「悪童島9」


                        



「あら、やだ」
 お軽は、懐中紙をほうり捨てた。
 血染めの紙包みがほどけ、何枚かの硬貨が音を立てて散らばる。
「でもさ。これで、はっきりしたことあるじゃん。賊たちはね、物を盗るため押し入ったんじゃなかったの。招かれた人たちを皆殺しにする、それだけが目当てだったわけ」

「どう? お軽の名推理。なかなかのもんでしょ」
 モモはといえば、凍りついていた。
 お軽がすっかり変わってしまったように思えてならない。
 実際には局面に応じて使い分けられる彼女の顔のひとつを見せられただけだが、モモにはお軽のこの部分の顔は断じて受け入れられなかった。

 お軽はそんなモモの心境をよそに、開き直った態度で片っ端から死体の懐を探り、所持金を出して見せる。
「ほら。この人も。それからさ。この人も。見て、見て、見て。誰も、お金を盗られてないじゃん。だからさ……だから……ほんとうに、だからね……ゴホッ! このお金。あたいらが持ってってもわかりゃしないよ。みんな、賊に盗られたって思うから」

 モモはついに、我慢していられなくなった。
 お軽に、無言のまま静かに迫っていく。
「あ、なに? なによ、その雰囲気? ちょっと。ちょっと、迫らないで。あ、あの……あたいの体に御用があるなら、お安くしとくけど」
「この外道!」
 びった〜〜ん!

 お軽の頬にモモの平手打ちが見舞った。
 頬を打つ刹那、憐憫の念がはたらき手加減したつもりでも、そこは桃太郎の怪腕である。相手の身を力いっぱい突き飛ばすのと同様の威力を発揮した。
 お軽には、たたずむ場にその身をとどめる術などない。
 彼女は、両手に虚空をつかませながら宙を背面泳ぎするように、バタバタと十歩以上も後退させられるうち公家の死体に足をとられ、あお向けに転倒、折悪しくの位置にあった頑丈なヒノキの柱に強く頭を打ち付けた。
 これはいかんことをした、とモモは観念した。

 殴ったよ。女の子の身に触れたこともない、この手で。

 お軽は「う〜」とうなり声を発し、身をピクピクひきつらせる。
 そのまま再起不能に陥るのかとモモは焦ったが。
 いきなり。
 ゾンビが跳ね起きるようにガバ! と身を起きあがらせると険しくも狂おしい目で睨みつけ、モモをもっと焦らせた。

「われ、何さらすんじゃ!」
 お軽は人格を変えた。
 表情も、物言いも、まるで何ものかにとり憑かれたようになっている。
 どこか自分の立場を飛び越えた高所から相手を裁くかのごとしで、身の動きまで誰かから操られる感じにギクシャクしたものだった。
 こういう反応は人が言い知れぬ仕打ちを受けた際に見られることがあるという。
 ヒステリーの一種ともされるが、定かではない。

 モモのほうは、口調を変えずに応対する。
 お軽に対して生じかけた特別な思いは吹っ切れていた。いや、吹っ切ろうとした。
「いいですか。これほどの罪が犯された場にあってですよ。罪人(つみびと)を探して成敗せねばならぬときに、わたしたちまで罪を犯してどうします?」

「ぬかすな。その口ぶり、われは耶蘇か? 偉そうに言いおるが、われもまた、か弱き女子(おなご)に手を上げたではないか。危害もくわえぬ者に暴行はたらくとはなんぞ」
 暴行って……。うわ、人聞きが悪い、とモモは思った。
 女の子とキスの機会もないのに、暴行者だと呼ばわるなんて。

 それはともかく。
 お軽に何がとり憑いたかわからぬにせよ、言うことはまるで信用ならないと思った。
 宗教には詳しくないモモだが、どこの神仏がお軽がなそうとしたような墓場荒らしに等しい行為を正当化するものだろうか。
 高みからのいかにも公平めかした言いようながら結局、彼女の口から出るのはお軽自身の非道を擁護するためだけの言葉ではないか。
 彼女以外の者、たとえば賊による犠牲者の視点がまるで欠落しているのだ。

「お軽さん。エホバもアラーも仏陀もクリシュナも、いったいどこの神仏が死者からお金を掠め取るなどという行為をお許しになりましょう。いずこの神もみな嘆いておられるはずです」

「え〜い、黙るのじゃ。黙れ、黙れ、黙れ! うう〜〜っっ!」
 お軽は野獣じみたうなり声を上げながら、モモに襲いかかってきた。
 モモにはケダモノの言葉なら聞き取れるが、彼女の発する咆哮はまったく理解を絶した。
 そんなお軽が怨恨に満ちた形相で迫ってくる図には恐怖をおぼえるしかない。
 お軽は、着るものがはだけるのもかまわぬといった剣幕でモモの身に我武者羅(がむしゃら)にタックルしてきた。
 モモを組み伏せるなどできようはずもないが、抑えるのも難儀なほど目茶目茶に暴れ、悪態を吐きまくる。
「ど突きよったな! この悪たれ! よくも、よくも、か弱い女子(おなご)をど突いてくれたな! われ! この慈母観音さまが成敗してくれるわ!」

「静まりなさい。お軽さん、静まるのです」
 けれども相手は観音さま。モモの言い聞かせでは静まる気配などない。
 慈母観音は腕の中ジタバタあがき、まるで悪魔に憑かれねば口にできない言葉ばかりを叫ぶのだ。
「この無職! 童貞! 低学歴! 土百姓! てめえ、在日だろ! 東亜解放! 八紘一宇!」
「お軽さん。そんな2ちゃん族みたいなこと言ってはいけません。傷つく人が大勢いるのです」
 モモはといえば、女性からもケダモノからも愛される好感度百パーセントの主人公でありたいと思い続けてきた。
 しかるに観音さまから童貞などと嘲られては、立つ瀬がない。

 ええい、めんどうだ。
 モモはテレビや劇画でよくあるように、みぞおちを拳で一突きし、錯乱する少女の意識を失わせようとした。
 ぐふっ!
 ここで、胃を突かれた相手がにわかに強烈な嘔吐の発作をもよおしたなどと、実際がモモの予想といかに食い違ったかということは詳述しない。
 お軽の意識は苦痛とともに遠のき、モモの前にへたり込んだという意味で、ともあれ目的は達せられたといえよう。
 足元にうずくまるお軽を見下ろしながら、モモはしばし途方にくれた。
 あ〜あ、やっちゃったよ。こんな時に。


 そのとき。
「貴様、何をしている?」
 敵意のこもった男の野太い声が投げかけられた。
 モモが声のしたほうを向くと、なんと広間の入り口に、長刀(なぎなた)をかまえた一人の僧兵らしき装束の男がいかめしい顔で立ちつくしている。
 この場に立ちあいながら逃げも隠れもせずにいる堂々たる態度や声音、状況全体への反応などから、かくも無慈悲な殺戮をなした賊の一味でないことは察せられる。
 どこからか駆けつけてきたのだろう。

 あの男にはきっと、今の場面を、狼藉者が小娘を手篭めにせんとしたものの相手が暴れるのに手を焼き、力づくで抵抗力を奪ったところに見えたに違いない。
 もしかしたら、この大虐殺まで自分が下手人の一名であるかのよう思われているのでは。
 モモはそこまで先読みし、これはまずいぞという気になった。
 自分が社会的に正義の士として是認される存在だとの意識(アイデンティティー)がぐらついてきた。

 しかし、彼は桃太郎だった。
 難題で追い込まれても、ただちに切り返す胆力が備わっている。
「貴様こそ、何をしている? いきなり現れたそちらこそ、先に名を名乗れ」

 僧兵は憮然とした面持ちで、応じた。
「俺の名は、当千坊一強(とうせんぼう・いっきょう)。小椋大納言時盛さまの一の家来よ。だが、ここは俺が仕える主(あるじ)の館。貴様ごとき得体の知れぬ小童(こわっぱ)から誰何(すいか)される筋合いはない」

 なんと。この男は味方ではないか。小椋大納言でつながっている。

「自分は桃太郎。小椋大納言さまからの書状によるお招きにあずかり急ぎ駆けつけたところ、この惨状が待ち受けていた。何が起きたかまったくわからず戸惑っている」

 当千坊はモモの答弁に小椋大納言の名が出てきたこともあっていくぶん態度を軟化させたものの。なお疑わしげだった。あんな場面を見てしまっては無理もなかろう。
 当千坊の頭には、かかる殺戮の場で少女に乱暴する姿がモモの第一印象としてインプットされたに違いない。

「その女子(おなご)は? 貴様が手篭めにしておるよう見えたが」
「道案内のため同行してくれた娘だ。修羅場を見たあまり錯乱し、わたしに飛びかかってきたため仕方なくこうして鎮めたのだ」
 モモはいくぶんの嘘を混ぜた。
 盗みを働こうとしたお軽を守るためだった。
 しかしモモの心根など知るよしもない相手はまったくの虚言として受け取り、疑いの念を強めただけらしい。

 そこへ。
 当千坊の仲間がぞろぞろとやって来て、加わった。
 僧兵もいれば、侍の格好をした者、間者のように頭巾で顔を隠した者もいる。装束に違いがあるとはいえ、みな強そうだし抜け目のない面構えだ。
「何者だ、この童(わっぱ)めは?」

 仲間と一緒になった途端、当千坊の態度は一変した。
 強面だったのがスケベそうに歯をむき出すと、破顔大笑して言い放つ。
「この小童(こわっぱ)が、女子(おなご)にセクハラしておったぞ」
 案じたとおり、当千坊はモモの言ったこと(半分は事実だが)をまったく信じていなかった。
「なに、セクハラだ?」
 一同、大笑い。
 わっはっはっはっはは!!
「この修羅場でか?」「他になすことがあろうに」「恥ずかしい奴だ」

「そこの小娘を力づくで組み敷こうとしてだな。思い通りにならず、拳で一発」
「悪い小僧じゃ」「女子(おなご)はもっと柔(やわ)に扱え」
 これではモモといえども、抗弁せずにはいられない。
「違う。女の子のほうから飛びかかってきた。必死で抵抗したのはわたしだ」
「それで思い通りにならず、拳で一発か」「おなじであろうが」「見苦しい奴だ」
「違う。違う。違う!」
「セクハラ小僧め、やましいところがなければ検非違使の前で申し開きしてみよ」

 ええい。大事なのは、この殺戮を誰がやったかということで、この桃太郎がセクハラしたことではなかろうに。
 なんだ、この連中のずれっぷりは。
 この大規模殺害現場にありながら、是もなく命を奪われた一人びとりが目に入らぬというのか。

 そのとき。
「不届き者を捕えましたぞ」
 当千坊の仲間がまた一人あらわれた。両手で一体ずつ、激しく暴れるものを抑えつけている。
「厨房で怪しい物音がするので覗いてみたら、こやつらが。しまってあった肉や残り物を引きずり出し、食い漁っておりました」

 あ。犬と猿。
 だが、すでに主従関係は解消した間柄だ。
 モモは知らぬふりを決め込もうとしたが、犬と猿とはモモの姿を認めた途端、拘束を振りきって一散に駆け寄ってきた。
「おやぶ〜〜ん!!」
 来るな。来るな。
 モモの思いをよそに、犬と猿とはモモの身にしがみつき、必死で訴えた。

「俺ら、探したもの食ってただけなんだよ」「なんで泥棒扱いされにゃあかんの?」
「なんでって。ここはよそ様の家だろうが。おまえたちケダモノがうろついてよい場所ではないのだ」
「そんな〜〜っっ」
「キジはどうした?」
「あいつ、ヤバくなると厨房の窓から飛び立って、自分だけ逃げちまいました」
「鳥目じゃなかったのか」
「ウナギ食ってビタミンAたっぷり補給したから、もう平気だって。あいつ、信用ならねえ」

 当千坊と仲間らは、モモとケダモノたちが会話を交わすところを、にやにや笑いながらも不可解そうに見やっている。
「おまえの子分か」
「保健所送りにならぬよう面倒を見てやっているだけだ」
「たいへんな賊の一党が押し入ったものだわい。ボスは小娘をセクハラ、手下どもは厨房で盗み食いとはな」
 わっはっはっはっは!!

 モモは黙っていられなくなった。
 ことと次第によっては、この連中と一戦交えたいとさえ思った。
「おまえたちこそ、何をしていたのだ? これだけの数の賓客、踏み込んだ賊の手にかかるままにしておき、今頃になって現われるとは。今の今まで、何処にいた?」

 だが。
 答えはモモをして心乱れさせるに十分なものだった。
「わしら今まで、鬼の国の使節が滞泊するホテル都パレスの大広間にて、鬼姫さまの歓待(おもてなし)にあずかっておったのよ。昼間の働きの礼として、一同みな招かれてな。帰ってみたら、このザマじゃ」
 ホテル都パレス……鬼姫さまの歓待(おもてなし)……一同みな招かれた……。
 モモに残念な思いがなかったと言えば嘘になる。

「山海の馳走をならべた大盤振る舞い、飲めや歌えやの大賑わい、そのうえ美女ばかり揃えての熱烈歓迎(おもてなし)。さらにじゃ、鬼姫さまみずから舞を踊ってな。たいそう麗しい姿を披露なされ、まるで天女のようじゃった。人の女でもあれほど美しい御方はまたとなかろう」
 モモはまったく爪弾きにされた思いがした。
 こういう状況は、やはり心痛い。
 しかし。
 では、小椋大納言からのあの招待状は何なのだろう?
 そもそも小椋大納言はこの屋敷の主である。これだけの客を宴に呼んでおき、放ったままにして自分は他の宴に顔を出したのか?

 モモのそんな思案をよそに、大納言の家来たちは問い返してきた。
「それより、おまえ。どうやって、このお屋敷に入った?」
「あなたがたこそ、どうやって入ったのですか?」
 反射的に、モモもさらに問い返す。相手についてわからんことだらけなのはモモも同じだ。
「裏の通用門からに決まっておろう。われらは小椋さまの従者、身の程というものがある。まさかおまえ、正門から入ったのではなかろうな?」
「わたしは小椋大納言様からの書状で呼ばれたのです。客として招かれたうえは正門からお訪ねするのが礼というもの」

「門番がいたであろう」
「門番は死んでおりました」
「だから、どうやって門から入った」
「自分でこじ開けたのです」
「あの門扉はめったな力で開けられんはず」
「たしかに。力を入れ過ぎてしまい、すこし壊れました」

「さては臆面もない小僧め」
 当千坊のすぐ隣りでモモたちを面白そうに眺めている頭巾で顔を覆った男が、嘆息する。
「しかしだ。親方さまがこんな童(わっぱ)を招来するものか」
 当千坊は傍らの頭巾の男に同意をうながすように、疑問を呈した。

「わたしは昼間、鬼の国の姫君を襲った暴徒たちと戦い、勲功を挙げました。その働きをお認めになり、小椋さまはこの桃太郎を従者に取り立てたいと言っておられるのです」
「おまえがか?」
「あなたがたはあの場所に遅れて駆けつけたが、そのときわたしとケダモノたちの奮闘をご照覧なされたはず」
「知らん」
 モモは唖然とした。

「おまえがあの場にいたとしても。われらいずれも暴徒の群れとガチで対しておるとき、サポーター気取りで旗振りまわしてわめくような童(わっぱ)を目にとめる猶予などないわ」
 嘘をついてるとは思えない表情だ。
 素っ気ない返事の中にこそ、すべての答えがあった。
 この連中はほんとうに見ていない!
 自分らが手柄をあらわすのに懸命で、誰一人としてモモたちの働きには気を止めなかったのだ。
 そういうものなのか。

「この桃太郎をサポーター呼ばわりするとは何事か。鬼たちの先陣を切って戦ったのだ。嘘ではない。暴徒たちを押しやったあと、鬼姫さまからじきじきに礼を言われ、親しく話し合った」

「おまえがか?」「では、なぜ我らとおなじに、鬼姫さまから宴に招かれなんだ?」
「それは……」
「ほんとうに鬼姫さまと親しうしたというのなら、金一封のほかにサイン入りの色紙も賜ったはず。ほれ」
 当千坊は懐から証拠の物品を大事そうに出し、自慢げに見せた。
 何人かの仲間もおなじ真似をする。
 あ。
 もらい損なった!
 モモは地団太踏む思いだった。

「やはり、もらっておらんのか」「怪しいな」
「だが事実だ」
 モモはきっぱりと肯定した。
 事実なのだ。あくまでも事実だ。暴徒らを撃退したのも、鬼姫から感謝されたのも、そしてお軽を暴行しようとしたわけでないのも、すべて、事実以外の何ものでもない。いかに信じられずとも、モモには肯定し続けるしかない。
 嘘でやり過ごせない自分の悲しい性(さが)だと思った。

「事実と言うなら。小椋さまから家来に取り立てる書状が来たそうだが、それを見せてみろ」
 あ。
 モモは足元でへたり込んだお軽に目をやった。
 手紙はお軽に渡したままだった。いまは彼女の懐にある。

 モモはしゃがみ込み、お軽を抱え起こす。
「お軽さん」
「う〜ん」
 その身をやさしく揺さぶった。

「あれあれ」「たまげたな。お軽じゃないか、その娘」「信じれんわい」
 突っ伏していた娘の顔を見極めると、男どもは口々に、感嘆の声を発した。
「お軽を一発とはな。あの小童(こわっぱ)め、やりおるまい」
 なんとこの娘、男たちと知り合い同士だったのか。

 モモがますます混乱の度を強めるうちに、お軽は意識を取り戻した。
 彼女は自分がモモの腕の中にいるのを悟るや、ビク! と恐怖で打たれたように反応し、自分の身に回されたモモの腕を振りほどこうとした。モモには抗う彼女の思い通りにさせるしかない。
 お軽はさらに必死で後ずさりしながらモモから距離をおこうとする。
「やめて! ぶたないで!」

 男たちは声高く笑った。
「見ろ。嫌われておるぞ」
 モモには立つ瀬がない。
「お軽さん。書状を返してください、小椋大納言からの。あなたの懐の中にあります」
 お軽は邪魔なものが懐にあるのに気付いたという態度で書状を胸元から取り出すと、厄介払いするように畳の上にほうり捨てた。
 モモはそれ以上お軽にかまわず、封書を拾い上げると、当千坊たちに突きつけてみせた。
「これが、小椋大納言時盛さまより賜った書状です。わたしたちが公園で晩飯を……ば、晩餐を、どこの店でとろうか思いめぐらしていると、使いの方がお見えになり手渡されました」

「ほお……その使いの名は?」
 頭巾をかぶった男が訊いてきた。
「いえ、お名前はうかがっておりません」
「公園で受け取っただと? 自分の家ではなく? 書状というのは自宅に届けられるものだぞ」
「それは……」
 頭巾の男の目が光り、ほくそ笑んだように思えた。嘘を見透かされたのだ。
「まあ、よい、しかしその使いの者にはなぜ、おまえが公園にいるとわかった?」
 はて。なぜだ? 深く考えなかった。本人もずいぶん探したと言ってたし。あちこち訊きまわって探り当てたのだろう、だから手渡すのが、招来の刻限ぎりぎりまで遅れたとモモは理解していたのだが。

「ともあれ。これぞまさしく、小椋大納言時盛さまよりの書状。目をお通しになればすべておわかりいただけます」
「どれどれ」
 男たちはモモから受け取った書状を無作法に開き、覗き込んだ。
「ぎょえっ! なんじゃ、こりゃあ?」


『わたしの愛しい殿方へ。 なぜにいつもいつも、つれなくするのです。 わたしがこんなだから?  わたしだってこんな自分でありたいわけじゃないけど、こんな自分であるのは仕方がないことで、でもこんな自分の価値を認めてくださる御方がいたならばこんな自分のすべてを捧げるつもりでいるのよ。
あなただって、一度はお情けをかけてくれたじゃないの。 「そなたには傍らでなければ見えぬ魅力がある。傍らにおる機会は滅多とないが」と言い寄って。
ああ。 あの夜、都パレスのあの部屋で、盗んでいったわたしのハートを返して。
わたしあれから、幾夜も幾夜も待ちました。 けれども、もうダメ、限界、支払期限。 今宵の亥の刻、小椋大納言様のお屋敷のそばにある神社の境内で待ってるわよ。 来てくれなければ呪いかけて、一生うだつがあがらないようにしてやるから。ひひひ……』


 みなが当惑する中、頭巾の男はふっふっと笑いはじめた。
「親方さま、こんな趣味もたれておったか」
「いやいや」
 当千坊の問いに庵石寺という別の僧兵が、しごく生まじめな物言いで否定した。
「親方さまの手紙なら読んだことがあるが、これは字が違う」

 気配が怪しい。
 モモはお軽を怯えさせぬよう気を使い、できるだけ丁重な物腰で近づくと、やわらかく問いただした。
「お軽さん、手紙が違いますよ。あれじゃない。わたしが小椋大納言の使者から受け取った書状のほうは、どうしたのですか?」
「あ、あれだよ、あれ。あたい、手紙なんてほかに持ってないもん」
 モモは絶句した。
「だって……だって……あなたは文面を読み上げてくれたじゃないですか、公園で。小椋大納言がわたしを屋敷に招いてるって言いましたよね。あれでは、内容がぜんぜん違うでしょ」

 お軽はモモにしか聞こえないほどの小さい声で囁いた。
「あたし……あたし、ほんとうのこと言っちゃえば、字がろくに読めないの。日時とか名前とかわかるけど。あの手紙に書いてあるって言ったことは、だいたい当てずっぽうなんだよ」
「それじゃ、小椋大納言がわたしを従者に取り立てるというのも……お軽さんの創作なんですか?」
 モモの人生でこれほど絶望の思いにとらわれたことはない。
 お軽は嘘つきで、モモの栄達も夢だったのだ。

「まんざら嘘でもないでしょ。だってさ。立派な身なりの使者があんたみたいな浮浪児にうやうやしく手紙を渡すところ見たら、きっとそうだって思うじゃん。小椋さま、会いたい時刻まで指定してたから、これはてっきり……」
「読めないならなぜ、読んであげるなんて申し出たんです」
「あんたと使者とのやり取り聞いちゃって。あの小椋さまがあんたに書状ってどんな内容なんだか、ちょっと興味あったから」
「そもそもほんとうに小椋大納言本人の書いたものだったのですか? あの連中、字が違うと言ってますよ」
「小椋さまがほんとうに出したものかまで確認できないよ、あたしの読解力じゃ」
 ああ……嗚呼(ああ)!

 結論がわかっていたとはいえ、モモはなんとか、あの手紙が本物なのだという根拠を探そうとした。
 いや、自分が本物だと信じてしまった根拠をだ。
 まだ幻想にしがみつきたかったのかもしれないが、騙されたことで自己を免罪する心の動きでもあった。

「でも……でも……別人の手紙だとすると解せないことが。この屋敷にくる途中、表通りで警吏に呼び止められたとき、あなたはあの書状を見せて、職質をかわしましたよね。何度も。あれこそ、まごうかたなく小椋大納言の書状であるという証なのでは?」
「それは違う」
 頭巾男が、モモの最後の希望を一蹴するように言い放つ。
「警吏の者はお軽の差し出す書状を見たのではない。お軽の顔を見て通したのだ」

 お軽は頭巾の男に向かってうなずき、それからモモに囁いた。
「あたし、顔パスが利くの、このお屋敷のまわりでは」
 え? え? なぜに? どんな事情で?
 モモは、ガタッと調子が狂う思いがした。
 この屋敷の門扉を開けて以来、自分の常識が通じない世界に足を踏み入れてしまったのだろうか。

 頭巾男はそんなモモの揺らぐ思いに気遣いもなく、さらに気を害することを言う。
「さては、この手紙。賊のうち誰かに女から送られてきて持て余していたものを、小椋大納言の書状と偽っておまえに渡したのだ。おまえが文盲で、書いてあることなどわかるまいと踏んだに違いない」
「なぜわかります?」
「おまえの人となりだ。かような手紙を女から届けられるようにはとても見えん」
 仲間たちは一斉に呵呵大笑し、モモはますます不快になった。

 まったく、この頭巾男ときたら気にさわって仕方がない。
 人の心情を踏みにじることばかりずけずけと言いやがって。
 強い者に囲まれた威を借り、分際以上に出しゃばってくるという、いやなタイプだ。みんなの前で投げ飛ばしてやろうか。
「なんだ、おまえは。さきほどからやたら偉そうに。自分は顔を覆面で隠し、この桃太郎を面白そうにじろじろと。その頭巾を取って、顔をさらせ。さぞや面白い顔をしているのだろう」
「ここで顔を見せるかさらすかは、わたしが決めることだ」
 頭巾男はモモが凄んでみせてもまるでこたえる気配がない。
「おまえが嘘を言っているのでないのはわかるのだが。心を偽れぬのと昂ぶりを抑えられぬのとは、また別のこと。なにより、ここは他人様の家だ。ほんとうに招かれた身なら、もう少し口を慎むがよい」
「その口ぶり。この館の主のつもりか?」
「いかにも、小椋大納言時盛だ」




( 続く )




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