつけあったための死亡者」と説明している。 南京が陥落するときも、街路を埋め尽くしていたのは、敗走のドサクサで圧死した中国兵の死体だったという(だから、日本軍による責任ではない、というわけだ)。 絶滅収容所で殺されたユダヤ人も、大多数は、毒ガスにまかれるより先に、恐慌状態のうちに折り重なった互い同士の体重で圧死した者だったという。 だからといって、「アウシュヴィッツでは、ユダヤ人同士で踏み殺し合ったのであり、ドイツ軍が手を下したのではない」などと逃げの口実を見いだすドイツ人はいない。 それにしても。 死因が中国の兵隊や民衆によるマス・ヒステリーだったにせよ、彼らを混乱に陥れるきっかけをつくったのが日本機による爆撃であり、日本軍の攻勢だったことを忘れ、犠牲者の死体が写った残酷な写真から日本軍将兵の責任逃れのみを導きだすとは恐るべきセンスの欠如であろう。 また小林ほしのりは、「通州事件」と呼ばれる暴動で日本人居留者が殺された出来事をあつかう段では、中国側の残虐ぶりをしきりに強調している。 まるで、中国人がこれだけ悪辣だから日本軍が攻め込んだのは正義の行動だと言わんとするかのようである。 だが、あの一件は本来、外交で処理すべき問題のはずだ。 自国の居留生活者が何百人も地元民に惨殺されたからといって、現地に大軍を送りこんで制圧するというのでは、二国間の道義はなきに等しい。 あの事件の報道で国民世論が沸騰したというなら、軍が国民の期待に応えた出兵だったことの説明になるが、それで以後に続く、度を超した規模の軍事行動が正当化されるものではない。 パネー号撃沈で米国人はいきり立ったが、だからといって、黄渦論が火を噴いていたにもかかわらず、米西戦争のときとは違い、加害国の日本を相手に開戦するまでにはならなかった。 「マンネリズム宣言」では、あのとき上海になぜ日本軍がいたか? という問いに対し、「欧米の軍隊と同様、自国の租界を守るため駐留していた」という、実に天晴れな理由付けがなされている。 だが、租界を守るとはどういうことを言うのだろう? 境界線を越えてきた侵入者を追い返す防御行為のはずだが。 そうした各国の派遣軍の中で、日本軍だけがどうして、自国租界内での居留民保護という本分を逸脱し、広大な内陸部へと何十万人もなだれ込んでいったのだろう? 自国の民間人が危機にさらされたとき、他国領土へ大軍を進めるのがそれほど正当な行動として通用するならば、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど、小林ほしのりの断じる白人帝国主義諸国がおなじ時期におなじことをしてもよさそうなのに、一九三十年代に中国の領土で中国軍と交戦していたのは、他のどの国の租界駐留部隊より規模の大きな日本陸軍だけであった。 ささやかな日本租界の安全を維持するために、あれほどの軍勢が必要だったというのか? いや。やはり、日本軍は中国大陸そのものを大日本帝国の租界にしようとしていたのであろう。 そう考えたほうが筋が通る。
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