【日米開戦についての通説を検証】
ハルノートで日本が戦争に追い込まれたというのはまったくの俗説じゃ。 開戦の閣議決定はすでに日米交渉がどん詰まりとなる以前、秋のうちになされておる。
さらに。ハワイの米軍基地を不意討ちする空母部隊はハルノートを渡される前日、すでに日本の領海から進発した後じゃった。
注釈。
これは日付変更線の時差によるトリックではありません。
(1)開戦が実質的に決定されたのは11月5日の御前会議である。この会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「武力発動の時期を十二月初頭」と決めている。12月1日はあくまで形式的な最終決定の日に過ぎない。
東京裁判において、東条英機被告や木戸幸一被告が、この11月5日の御前会議の存在を極力否定しようとしたのは、自衛戦争論の前提自体が崩壊してしまうことを恐れたのであろう。
(2)帝国陸軍は11月6日付で、天皇の命として攻略準備命令を発令した。また帝国海軍も11月5日付で、同じく天皇の命として作戦準備の「完整」が発令された。さらに11月26日には、海軍の機動部隊が真珠湾攻撃のために千島列島エトロフ島からひそかに出航している。
(3)ハル・ノートはアメリカ政府の正式な提案ではなく、一国務長官の覚書に過ぎない。まだその後の交渉の余地もあった。外交交渉する努力を最初から放棄し、それを最後通牒とみなして、戦争に突入していったところに日本の外交の過誤があった。
そもそもがハル・ノートは、コーデル・ハルという米国務長官の立場からなされた提案にすぎず、思い込まれているほど強硬な申し出ではなかった。
概要は以下の10項目から成る。
①イギリス・中国・日本・オランダ・ソ連・タイ・アメリカ間の多辺的不可侵条約の提案
②フランス領インドシナの領土主権尊重、仏印との貿易及び通商における平等待遇の確保
③日本の中国及びインドシナからの全面撤兵
④日米がアメリカの支援する蒋介石政権(中国国民党政府)以外のいかなる政府も認めない(日本が支援していた汪兆銘政権の否認)
⑤英国または諸国の中国大陸における海外租界と関連権益を含む1901年北京議定書に関する治外法権の放棄について諸国の合意を得るための両国の努力
⑥最恵国待遇を基礎とする通商条約再締結のための交渉の開始
⑦アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
⑧円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
⑨日米が第三国との間に締結した如何なる協定も、太平洋地域における平和維持に反するものと解釈しない - 日独伊三国軍事同盟の実質廃棄を含意する、と日本側は捉えていたようである。
⑩本協定内容の両国による推進
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88
いわゆる「ハル・ノート」は合衆国側が、到底日本側が呑めない条件を突きつけてきたというツイートがありますが、実態は逆です。 日本側対米交渉案であった甲案・乙案の方こそが、合衆国側にとっては話にならないほど酷い提案だったんですよ。
日本は国策遂行要領で「12月1日(11月30日24時)までに(甲案・乙案により)交渉が妥結しなければ開戦する」と国内的な取り決めがなされていたわけですから、いわゆる「ハル・ノート」が来なくても開戦していたでしょう。
ゆうのページ
ネット(特に右派)の「日米交渉」論では、「非戦派」の動きにスポットライトが当てられることが多いように思います。そして何となく、 「日本は平和を望んでいたが米国の無茶により戦争になった」というイメージを読者に与えているようです。
実際には、日本側の「開戦派」の勢力は無視できないものでした。彼らが交渉条件を吊り上げ、日米交渉破綻の一因を作り出したことは、先の章で見てきた通りです。
【宣戦布告が遅れ、日本は汚名を着せられた?】
そうだ、そうだ! 外交団の不手際のせいで真珠湾攻撃より宣戦布告が遅れ、日本は不意討ちの汚名を着せられた。 外交団が悪い、外交団が!
実際、そうだ。アメリカ人で、日本の通達が遅れたこと、攻撃直前にそうする手筈だったことなどを問題にする者はあまりいないからな。
ルーズベルト大統領の「対日宣戦布告演説」(の抜粋)
米国は日本と平和な関係にあり、なおかつ日本の要望はまだ太平洋における平和の維持に向けた日本政府ならびに天皇との対話を望むというものでした。
さらに、日本の航空部隊がアメリカ領のオアフ島に爆撃を開始した1時間後に、日本の駐米大使とその同行者は合衆国の長官に、直近のアメリカからの書面に対する公式の回答を提出しました。その書面に記載されていた内容は、既存の外交交渉は無用のものであると指摘しているのみで、その文書には戦争や武力攻撃を暗示したり脅迫したりするような内容は含まれていませんでした。
このことは記録されるでしょうが、日本からハワイまでの距離から、明らかにこの攻撃は何日も前から、おそらく数週間まえから意図的に計画されていたものです。この期間中、日本政府は真相を隠し、平和の継続への期待を表明して、アメリカ合衆国を欺き続けていたのです。
なぜ日本が卑劣と見られたか? 和平交渉で問題を解決する態度を見せながら、裏では不意討ちの準備を進め、空母機動部隊を隠密裏にハワイへと差し向ける。そうしたことこそ由々しい。大使館での段取りの不手際などどうでもよいのじゃ。
爆撃隊を発進させてからぎりぎりの間際で宣戦を申し渡して「筋を通した」とするのは日本側だけの独り善がり。アメリカから見れば、卑劣なことは何も変わらん。
いや、宣戦布告ですらなかった。日本側からハル国務長官に手渡されたのは交渉打ち切りを伝える文書にすぎない。
しかも、だ。まがりなりにも「攻撃前の挨拶」をする気でいたのはアメリカに対してだけである。英領マレー半島への上陸作戦は真珠湾攻撃より二時間ほど早くおこなわれたが、日本はイギリスに対しては開戦直前の告知すらしない策だったのだ。
今日、一部の日本人がぼやくような「ワシントンでの大使館員の不手際により宣戦布告が遅れたせいで日本は汚名を着せられた」といった八つ当たりなど通るものではない。
【対米戦の火を欧州にまで拡散したのは日本】
ところでこの時点では、日本と米英蘭との間で火蓋が切られたにすぎん。太平洋の戦乱が地球規模の大戦争に発展するにはもう一押し、必要じゃった。
対米戦争を速攻で片付けようとした日本は、自国の立場を有利にしようと外交面でも動き出し、枢軸側の同盟国をアメリカとの戦争に引き入れようと策した。
当時ソヴィエト連邦との戦いに総力を注ぎ込むドイツ第三帝国は、モスクワを攻め落とす直前までいきながら赤軍の頑強な反撃の前に苦渋を強いられていた。ヒトラーは、同盟国の日本がソ連に宣戦、スターリンを東側から叩いてくれるよう望んだ。