「アレが見えるの」


その九     ミッドナイト・コール



「体調は……もうすっかり、いいの?」
 御影は僕の儀礼的な問いかけは無視し、直入に用件を切り出した。
「なぜ、あたしの名を書いたの?」
 そら来た、という感じの問責だ。まるっきり濡れ衣なのにな。
「書かないよ。僕は別の人の名を書いたんだ。その紙が紛失し、きみの名を書いたのにすり替えられてた」
「どういうこと?」
「………………」
 いや、僕にもわからない。いったい、どう説明しろって言うんだ。説明がほしいのはこっちのほうなのに。

 とりあえず、志摩敦子が封書を持っていき、僕が用事から戻ったらすでに支部長の前に置かれてたのを手短かに語り、したがってこの間に紙がすり替えられたに違いないという当然の推論を述べてみた。
 もとより御影はこっちの言い分を半信半疑どころかまったく信用しない様子で、自分への守屋護のなんらかの感情が黒石御影の名を書かせたという思い込みを変えさせるのは困難だった。

「それ、お父さんに言った?」
「支部長には黙ってた。トラブルもちこんだと思われて、入団取り消しだといやだから」
「何もしてないわけなんでしょ。そっちが潔白だったら、言うべきよ」
 そうだろうか……。
「先週、学校で三人の先生が相次いで怪我したときは、呪いなんかじゃない、僕は関係ない、偶然だと当たり前のことを主張して……」
 我知らず、語調が強まっていく。
「結局、災いをもたらす奴としてクラスのみんなに認定され、ネットで日本中から叩かれる結果になった」
 そうさ。こうなったのも誰れのせいだと思ってる? もとはといえば、おまえが守屋護は幽霊にとり憑かれてるなんて言い出したからだぞ、黒石御影。

「だから今度も、僕が悪いってことにされかねない」
 御影は意外な応じ方をした。
「あなた……教団のみんなが、信者のあなたをそんな風にあつかうと思ってる? 家族なのよ。誓いを立てておいて、みんなを家族として受け入れてないのね」
 家族だなんて思うかよ。赤の他人ばかりじゃないか。だいたい、こんなこと本物の家族にだって言えるもんじゃない。
「教団のみんなが家族……本気で、そう思ってる?」
「そうよ、信者同士こそ本物の家族。それがダラネーナ教徒なの」
 あのう……自分がナントカ教徒だなんて、ぜんぜん自覚ないんすけど。

「あたし、訊きたい。守屋くんあなた、何が目当てで入団したの?」
 懐疑と非難がこめられた口ぶりだった。
「わからない。行きががり上、こうなっちゃったんだ」
「何よ、それ? ぜんぜん話にならないじゃない」
 またキツイ調子で非難する。いままでの御影とどこか違う。たぶん家にいながらスマホを通しての会話だから態度が大きくなってる……とも思えない。遠い距離じゃなく、高い位置から見下す感じなんだ。



この挿絵は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。
大まかなイメージの視覚化で、
必ずしも作者による記述通りのものではありません。



「とにかく、表向きだけでも信者にふさわしくしてちょうだい」
 御影はさらに、小うるさい注文をつけてきた。まるで、自分の指示に従うのが当然といったふうに。
「お父さんから言われたと思うけど、守屋くんこれから毎週、青年部のみんなと一緒に奉仕活動に参加してもらう。そうやって教義を実践しながら修養を深めていくわけ」
「奉仕活動って?」
「駅前や交差点、公園とか人が集まる場所で街宣するの。教団聖歌を合唱したり、小冊子やチラシを配ったり。それから二人一組で戸別訪問してもらってボジャイ様の教えを広めるのも」
 うぎゃーーーっ!
 ほんとうに悲鳴をあげたくなった。とてもじゃないが、僕のような内気で控えめで人見知りする、まさに御影とは真逆な本性を秘めた純情少年には無理難題だ。
 だいいち、そういう場所でああいう連中と一緒になってあの変な歌を合唱なんて、知り合いに見られたら、どう説明しよう。いや、説明なしでも頭にきたとは確実に思ってもらえる。

 あ。見える、見えるぞ、あそこに見える♪♪

 僕は悪夢を払いのけるように、かぶりを振った。
「どうしてもやらないとダメ?」
 御影は、年長者が若輩をさとすように、一語一語に力をこめた。
「怖がらないで。誰でも最初は気おくれするものよ。恥ずかしくもあるし。でも何度もやってるうちに、気持ちよくなってくる。そのうち自分から嬉々としてやりたがるようになるわ。だいいち、これをしなければ一人前の大人の信者になれないんだから」
 おい。きみの言葉はどっかから盗用してきたんだろ、絶対に。

 もはや黙っちゃいられない。
「さっきから聞いてりゃ、こっちの事情も無視して言いたい放題だろ。だいたい、なんできみが命令する? 僕は黒石支部長から入団を認められたんだ。きみにどんな権限があって、僕にそんな真似させるの?」
 御影は、まるで動じずに受けた。
「あの……青年部の信者をまとめる役割で、教団本部から任命された委員がいるんだけど。誰れだか知ってる?」
「誰れなの?」
 いやな予感。
「あたし」
 やっぱり。
 「あたし」と言ったときの御影の地味にほくそ笑む表情が目に浮かんだ。
 人は自己の支配力が行使できる相手に対し、いかに態度が大きくなるかという人間の性(さが)を見た思いがする。

 もう、いやだ。
 教団なんかやめてやる。とてもじゃないが、とてもじゃない。
「僕が気に入らないんだろ? そんなに権限があるんだったら、いっそ入信を取り消して、僕を教団から除名すれば?」
「ダメ!」
 御影は言下に、強い調子で却下した。そう、却下だ。権限のある者が下からの意見具申を取り下げる。まさにそんな感じ。
「あなたはやめちゃダメ。あたしが困るから」
 なんで、きみが困る。
 心から帰依したわけじゃないと打ち明ければ不謹慎だと責め立て、やめたいと本音をもらせば許さないと叱りつける。どうなってんだ?

「きみが……困る?」
「そう。命にかかわること」
 スマホを通して僕の耳に届く彼女の声、か細くて少女っぽい、でもしっかりした物言いは、この身を包む闇を支配するほどに権威的だった。
「生け贄の儀式って、知ってる?」
「アレだよね。歌を歌いながら、福沢さんの顔が印刷された紙幣を献金箱に納める儀式」
「いまはそう。でも以前は、別のことを指した」
 御影は、声をひそめた分だけ語気を強めた気がする。
「入信を誓うとき、大事な人の名前を紙に書くでしょ。あれが何を意味するか知ってる?」
「え? かたちだけのものだろ。こんな大事な人の命に代えても信仰を貫きますと誓うためで、それ以上の意味はないって聞いたけど……」
「違うの。そんな、かたちだけじゃない。ダラネーナ教は本物のご利益をもたらす本物の宗教。入信には見合った代償が必要なの。本物の貢ぎ物、すなわち生け贄が。生け贄の儀式ってつまり、紙に名前を書いた人の命を神様に捧げることなのよ。言ってみれば、大事な人を人質にとられるようなもの」
 人質って……。
「去年までは、こっちを生け贄の儀式と呼んでたの。でもあんまり聞こえが悪いから、入信の誓いなんて言い替えるようになったわけ。あの誓いの紙も、生け贄の書って呼ばれてたんだから」
 ぐわーんとくる思いがした。
 あの夜、御影と敦子で「知ったら、守屋くんは絶対こない」とか声をひそめて言い合ってたのは、これだったのか。

「それで入信者が信仰を守り通せなければ、生け贄は命を召し上げられてしまう、ダラネーナ教の最高神から。そうなったら最期、ボジャイ様にも救いようがない」
 御影の声はだんだん、震えを帯びてきた。
「守屋くんはあたしの名が書かれた誓いの紙を前に、入信を誓った。それであたしは、守屋くんに生け贄として差し出されたかたち。つまり守屋くんが信仰を貫けなくなったら、あたしの命が奪われる。信仰を保ち続けてもらわないと、あたしは死ぬ」
 おい、おい。
「本気で信じてる? 紙に名前を書いただけで命を取られるなんて?」
「実例があるの。恐ろしい実例が、いくつも」
 御影は、言いにくそうに声をひそめた。
「たとえば……インチキちんちん事件って、知ってる?」
 なんだ、そりゃ? 知るかよ。
「うちの支部じゃないけど。たくさん献金したのにご利益がまったくないとか腹を立て、やめていった人がいるの。大きな声で、「糞ボジャイ! インチキちんちん!」と罵って。次の日、その人のお母さんがくも膜下出血で急逝……わかるでしょ? 誓いの紙に、おかあさんの名を書いてたの」
 背筋が寒くなった。
 御影の口ぶりからすれば、嘘じゃあるめぇ。和美おねえさんに言わせたら悪い偶然が重なり合ったにすぎなくても、やっぱり言葉が重なるのとおなじに意味を読み取りたくなる。

 さらに御影はダメを押してくる。
「あとね。もう、あきまへん事件。これ、関西の支部でだけど、自分の子の名を誓いの紙に書いて入信した人。でも信仰がぐらついてボジャイ様を疑うようになり、みんなが止めるの振り切って、「もう、あきまへん!」と号泣しながら退団していった。すると翌日、その人の子供が……プールの下敷きになって事故死」
「なに、プールの下敷きって?」
「折りたたみ式の庭用プール。大型でけっこう重いの。しかも水を満たしたらとてつもない重量。で、その子ったらふざけて、空っぽだったプールの下に潜り込んで寝てたんだけど、いるのを知らずに水を貯められてしまい、重みで脱け出せなくて……小さい子だからペチャンコになっちゃった」
 信じられへん!
 だが嘘とは思えない。それにしても、教団を離れた本人じゃなくて、縁故者ばかり祟られるとは理不尽な。

「取り消しはきかないのかい? 黒石御影の名があったのは誰かの悪戯による間違いで、誓った者の本心じゃありませんでした、って言えばいいじゃないか」
「そういうのは通じないの。ダラネーナ教の最高神に誓った以上」
「あれ? 教団でいちばん偉いのって、ボジャイ様とかじゃなかった? 神様がまた別にいるってこと?」
 御影はまた、僕の言葉をとらえ、棘のある口調で応酬してくる。
「教義について、まったくわかってないのね。そんなことも知らず、よく入信する気になれたものだわ」
 もう、いやだ。
「僕はとりあえず、体験礼拝に参加して教団がどんなところかわかればよかったのに、きみのお父さんが勝手にことを進めた」
「でも、受け入れた」
 すでに御影は、審判を下す口ぶりだ。一語一語が耳に突き刺さる。
「守屋くんは拒むこともできたのに、信仰を受け入れた。もう手遅れ、あとには戻れない。しかもよりによって、あたしを生け贄に捧げてしまった」
「僕じゃないって言っただろ。何者かに書き替えられてたんだ、名前が」
「いまさら泣きごと言っても、ダメ。うちの神様には通じないの。こうなった以上、命に代えて信仰を貫いてもらうから。意味はわかるでしょ? 死ぬのはあたしひとりじゃないってこと」
 御影の声は静かな殺気を帯びている。
「つまり……もし守屋くんが信仰を捨ててあたしの命が召し上げられることになったら、その前に……あたし……守屋くんを……」
 ぞ〜〜〜〜〜〜っ。
 この娘なら本気でやる、と思った。



( 続く。以降、執筆中 )




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