南京は燃え尽きた




しばらく、南京論争から遠ざかっていた。
ネット上では相も変わらず、「南京大虐殺を否定する研究はいま、最終段階に入り……」とか、歴史修正主義者らがここ数年来の常套句を吹聴しているらしい。
(いつになったら、「最終段階」から脱する気だろう?)
懲りない人たちだと呆れる。

さて。
ぼくらが知りたいものこそ歴史の真実だが、真実の最大の敵は、ネット上で暴れまわる歴史修正主義の一派であろう。
彼らには、ネットも現実と同じで夢想のまかり通る場ではないとの認識に欠ける。数が揃えば史実も変わると思い込んだ危なさを感じる。
あなたが彼らに言い負かされないよう、南京事件について歴史修正主義者と議論するときの注意点を挙げておきたい。


南京大虐殺がなかったとして、
日本が中国に侵攻した事実は帳消しになるんですか?


南京問題を論じるときは、つねにこの「最大テーマ」から離れないこと。
修正主義派がなぜ、中国の一都市での日本軍の振る舞いにあれほどこだわるか、底意を突き詰めるのが重要だ。

南京を攻略した日本軍はあきらかに中央の統制から逸脱しており、さらに国連と袂を分かった日本国家自体が世界の秩序から逸脱する存在だった。
だから、「国際的に孤立した国の軍隊が独断専行で隣国の首都を占領」と記述するだけで、大概のことはわかる。
陣中日誌とか部隊編成とか、細かい資料をもとに路地裏で議論しても、この大事実は動かせない。

にもかかわらず。
左翼側はインテリ揃いなのが逆に弱みになるというか、調べて得たものを自慢する誘惑を抑えられないというか。
それで、「南京大虐殺は捏造だ」と公言する輩をやり込めようと議論を仕掛け、まんまと修正主義派の仕組んだ罠にはまり、足をすくわれる場面があまりにも多い。
無邪気にも、「正しい資料を示せば、敵方はご印籠を突き付けられたように平伏する」と思うからだろうが、あいにく修正主義者というのは事実の湾曲を生きがいとする相手なのである。

完璧な資料というものは完璧な人間と同様に存在しない。
どんな資料にも穴があるもので、向こう側では職業的な巧妙さでそこをとらえ、あなたがいい加減な資料を盾に無謀な勝負を挑んだ愚か者のようにあしらい、もちろん、あなたの資料調査の労に敬意など表さない。

そうしたうえで、「また馬鹿サヨが轟沈!」とか議論に勝ったように喧伝するわけだ。
とっくに決着のつけられた「南京論争」が永久に終わらないかに見えるカラクリがここにある。

だから、左翼さんには自粛してもらいたいところはある。
「資料や証言の小さな矛盾をしつこくあげつらい、大事実全体を否定する」のがまさに修正主義派の手口なのだから、史実の細かく入り組んだ部分でやり合うほど彼らの思う壺にはまりやすくなってしまう。

まこと、南京論争をおのが知識の披露の場にする人たちがどれだけ敵側を有利にしてきただろうか。
あなたの頭の良さを自慢できないのは不満だろうが、大事実にすべて委ねるのがこの場合の英知というものだ。




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