「アレが見えるの」


その六     祈祷式

このイメージ画像は描画ツール「NovelAI」で制作されました。



 御影はそのまま向きを変え、バタバタバタと遠くへ逃げてしまった。
 あとには御影のお父さんと悲鳴に驚いて集まった家族や教団の人々、そして僕が残された。
「御影の奴、なんて挨拶の仕方だ」
 黒石支部長は若い訪問客の手前、いましがた自分の娘が見せた礼を失するような振る舞いを笑ってとりなした。
「はっはっは。きっと学校の友だちがいきなり自分の家に来てたもんだからビックリしたんでしょう。しかし男の子がいるからって、あんな恥ずかしがって奥に引っ込んじゃうとは。あいつもお年頃なんだな。はっはっは」
 みんなもつられて笑った。御影の異常な反応は、そういうわけかということで受理された。

 このおじさんの鈍感ぶり、わかった気がする。父親だったら娘が悲鳴をあげて逃げたとき、顔赤らめたか顔面蒼白だったか見分けられそうなもんだが。
 まあ無理もないか。黒石氏には御影とちがって、僕の周囲にいる幽霊が見えないんだから。

 ところで、悲鳴がきっかけでその場に揃った御影以外の教団支部の人々――これから始まる夕刻の祈祷のため礼拝室に来てた――は僕という新入りに、もう少し丁寧なかたちで歓迎の意思表示をしてくれた。
 人数は二十人ばかり、市井の人々とあまり見分けのつかない感じ。年取った人が多い。数少ない若年者には、僕に教団と御影のことをいろいろティーチしてくれた御影の友だちの志摩敦子もいて、とりわけ嬉しそうだった。新しく入信者を連れてくると教団でのポイントが上がるのかな。

「さて。そろそろ夕べの祈祷の時間だ」
 ここで、黒石氏は立ち上がった。
「体験礼拝をご希望だったね。これから礼拝室で、実際に儀式をエンジョイしてもらおうか」
 そうだった。ここに来た表向きの名目が「体験礼拝」のためだった。本来の目的がいきなり現われ、しかも悲鳴をあげて逃げてしまったのですっかり忘れてた。
 僕は喜んでという反応を示し、黒石支部長や他の人々とともに礼拝室に向かった。

 礼拝室といっても、奥に通される前に通過したところで、店舗だった建物の店の間取りをそっくり転用したものだから、土間のような空間に三十脚程度の折りたたみ椅子が祭壇に向けて並べられた程度の場所だ。
 しかもその祭壇たるや、インド的というか神道的というかなんとも名状しがたい様式の、ゴチャゴチャと飾り立てられた教壇のような場所だった。上方に教祖ボジャイ様の肖像写真が掲げてあるが、威厳とか霊験とかはあまり感じない。ちょっと名状しがたい、ものすごい濃い顔をした人物で、宗教家というより芸人としてのほうがよほど通用しそうだ。

 信者たちはほとんど顔見知りの間柄で、馴れ合ってるようだった。僕と面識があるのは同級生で御影の友だちの志摩敦子だけだ。その敦子は、一緒にいた母親になにか告げ、僕のすわった隣りに席を移してきた。お祈りのやり方を指南してくれるという。

 さて。
 礼拝が始まるのは午後六時からというが、時計の針は時刻を過ぎてた。
 すでに礼拝室にはあらかたの信者が揃ってるのに、思ったとおり御影の姿が見当たらない。
 その理由がどうしてかは僕にはあきらかだった。彼女は僕の出席する今晩の礼拝には出てこないつもりかもしれない。

「御影ちゃん、どうしたの? 来ないと始まんないじゃない」
 信者たちの口々にいぶかる声。御影は祈りの文句を朗誦する役なので、いないと礼拝が執りおこなえないらしい。

 黒石氏は離れた席にいる奥さんを、「呼んでこい」という風に、顎でうながした。
 御影のお母さんが立ち上がり、奥のほうへ消えた。
 しばらくして一人で戻ってくると、支部長に耳元でなにか囁くようにして伝える。
「連れてこい」
 しかし黒石夫人は、夫の耳元でさらに囁いて返した。そうしようとしたけど拒絶されたと言ってる感じだ。
 黒石氏は軽く舌打ちした。
「しょうがないな」
 今度は黒石支部長が立ち上がり、奥のほうへ早歩きで消えていった。
 やがて、父親と娘とでなにか言い合う声、続いて父親が娘を叱るというよりなんだか脅しつけるようなドスの利いた声が奥から聞こえてくる。

 みんな、何事かと聞き耳を立てるうちに、御影が父親から両肩をつかまれ、押されるようにして入ってきた。
 それとわかる、こわばった顔だ。
 祈祷室の中を目線だけですばやく見回し、僕がどこにいるか確かめると――まわりに幽霊が群れてるのですぐわかるらしい――、もうこちらを絶対向かないという確たる意思表示でもするような態度で自分の席にすわった。なに、学校でのいつもの反応ぶりを家の中に持ち越してるだけだ。
 学校のときと違うのは、なぜか僕の隣りにいる志摩敦子を睨め付けるような感じだったことか。
 それにしても黒石支部長は「悪魔も幽霊も、聖殿の入り口に立っただけで退散するさ。はっはっは」と請け合ってみせたけど、あの御影の態度から察するかぎり幽霊の侵入はぜんぜん防げてないんだなあ。

 自分の席に戻った支部長はさきほど娘を脅迫したときとはまるで違う、人の好い声で会衆をうながした。
「お待たせしました、皆さん。さあ、ボジャイ様へのお祈りを始めましょう」
 支部長が音頭を取って、祈祷が始まり、一斉に楽器が鳴り出した。シンバル、鐘、太鼓……それぞれ役割が決まっていて、いずれも古参信者が奏でる。

 しかし、なんたる礼拝だろう。
 けたたましいことは志摩敦子から聞かされてたが、いざ自分がその場に身をおき、臨場感を味わってみると、たまったもんじゃない。まるで夏祭りと葬儀とを一緒にやってるような、厳粛きわまる騒々しさだ。

 カーン、カーン、カーン!
 盛大にシンバルが轟いたあと御影が、おそろしくよく通る声で、祈祷の文句をリードするように読み上げる。
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ」
 これに、信者たちの朗誦が続く。
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ!!」
 御影の単誦。
「何とぞ我らから七難八苦を退け、九死に一命を授けたまえ」
 信者たちの合誦。
「何とぞ我らから七難八苦を退け、九死に一命を授けたまえ!!」
 ピリオドを打つように、鐘と太鼓の音が響く。
 チーン! ポコッ!
 そしてまた、シンバルの連打。
 カーン、カーン、カーン!
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ」
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ!!」
「艱難がどうぞ他所に向かい、我らには至福が訪れますよう」
「艱難がどうぞ他所に向かい、我らには至福が訪れますよう!!」
 チーン! ポコッ!
 こういう調子で延々と繰り返されていく。

 耳栓をしたかったが、それだと嫌味になるだろう。
 やかましいのを懸命にこらえた。吹き出すのをこらえるのはもう必死だった。すぐ隣りの敦子ははじめのうち、慣れた様子で平然としてたけど、僕が失笑すまいとする様子につられるように、何度か口元をゆるめそうになった。あとで聞いたら、通い始めの頃はやっぱり必ず吹き出すので叱られ通しだったとか。もうやめようかと悩んだこともあるという。
 思えば御影は、子供の頃からこの環境でしごき抜かれたんだなあ。




この挿絵は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。
大まかなイメージの視覚化で、
必ずしも作者による記述通りのものではありません。



 その御影だが、完璧にはまり役をこなしていた。
 学校での話しぶりでは想像できない、一種独特の貫禄を発揮して、祈りの文句を詩吟でも読み上げるように、音楽的な韻律をつけて滔々と朗誦する。ほんとうにくだらない祈祷文なのに、彼女が読み上げるととても迫力があり、詩文のような響きをもって効果的に耳に迫ってくる。
 礼拝所の面々では目立たない存在としてありながら、実際はオペラのプリマドンナのように、場の空気を自分のものにしてるなと感じた。

「御影ちゃん、すごいでしょ」
 傍らの敦子が、僕の関心の向きを察したらしく、同意を求める言葉でこちらに調子を合わせてきた。同調することで同じ位置に立ちたいかのように。
「サマになってるもん。まるで本物のボジャイ様の巫女みたい。あたし入信したのも、御影ちゃんのあの姿に感化されちゃったところがあるのよね。あのおとなしい子があんなに変わっちゃうんだもん。憧れみたいなもの感じたの」
「ボジャイ様の巫女って、なに?」
 敦子はなぜか、話をはぐらかした。



 礼拝終了後、ちょっとした会食の場がもうけられた。信者一同でテーブルを囲み、簡単な食事を供しながら打ち解けあう時間だ。冷麦とかき揚げ、のり巻き、番茶などが並んでる。
 御影はこれに加わらず、さっさと奥のほうへ引き上げていく。
「あたし、おなか減ってない」
 娘の不愛想ぶりを母親が背後からたしなめた。
「これ食べないなら今夜はもう、ご飯ないけど」
「いいよ」

 黒石氏のほうは上機嫌だった。
 会食の場では僕に傍らの席が与えられた。僕の入団はこの人の中ではすでに内定済みのようだ。
「よし。今度の日曜日、入団式やろう、入団式。新しい信者、守屋護くんの入団式」
「どんなことをするんですか?」
「面倒なことは何もないよ。ボジャイ様に忠誠を尽くすための儀式だ。ただし、念入りに身を清めてきてほしい。神聖な儀式だからね。あとは、教えるとおりにしてくれればいい。それできみは立派な教団員。入団式終わったら、みんなでバーベキューしよう、バーベキュー」
 周囲の教団員たちのほうが悦んでる。
「バーベキューかあ」「ひさびさのご馳走だ」「肉なんてお祝いのときしか食べれねえもんな」
 神聖な儀式とバーベキューとどう関係あるんだといぶかったけど、なんのことはない、新人の参入をダシに、古参仲間で飲み食いして親睦を深め合うってことなのか。

 僕は支部長の好意につけ込んで、ある依願をおこなった。
「誰かを連れてきてもいいですか?」
「誰かって、ご家族かな?」
 ぼくは三田のおねえさんを想定してたけど。おねえさん、こういうの好きそうだから、入団式の様子がどんなだか見せてやりたくなったんだ。
 でもその申し出は、丁重に断られた。
「ダラネーナ教団はひとつの家族だよ。入団式の後ではここにいるみんなが、血と肉を分け合ったきみの家族になるんだ。きみのご家族も入信したいというなら、話は別だがね」
 あ、無理。あの母親とあの父親じゃ絶対、無理。息子がカルト教団に関わってるとわかったら駆けこんできて、連れ戻すに決まってる、今日だって内緒で来たし、今回の心ならずの入信も金輪際、親には明かす気ないのに。

 親睦会はカラオケ大会の様相を呈し続けられたが、僕はいまのうち引き上げることにした。まだ高校生だから保護者なしでの外出は八時が門限でと言うと、支部長は納得してくれた。
 帰る前に、いろいろ教えてくれた志摩敦子に挨拶しようと思ったが、消えていた。敦子の母によれば相談があると御影に呼ばれて出て行き、いつ戻るかわからないという。

 教団支部から出てくるときの僕は、思わず知らず、敵の懐深くに飛び込んで足場を占めたような、大戦果を達成した気分だった。とにかく「古代の悪霊」の真相に一歩迫ることができた。
 そう思い込んでた。



 すでに日は落ち、真っ暗だ。
 人気のまるでない楽園通り商店街、街路灯で照らされる廃業した店ばかりの軒並みにはさまれた道を駅のほうへ歩き出そうとすると、どこかの路地裏からだろう、ひそひそ声での会話が聞こえる。聞き覚えある女の子同士の会話だ。

「アッちゃん。困るよ〜」
 御影が志摩敦子と話す声だ。御影のほうが敦子をどこか目立たぬ場所に引っ張り込んで苦情を申し立ててる感じ。
 僕は立ち止まり、気付かれないようにして聞き耳を立てた。
「なんで守屋くんに自宅(うち)のこと教えたの?」
 御影の声は敦子を非難する調子だった。
「いいじゃない。なんで文句言うの? 信者を増やしてあげたのよ」
 かたや敦子は、なぜ御影がそんな困惑するのかわからないという口ぶり。
「守屋くんね、キヨミの仲介であたしに電話よこして、ボジャイ様のこと訊いてきたの。だからあたし、話したげたの。教団の由来とか、いろいろ。それで守屋くん、あたしの話きいて興味もったらしくて、体験礼拝に来たいって言うから、ここの場所おしえたげたのよ」
 敦子の言い方はなぜだか反抗的だ。そう、反抗的。敦子のほうが御影に反抗的って……。
「あたし、何か悪いことやった? 教団の仲間を増やすのも、一人でも多くに七難八苦九死一生の教義を拡めるのも、ボジャイ様の御心にかなうはずよ」
「だからさ。信者を増やすにしても、なんで守屋くん引っ張ってくるの、よりによって」
「いけないわけ?」
「そう。あたし、困る」
「幽霊が怖いの? 守屋くんにとり憑いてる。見なけりゃいいじゃない、どうせ群がってるだけで何にもしないんでしょ」
「何度も言ったでしょ。見るだけで嫌なの」
「だから見なけりゃいいじゃん」
「アッコこそ、なんで守屋くんにこだわるの。特別な理由あるの?」
 ここで敦子は言いよどんだらしく、言葉の調子が急にまとまらないものになった。
「守屋くん、いま大変な境遇でしょ? みんなからまるで疫病神のように見られてて。それで参ってる感じだから、本当に困った様子だったから……可哀想じゃない? 救いもとめてきたなら、助けたげようよ」
 御影の声は俄然、きつい感じになった。
「いろいろ話したっていうけど……。ボジャイ様のことだけ? あたしのことも話しちゃったんでしょ? いらないことまで、何もかも。アッコって、いつもそうじゃない。ぜんぜん秘密まもれないんだから」
「ボ、ボジャイ様は信者同士で隠し事せずに、何でも打ち明けろって……」
「なに言うの。それとこれ、ぜんぜん違うじゃない。守屋くん、まだ信者じゃないし」
「でも今度の日曜、入団式やるって言ってたよ。支部長が」
「お父さん、しょうがないな……」
 御影は、まるで自分が教団を牛耳ってて実務を任せた者がヘマをしたといった口調だ。
「今度の日曜か……ねえ、アッコ」
 心なしか御影は、いっそう声をひそめた気がする。
「もしかして……儀式のことも話しちゃったんじゃない? 入団者の生け贄の儀式」
「あ。それは、まだ……」
 生け贄の儀式だって? 入団者の?
 いま、聞き捨てならない、穏やかならざる言葉が、御影と敦子の間でやり取りされなかったか?
 なんぞ? それ、なんぞ?
 僕はひとりで色めきたった。
 敦子は、これも声をひそめて返事する。いかにも聞かれたらまずいことのように。
「だって生け贄の儀式があるなんて言ったらさ、守屋くん、怖がって来ないと思ったから」
 御影の残念そうな吐息が続いた。
「言ったほうがよかった。知ったら絶対、来ないから」



( 続く )




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