虐殺のメカニズム


 大東亜戦争中、日本中の家庭から徴募された庶子らがなした、常の暮らしぶりからは信じがたい残虐さの謎を解き明かすには、多くの土地の犠牲者たちにとって、日本の庶民が世界一尊大な庶民だったことを理解しなければならないだろう。

 庶民レベルではまことに公平で親密だが、お上には超卑屈、下とみなした人々にはそれこそ畜生に向き合うがごとき態度で臨んだということだが。

 それが人類の集団的性向として自然なことだって?

 そうかもしれない。そうかもしれない。
 日本の庶民の態度は日本の庶民として実に自然なものだった。ただ、日本の庶民でない人々の前でも自然のままだったことが問題のすべてなのだ。

 ここで、日本の庶民が果たして、おのれらの描くイメージ通りの存在だったかについて疑念を提示しておきたい。

 われわれが本当に、巨大な家族のような大集団であれば、これをまとめるための天皇制など存立できるはずがないではないか(もっとも、家族とは必ずしも公平親密な集団ではない。それから、天皇制のおかげで日本がまとまっていると言う気もない)。

 徳川時代、もしかすると徳川時代以前からの身分構造をなお継承した縦型階級社会
 下層部を構成する大多数の人々の間で蓄積されたストレスは相当なものがある。

 虐殺が起きた責を軍事的非人間性というようなシステムの欠陥に帰してはならない。

 他の国々の軍隊と同様、皇軍は国を守るための組織であり(すくなくとも右派の人々は今日に至るも、そうだったと主張している)、防衛活動のすべてから戦争犯罪が引き起こされるわけではない。
 そうではなく、日本の問題は、この国威防衛軍が上に述べたような性向の庶民らによって支えられていたことなのだ。

 日本の庶子たちは、国威を守るという義務への献身の度合いにおいてまことに群を抜いており、生命を捧げるのも厭わぬほどだった。
 しかしながら、皇軍の管理下におかれた異国の人々を虐げてあつかうのが国威を汚辱することになるとまでは思わなかったのである。



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