「皆様方には死んでいただきます」
Way of the Killing


第一部   殺しの仲間

この挿絵は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。
大まかなイメージの視覚化にすぎないもので、
必ずしも作者の思い描くものと合致するわけではありません。



「お願い、殺さないで!」
 若い女は悲痛な表情で哀願した。男は、彼女の声を聞き、彼女の顔を見たが、少しも感情を動かされる様子もなく、全裸に剥いた獲物の上におおいかぶさると、女の胸に、硬く握りしめた冷たいナイフをドスリと突き立てたのだ。
 美しい犠牲者のむき出しになった乳房の谷間から、熱い鮮血がほとばしり、画面の中を真赤に染めていく。

 ヒトコがテレビでこんな映画を見ていると、ジジイがつかつかと居間に入ってきた。
「おおっ!」
 ジジイはたまげて、声を上げる。
「またもや、こんな番組にうつつを」
 ヒトコはスナック菓子をつまみながら、平気な調子でソファに寝そべっていた。
「だって、放送(やってる)んだもの」
「くだらんわい。嘘ばかり描きおって」
 ジジイは、ヒトコの手から無線操作器を奪い取ると、電源を切ってしまった。突然、画面から凄惨な殺戮の場が消え失せたテレビは、居間に置かれた家具のひとつでしかなくなった。
 ヒトコは、がっかりしたような声を出して、健やかな全身で伸びをする。
「あ〜あ」
 ジジイは、身を横たえるヒトコの前に立ち尽くすと、せき立てるように言い放った。
「奥の部屋へ来い。修行をはじめるぞ」 
「またあ?」
「日課じゃからな」

 仕方なくヒトコは起き上がり、ジジイのあとについて、広い屋敷を貫いて走る廊下を奥の間へと歩いていく。
 ヒトコは世間的には女子大生である。どこの大学かはまあ、どうでもいい。
 両親はいま、出張で海外にいる。当分日本に戻れぬため、東京での唯一の肉親である、このジジイが屋敷に預かって面倒をみようということになったのだ。
 ジジイの本名は八ツ坂人伍郎<やつざか・ひとごろう>という。
 しかるべき筋では通った名だが、十代のヒトコには、ただのジジイにしか見えない。事実、ジジイの生まれは大正十二年であり、まさしく正真正銘のジジイそのもの。
 しかるに当人は、自分のことをジジイとは思わず、「枯れた老兵」と詩的に自己評価する。
 けれども、ジジイであることに変わりはない。もう、そう長くは生きられるはずがなく、臨終は目前だった。
 ジジイがヒトコに毎日仕込んでいる「修行」というのは、この年頃の娘たちが受ける生け花だ、着付けだ、といった平凡な花嫁修業のことではない。どんな修行かといえば――。


 ジジイの屋敷の「奥の間」は、普通の意味での奥の間すなわち落ち着いた趣きの和室と違う。床が板張りで造られた、なにやら柔術か剣術の稽古場のようなところだ。
 着くなり、ジジイは言った
「きょうは、新しい殺し方を教えてやろう」
 ヒトコは別に驚く様子もなく、そっけない返事を返した。
「もう、飽きちゃった」
「なぬ?」
「お祖父さまが教えてくれるのは、殺すことばかりで、未来への展望がないんだもん。これ以上、人殺しの仕方を覚えたって、就職や結婚で有利になるわけじゃなし」
「たわけ!」
 ジジイは、道場、いや奥の間全体を揺るがすほどの大声でヒトコを叱り飛ばした。
「孫よ、聞くがええ。よいか。人を殺す行為とはすなわち、人を救う行為にほかならぬ」
「だれを救うの」
「むろん、おのれをじゃ」

「人を殺す技、すなわち殺法を習得する者は、つねに時代とともに歩んでいかねばならん。敵に遅れを取れば、敵より長く生き延びれんからじゃ。逆にいえばな。殺法をきわめることこそ、時代に残されず、生き進むためのもっともナウいやり方というもんじゃが」
「とにかくヒトコには、お祖父さまのあとを継ぐ気なんてないの」
 ヒトコは、ジジイに面と向かっては「ジジイ」と言えず、きちんと「お祖父さま」とお呼びしているのだった。
「最初に断ったけど、おもしろ風変わりな感じなので、お祖父さまの秘儀を教えてもらうことにしただけ。いまの世の中物騒だから、いざというとき護身術として役立つし。だけど、自分からだれかを、なんて気はないし、ゆくゆくは結婚して、普通の主婦におさまるつもり」 
「結婚して、普通の生活だと?」
 ジジイは、カラカラカラと笑ってみせた。
「甘い夢など、はじめのうちだけじゃ。十年もすれば、亭主を殺したいという衝動が周期的に訪れるようになってこよう」
「大丈夫。ちゃ〜んと、ハンサムで、スタミナがあって、いつまでも若々しく、愛が持続するようなお婿さんをもらうから」
「そういう奴にかぎって、やたらと浮気ばかりして、問題のタネをまき散らすものじゃ」
「余計なお世話よ」
「言ってしまおうかのう」
 ジジイは、意地悪そうな流し目をヒトコに送った。
「おまえの両親じゃがの。契りあって二十年にもなるが、あやつらの仲が破局的な境地へと至るほどこじれ、たがいに殺し合おうとしたことは一度や二度ではないんじゃぞ」
「うそ!」
 ヒトコの両親にかぎって、そんなことはありえない。娘の目にも、これ以上仲睦まじい中年のカップルはほかにいないのではと思われる熱愛ぶりだし、まさに表彰ものの夫婦生活を営んできたはずの二人なのだ。
 それは子供の頃から見せつけられてきたから、安心して保証できる。
 だが、ジジイは、そんな孫娘の内心を見透かして揶揄するようにペロリと舌を出した。
「わしだけは知っておる……二人とも、おまえと同様、このわしが仕込んだんじゃからな」
 信じられないことだった。ヒトコは、唖然として口を開けた。
「それなら、どうして二人とも、離婚もせずに生き残ってるのよ?」
「たがいの持つ抑止力のゆえじゃろう」
 ジジイは、むずかしいことを言い始めた。
「幸せな結婚生活が送りたければ、夫婦のどちらもが、相手の殺し方をきちんと身につけてから祝言を挙げるべきじゃ。いつでも相手には自分を殺すことができるのだという緊張感が逆に、たがいへの崇敬となって、愛の絆を強める。また、さように一目おきあうことが、失われた愛を取り戻すことにもつながる」
「お祖父さまの言うことって話にならない」
 だがジジイは、ヒトコの抗議に取り合わず、さらに話にならないことをほざいた。
「もともと、人生の真実などというものは話にならないものなんじゃ」

「話にならないものなの? ああ、そうなんだ」
 ヒトコはもはやジジイにとりあわず、立ち去ろうとした。
「待て」
 立ちふさがり、ジジイが制する。
「その話にならないもの、まったく無価値な人生すなわち人の命に値打ちを与えるのが殺道である」

 殺道とは読んで字のごとし、「殺しの道」。おそらくジジイの造語に違いない。なにしろ、Googleで検索しても日本語では出てこない。
 お祖父さま、すごい! Google先生より物知り、とヒトコは思うのだった。
 もっとも、「殺道」の極意がネットで検索できるほどポピュラーだったらたまったものではない。殺しの技とはあくまで秘技でなければ。

「ゆえに殺道を歩まねば、この世の何もかもが無価値のままじゃ」
「わたし、やめる」
 悟りの境地をきわめたおのれに酔った口ぶりのジジイに対し、孫娘の知ったこっちゃないという返答。
 世代の隔絶というより、やはり常識と異常との乖離であろう。
「やめたいとな」
「やめる」

「もう、ついていけない。わたしも大学二年で、秋には二十歳(はたち)。今後は就活と婚活に専念するため、コロス会を退団させてもらう」
 コロス会とはジジイの主唱する殺道を修養した者によって成る組織。
 むろん会長の座にはジジイがおさまっている。
 英語での名称は、ユニオン・コロス(Union Koros)。すでに世界的な規模だ。

「入会時に、退会は死をもって贖うと血の誓いをなしたはず」
「したけど」
 いかにも。入るときは誓いの書に血判を押さねばならなかった。
 ずいぶん大時代な真似するとは思ったが。ハッタリに過ぎないとタカをくくり、軽い気持ちで入団の儀に臨んだのだ。
 だから退会も、軽い気持ちで申し出る。
 そんなヒトコの求めを、ジジイは厳然と却下した。
「おまえはもう、抜けれんぞ」
「え?」
「退会が許されるのは入ってから八日目までの体験期間中だけじゃ。おまえはすでに、二年も修練を積んでおろう。かくたる技量にまで殺しの技を極めたうえは後戻りなどできん」
「二年? 一年半足らずでしょ」
「まあ、よい」
 さすが、ジジイの孫。DNAは争えぬわけで技の習得が早かった。
「後戻りじゃないし。わたし、前に進むのよ」
「進む先はどうでもよい。おまえの前途は殺しの道から外れることまかりならん。もう以前のようには戻れんと心得よ」

 そのうえにジジイは、心根がグラついたことで罰を課した。
「明日、日暮れまでに誰かの命を奪え。さもなくば、ペナルティが課されよう」
「殺す、って……誰を?」
「誰でもよい。目に付いた気障りな者を手にかけるがよい。教えたとおりのやり方で」
 なんたること。ジジイはヒトコに、人殺しをしろと脅迫している。
 冗談で片付かなくなってきた。
「殺さずにおけばどうなるの?」
「おまえの親しくする者、大事に思う者が一命ずつ失われゆくであろう」
「そんな」
 あんまり理不尽!
「おるかの。おまえにそういう大事な者が?」
 ヒトコはしばし、言いよどんだ。
「倉持黄金(くらもち・こがね)というおなじ大学の若い人。入学以来のお付き合い」
 念のため、デマカセを口にした。
 だって、お祖父さまならやりかねないから。
 倉持黄金(くらもち・こがね)というのは色事師気取りでヒトコにつきまとう、軽薄でいやらしい奴だ。彼女を口説いた獲物のリストにくわえるだけのため、見かけるたび執拗につきまとってくる。
 この人なら、殺されても心配いらない。
「ふむふむ……」
 ジジイはニタリと、口元をゆるめた。
「言われた刻限までに任を果たさぬなら、その男の命はないと思え」
「はい」




 もちろん、ヒトコはだれも殺さなかった。




 翌々日。
 ジジイの言ったことは本当なのか、LINEでたしかめた。
 倉持黄金(くらもち・こがね)がどうなっただろう?
 本当だった。
 殺されていた。
 いやだ。お祖父さまったら、ほんとにやっちゃった!
 手を下したのが自分でないとはいえ、ヒトコはいくばくかの罪悪感を抱いた。今後はもう、つきまとわれずに済むとの安堵の思いとともに。

 ヒトコはジジイに詰め寄る。
「お祖父さまがやったのね」
「生きていて欲しくなかったのであろう」
 ジジイはちゃんと、ヒトコの心を読んでいた。
 倉持黄金(くらもち・こがね)は大事な存在どころか、あきらかに邪魔者だった。
 そうとはいえ、殺したいとまで思わない。
 よしんば殺意があっても自分でやったら、手が汚れるし、すぐ捕まるし。
 それにしても、気がかりだった。
 証拠を残さずやってくれただろうか? まかり間違って、自分まで共犯の濡れ衣を着せられることになるのでは?
 いえ。お祖父さまの仕事なら、素人みたいな手落ちはないはずだけど……。

「おのが身に嫌疑がかからぬかと案じておろう?」
 ジジイはヒトコの本音を見抜いたことを言う。
「倉持黄金などおまえの人生において、その程度の価値しかなかったということじゃ」
「罪もない、無関係な人を殺しても?」
「責めがなく関わりもないとは、おまえにとって無価値も同然」
「わたしにはそうでも、人それぞれに価値の基準があるのよ」
「人殺しが他人の価値を思いやって何とする?」
「向こうもこちらの価値を思いやってくれるかも」
 人殺しじゃないし。

「次は、容赦せんぞ。おまえの本当に大事な者の命を奪う」
「そんな! だいたい誰がわたしの大事な人なのか、どうやったらわかるというの?」
「侮るでない。おまえの交友など、調べるのはたやすいわ」
「お祖父様は敵よ。言っとくけど、友だちを手にかけたら、わたしも黙ってないから」
「頼もしいことよ。わしが教えた殺法でこのわしに立ち向かうとな」
「いいえ。良識で立ち向かうの」
 ジジイからカンラカンラと高笑いで応じられ、ヒトコは本気でジジイが殺したくなった。



( 続く )




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