しりょう たいせん
「霊能大戦」
――死んだら、敵になる!――


            

このイメージ画像は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。




リマ2


 最初に思いついたのは、教会へ逃げ込んでマリア様の加護を受けることだった。
 このあたりはカトリック教団の力が絶大で、どれほど過疎な村落にも、こじんまりしているが瀟洒な外観の伝道所が建てられている。
 守ってもらおう。あの建物、あのたのもしい神父様に。
 リマの足は伝道所のある村の広場へと向かった。
 阿鼻叫喚の騒乱の中を、小さな身が突っ走る。
 あいにく。
 誰もがおなじことを考えたらしく、神の家の前は避難する人々でごった返していた。
 この建物にこんな大勢の信者がこれほど熱気をもって押し寄せたことはなかったという混雑ぶりだ。

 けれどもリマは、すばしこい身で大人たちの体の隙間や足の間を巧みにくぐり抜け、すみやかに人だかりの奥へと進み、教会の中まで達した。
 と。頭が、ひときわ大きな人の足にぶつかった。
 神父さまだ。
 リマは体をつかまれ、抱えあげられた。
「おや、おや。天使が飛び込んだかと思えばおまえか、リマ。こんな風に一目散に教会に駆けつける信者ばかりなら、終末も先延ばしできたろうに」

 あの神父は酔いどれだと噂が立っていた。
 もっと高位にのぼり詰める胸算用だったのがこんな辺鄙な地の伝道所に赴任(まわ)されて栄達の望みを断たれ、ふて腐れて、酒びたりになってるのだという。実際、息が酒くさい。
 今夜も一杯やってるときにこの騒ぎが始まってしまい、いよいよ裁きの日かと腹をくくりながらも一気飲みでボトルを片付け、しぶしぶ出てきたといった態だ。
 それでもリマには、崇敬に値する存在。
 いまも神父を見下ろす高さからリマは、真摯な目で見つめる。
「おねがい、たすけて、神父さま(パードレ)」
「おまえは清らかな身だぞ、リマ。救いは俺にではなく、聖母に求めろ」
 リマを前にすると昔日の純真を取り戻すらしく、神父の態度も違ったものになる。
 リマは思うのだ。
 神父さまっていつも、あたしにだけきれいな目を向けてくれる。

 かくするうちにも、押し合い圧し合いする背後を死霊に襲われた犠牲者だろうか、凄まじい絶叫が轟いてくる。
 混乱はいや増し、避難する人々の狼狽ぶりに拍車がかかった。
 酔いどれ神父は人々に言い放つ。
「皆の衆。ここは神の家だ。ふさわしい入り方があろう」
 聞き従う者などいなかった。
 救いを求めて神の家に殺到しながら、その番人の言葉を聞かずに押しのける。
 日頃の村人たちの信心ぶりを思い合わせれば致し方あるまい、と神父も見切ったようだ。

 言葉で効き目がないとわかると、神父は動きはじめた。
 片手でリマを抱えたまま、もう片方で十字架をつかんで歩きだす。
 そうして人群れを押し分けて流れと逆向きに進みながら、リマに恐ろしいことを言った。
「一緒に来い。おまえが伴にあれば、主のご加護が得られよう」
「いや、こわい」
 リマは抱っこされた格好で、神父にしがみつく。
「外には死霊がいるのよ。殺されちゃう」
「俺にはおまえがいる」

 逃げこんでくる人波をかき分けて玄関に立った神父は、いよいよ死霊たちと向き合った。
 酒が入ってふらついた足取りながら、身を張って信徒たちを守る気概を示そうとする。

 教会の前は、死霊と死霊の餌食になった者ばかりだったが。
 (死霊に殺された者は、さらに死霊になって人を襲いだす)
 神父の姿を認めるや、死霊どもは攻撃をやめた。
 敵意はそのままに、なにやら強敵らしきものの出現にひるんだらしく、寄り合って様子見している感じなのだ。
 蛇の群れがシューシューシューととぐろを巻くようで不気味だ。

「見るがいい、リマ。人間の信者たちより死霊どものほうが司祭の俺には一目おいている」
 神父はいくぶんの皮肉をこめながら目の前の光景を笑い飛ばしてみせ、おびえるリマを安堵させようとする。
 それからリマの足を地面に着けさせると、耳元で言い聞かせた。
「聖母に祈っていろ」
「いつまで?」
「ずっとだ。主が降臨されてこの騒ぎが片付くまで」
 神父はそのあと、あるいは主のみもとに召されるまでと、リマには聞こえないよう小声でつぶやいた。
 彼女は祈りはじめた。ひたすら、マリア様に向かって。

 神父は、片手をリマの頭の上におき、片手で十字架を死霊どもに突きつける。
 リマにはわからない言葉で祈りの文句を唱えはじめた。

 やがて。
 緊張が極限に達した頃合で。
 堰を切ったように死霊たちは、襲いかかった。
 教会の入り口めがけて、神父めがけて、リマめがけて、なだれ込んできた。
 足は歩速で動かしてるのに、なぜかすべるような速さで迫ってくる。
 恐ろしい顔、顔、顔……。
 リマは総毛が逆立つ思いがした。
 神父さまの傍らにいるのでなければ一目散に逃げだすところだ。、
 その神父は一歩も退かぬ気構えで、聖句を唱え続ける。
 リマも祈った。もう必死で祈った。
 背後で恐怖に負けた人々の悲鳴があがり、大勢が動揺するさまを感じながら。
 恵み深きマリアさま、恵み深きマリアさま、恵み深き……。





 けれども死霊たちは、ひるみなどしない。
 お祈りも十字架も、まるで効き目がないかのようだ。
 とうとう、神父とリマの目前まで達した。
 そして。
 死霊たちがぶつかってくる。
 ぶつかってくる。
 ぶつかる……。
 激突した。
 障壁に。
 跳ね返された。
 死霊たちが。
 そう、障壁。
 目に見えない障壁。
 死霊たちは目に見えない障壁に衝突したかのごとく、跳ね返されてしまった。
 どよめく会衆。
 リマは目を見張った。
 神父さま、すごい!

 死霊どもは後から後から押し寄せてきたが、  なんとしても神父の前に築かれた見えざる障壁を越えられない。
 やがて。死霊どもは思わぬ防御力の前に戦意をくじかれた様子で、一散に退いていった。

 この一事で、とたんに神父の株は上がった。
 多くの信徒が彼に付き従うように後ろで跪き、ともに祈りはじめた。

「神父さま。いまのお祈りはなに? 悪魔を撃退するおまじない?」
 神父は自分のひき起こした奇跡がなお信じられないといった風に、肩をすくめた。
「俺は……自分のやった過ちを、聖母に詫びただけだ」
 え? 神父さまでもマリア様にお赦しを請うようなことあるの?
 リマは不思議がった。
「まず罪を告解し、魂を清めたうえでないと、祈っても聞き届けてもらえない」
「神父さまのような方なら、何をお願いしたって聞いてもらえるわ」
「どうかな。懺悔もはばかられる、特大の罪がまだ残ってる」
「どんな罪?」
 リマの無邪気な疑問に神父は答えず、代わりに正面の方向を指さしてみせた。
 次の攻撃が始まるので備えろという合図だ。

 態勢を立て直すように群れあっていた死霊どもだが、さらに集まった仲間もくわえて勢いを増し、ふたたび押し寄せる構えでいる。
 神父がまた、十字架をかまえる。
「神父さま、頑張って!!」
 背後の人だかりから声援が飛ぶ。
 その中にはリマの学友たちの声もあった。
 そういえば。
 教会に逃げこんだ子は大勢いるのに、ロザンナの姿が見当たらない。
 無事だろうか?
 すでに村人のほとんどが死霊の餌食にされ、生き残りは教会(ここ)にいる人たちだけではと案じられてならなかった。

 ついに死霊たちは攻撃を再開した。
 雪崩を打って、殺到してくる。
 数が倍に増えていた。
 顔! 顔! 顔! 顔! 顔!
 その中に。見覚えあるものを見つけ出し、リマは愕然とした。
 ロザンナがいる。
 まぎれもない、ロザンナ。
 死霊となって変わり果てたロザンナだ。
 やっぱり餌食にされてたんだ。
 リマは落胆と悲痛な思いに包まれた。
 なつかしさはまったく感じられない。むしろどの霊よりも怖い顔してて、見るだけでゾゾッとなる。
 でもロザンナの霊は、リマに目もくれない。
 神父さまだけ見てる。
 いや、睨んでる。
 神父さまに、まるで私的な怨みをでも抱くかのように。
 毒を含ませた不気味な笑みを浮かべた。
 リマは目にしたものが信じられなかった。
 ロザンナはリマといるとき、子供が背伸びするように大人ぶることはあったけど、あんなあだっぽい笑い方しなかったのに。
 そういえば彼女、熱心な信者でもないのに教会に行くことが多かった……神父さまから英語を学んでるって言ってたけど……神父さまのこと、この村でただ一人の男らしい男の人だって褒めてた……特別に親しくしてるようだった……。
 リマの心に疑いがわいた。
 どういうことなの、神父さま?
 神父もロザンナを認めた途端、様子が変わった。
「おまえは……」
 どうしてか硬直したようになり、ラテン語での祈りの句の朗誦が途切れてしまった。
 一時的な中断だが、命取りだ。

 死霊どもはぶつかる直前まで迫っていた。
 神父は俄然、我に戻ると朗誦を再開、恐ろしい形相で向かってくるロザンナにまるで唾でも吐きかけるように祈りの句を見舞ったが。
 手遅れだった。
 死霊の群れは、またもや正面から体当たりかと思いきや、「障壁」の直前で蛇行するように折れ曲がり、今度は神父の真横へと回り込んできた。
 「障壁」は正面にしか築かれていなかったのだ!
 どの人間よりも先に、神父が襲われた。
 どの死霊よりも先に、神父にはロザンナが襲いかかった。
 首根に喰らいつく。
 ゾカッ
 首が、千切れ飛んだ。神父さまの首が!
 会衆は絶望的にどよめいた。
 神父の胴体。首を失い血しぶき噴きあげる巨体が、なお命あるかのように片手で十字架を握り締め、片手をリマの頭においたまま、くずおれてくる。
 リマは悲鳴をあげ、飛びのいた。
 人々の間に、動揺が拡がっていく。

 死霊どもを防ぐ手立てはない!!
 あとはもう、数多の絶叫が唱和する修羅場だ。

 恐慌のうちに逃げだす人も、とどまって神にすがりつく人も、いた。
 逃げる人は片端から餌食になった。
 とどまる人もそれほど幸運ではなかった。
 野獣の群れに囲まれた羊たちのように、手当たり次第に殺されていく。

 神父の傍らから飛びのいたあと、リマは人々の群れの中で座りなおすようにして跪き、ふたたび祈りの姿勢をとった。目前でおきたことが信じられず、いや信じたくなくて、なおも祈りの句をつぶやき続けた。
 恵み深きマリアさま、恵み深きマリアさま……。
 けれども。死霊に襲われる犠牲者の悲鳴が上がるたび、しだいに口舌は空回り、思いも上の空となるばかり。
 恵み深きマリアさま……え? 守ってくれないの?……恵み深きマリアさま……いくら祈っても無駄?……恵み深きマリアさま……リマも……死…ぬ…の?
 疑問への答えを探りだすより先、彼女の足はいち早く、人の群れから離れていた。
 聖母への祈りはなお唱え続けたかもしれないが、リマにはもう自分が何を言っているのかわからなくなっていた。
 多くの人は絶望的状況では仲間同士かたまり合って暴れるか動かなくなるのが相場だが、彼女は違った。
 逃げだすしかないと見定めたのだ。
 ここにいても救いは得られない。

 でも。
 正面から出たのでは死霊の餌食になるだけ。
 とっさにリマは、抜け道があったのに思い当たった。
 神父さまのお部屋。まずそこに行って、窓から出る。
 以前、ロザンナから教えてもらったけど(ああ……ロザンナ)、神父さまのもとにこっそり遊びに行くとき、建物の裏手にまわって窓から入るのだ。
 神父さまは一対一で向かい合うと、すこしも堅苦しいところのない、遊び相手としても楽しい人だった。お父さんのいないリマには信仰とは別の意味で癒しをあたえてくれる存在だった。
 何回かそれで単身訪問をなし遂げ、お茶をご馳走になったりしたものの、数度目のときに「もう、窓から来てはいけない」ときつく言われてしまったけど。
 今度は、その逆でいこう。

 リマは、逃げまどう人々と襲いかかる死霊とが入り乱れる地獄絵図の中を、死霊の攻撃を巧みにかわしながら、神父の部屋へと急いだ。
 死霊たちは、一撃でしとめ損なって逃げられた獲物は追わずに他の死霊にまかせ、自分は近場で別の獲物を探す、そういう定めでもあるかのような「人の狩り方」をする。
 いち早くそこに気付いたリマは、そうした彼らなりの縛りにつけ込んで難をまぬがれ続けた。
 その分、他の人のリスクが増すわけだが、今の場合に行為の妥当性を気にしていられない。どのみち、リマほどの敏捷(すばしこ)さがなければ、どうあがいても生き延びるのは無理だろう。
 そうやって転がりこむようにして、神父の部屋まで駆け抜けた。

 神父さまの部屋には誰もいない。
 安全だ。
 ベッドの上に立ち、窓を開け放して、施設の中庭へ降り立とうとした。
 と。
 窓枠に座りこんで着地のために足を伸ばしたリマの前に。
 待ち伏せていたかのように、一体の死霊が立ちはだかった。
 リマは反射的に、身を引いた。
 だけど戻っても、建物の中では他のおびただしい数の死霊が群れなすばかりだ。いまも、餌食にされた人の断末魔の悲鳴が断続的に聞こえてくる。
 これほど窮地にありながら、リマは場違いにも、目の前の相手をじっと見据えてしまった。
 見覚えがある顔の死霊だったから。
 間違えようもない。
 神父さま……。
 険しい顔をしているが、さっき死んだばかりの神父さまだ。
 ロザンナに殺されたけど、そのあと神父さまも死霊になったのね。
 でも。
 神父の死霊は襲ってこない。
 それどころか、リマの前に身を引いて場所を空け、招くような動きをする。
 え? 行っていいの? リマを逃がしてくれるのね?
 ああ、神父さま! 命をなくし死霊になってもリマのこと助けてくれるなんて。
 リマは涙ぐむほど歓喜しながら外に降りたち、神父さま――だったけど今は別の存在――の前を通り過ぎ……ようとした。
 だが。
 神父の死霊は、獲物を独り占めできる状況を待ちかまえていたかのように、なんの容赦もなく襲いかかってきた。
 罠だった!
 ぎゃーーっ!
 もはや絶叫するほかない。
 リマにはまさしく、この世の終わりだ。




( 続く )




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