そもそも、だれが「東京裁判史観」に捉われているか




藤岡信勝も小林よしのりも、これを知らないとは言わせない。

戦後二十年もたたぬうち放送され、子供らに受けた「怪傑ハリマオ」「ゼロ戦はやと」など日本軍が活躍するテレビ番組のことを。 さらに同じ頃、当然のごとく日本が善玉、アメリカが悪玉として描かれた数々の少年向け戦記マンガを。

戦後の映画を見ても、「東京裁判史観」なるものの影響など皆無なのは歴然だ。
たしかに占領下では、GHQの規制を受け、好戦的な題材や復讐を美化したものが禁じられた。 鞍馬天狗は帯刀を許されず、素手で悪人を張り倒す有様だった。

しかし、サンフランシスコ条約で独立を果たした途端、日本人は俄然、本音をあらわし、 十五年戦争や皇国史観を正当化する作品が連打されていく。

すでに1960年頃には、南洋や大陸での奮闘を描く戦争活劇、日露戦争を堂々と賛美する映画、わが民族は神代から連綿とつながるのだと大真面目で言い張った映画が出現。
そして、東京裁判を批判するものまで公開されていた。

実情がこうなのに、なにをもって「戦後の日本は東京裁判史観に毒され続けた」と云うのだろう?
まったく、「東京裁判」も糞もないような世相ではなかったか。

昭和の戦争は侵略戦争という通念が出来たのは、そんなマンガやアニメに熱中した子供たちがやがて社会を知り、 日本がヴェトナム戦争で米軍に協力するのに反発、国内が騒然たる状況になってからのことだ。

それまでの庶民はといえば、加害者として被害者を思いやるどころか、戦地や内地での辛い自己体験を反芻するばかりだった。 現在なお主流の「対アジア侵略史観」とは、六十年代長髪世代による反戦運動に礎をおいているのだ。

そうした経緯を忘れ、日本人が終戦このかた「東京裁判史観」とやらに縛られたかのように言うとは、 戦後を生きながら、戦後史の認識がないのもはなはだしい。

藤岡信勝や小林よしのりはまた、戦後の人の努力すら無視している。

敗戦時、日本人の誰もが心の平衡を保つのに懸命だった。
「正しい者が敗れるはずがないと思ったが……こうなってしまったのは、戦争目的が間違っていたか、戦争のやり方が下手だったか……いや、両方かも……ともあれ、日本が戦争で失敗したことは認めなければ」

これが、挫折から教訓を引き出そうとする普通の人の考えることであり、 実際に、そうした問いへの答えを求める努力の集積によって戦後の社会は是正されていき、復興と発展の礎が築かれたわけだ。
幾百万の働き手を削がれ荒廃した国土からの再出発にしては、まさに「偉業」と呼べるはずだが、「自由主義史観」信奉者の手にかかれば、「戦後の日本は押し付けられた民主主義教育に毒され……」という例の決まり文句で片付けられてしまうようだ。

彼らにとって戦後とはまるで、屈辱的で自虐的な忍従を余儀なくされた国民の暗黒時代なのである。
太平洋戦争の規模と戦果をしのぐ巨大な成功例が目の前にありながら、大失敗をもたらす選択となった軍国主義のもつ倒錯美しか見ていないとは恐ろしい連中ではないか。

そもそもから、東京裁判を公正な裁判と思う者など、相当なアメリカびいきの中にもいるとは思えない。
「自虐史観」「親米ポチ」など、よほどの愚か者でなければ使わない言葉だろう。

にもかかわらず修正主義の活動家らはことあるごとに、「戦後の日本人は自虐的な東京裁判史観に捉われてきた」とか、わけのわからないことを声高にがなり立てる。
彼らが異口同音に吐き出す、「東京裁判の呪縛」という言葉を聞くと、
ヒトラーが「祖国を虐げる」ベルサイユ体制のことをやたら槍玉にあげたのを想起させ、
正直、背筋を寒からしめるものがあるのだ(笑)。

まあ、案じることもなかろう。
今後とも、「東京裁判史観」に捉われる者がいたとしても、そうやってまさに「東京裁判史観」という造語をさかんに用いる一部日本人だけなのは自明のことだから。

まったく、ずれてる連中だ。





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