ここまで海軍力に差がある状態でドイツが英国侵攻するには、つまり英本土への上陸を成功させるには、まずドーバー海峡での制空権を握る必要があった。
だがドイツ空軍はそれにしくじる。制空権がなければ、ドーバーで上陸部隊を迎え撃つ英国艦隊をやっつけるわけにいかん。それでドイツのイギリス侵攻はご破算となった。 以上が、「英国決戦(Battle of Britain)」のあらましじゃ。
映画などでは、劣勢な英国空軍が圧倒的だったドイツ空軍を迎え撃ち、果敢に空中戦を繰りひろげて英国侵攻を断念させたことになっとるが、そもそも海の上で優位にあったから空だけで勝負がついたんじゃ。
不利な戦況で強大なドイツ空軍を食い止めた英国空軍は立派である。しかし、この時期の英国海軍が存在するだけで果たした功績にほとんど言及されんとは片手落ちじゃな。
ヒトラーも例外にあらず、ドイツ国民を失望させぬよう次々と新手を打ち出し、勝った振りを見せねばならなくなった。たとえ国民の安全と財産を担保に、際限なくあざむき続けることになってもな。
【三国同盟】
さて。英国上陸作戦の挫折からソ連と開戦するまでの期間、ヒトラーはあらゆるやり方でイギリスを締めつけ、音を上げさせようとした。 pic.twitter.com/IVcSu7nPgQ
空爆はなお続けられ、大西洋ではドイツ潜水艦による群狼作戦で輸送船舶が大きく打撃を受け、海運に頼るこの島国は枯渇しつつあった。 だが、チャーチルとイギリス国民は動じない。 pic.twitter.com/G1wosd2rYN
大英帝国の背後、大西洋の彼方には強大な味方が控えているからだ。中立的伝統により欧州の戦争に介入せぬものの、あらたに成立させた援助法でイギリスに武器弾薬を供与、みずからは手を汚さずドイツの脅威を防がせようとするアメリカ合衆国である。 pic.twitter.com/cb7LB1ronL
アメリカの対英援助をこころよく思わず、しかしアメリカとまで戦争できないヒトラーは、では背後からアメリカを牽制しようと、太平洋でアメリカと敵対の度合いを増していた大日本帝国に対し同盟関係の強化を求める。この企案は40年9月の日独伊三国同盟として実現し、枢軸は地球的規模に広がった。
日本とドイツはすでに、1936年締結の「日独防共協定」で同盟国同士だった。
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アドルフ・ヒトラーは激しく抵抗するイギリス本島の攻略を半ば諦め、主義や思想、地政学的に対立するソ連をゲルマン民族の生存圏の拡大の為に撃破しなくてはならないと考えていた。そのため、ソ連と満蒙の利権を争っていた日本と手を結ぶことを考え、日本が対ソ戦に参加することでソ連兵力を東西に分断し、さらには対英参戦により極東のイギリス植民地・英連邦諸国からの人的・物的支援を絶つことによって戦争を優位に進めることができると考えていた。
(日独伊三国同盟 - Wikipedia)
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【ドイツと同盟を組まなければ、戦争は避けられた?】
「あの時、日本が三国同盟に参入してヒトラーと手を組まなければアメリカから悪者扱いされずに済んだ」と主張する人もいますけど。
日本はドイツと同じに国際社会から除け者にされた異端児だった。ドイツと同じで国家主義にとり憑かれて一丸となり、そしてドイツと同じに他国の領土を侵犯することで国益を得ようとしておった。これだけやることがドイツと同じでありながら、どうして西側諸国との間に軋轢がおこるのを避けられようか。
1931年9月 満州事変おこる
1932年3月 満州国建国宣言
1933年1月 ヒトラー、ドイツの首相となる
3月 日本、国際連盟を脱退
10月 ドイツ、国際連盟を脱退
1935年1月 ドイツ、ザール地方の旧領土を回復
3月 ドイツ、ベルサイユ条約を破棄、再軍備宣言
1936年1月 日本、ロンドン軍縮条約を破棄
3月 ドイツ、ラインラントを併合
11月 日独防共協定なる
1937年4月 ドイツ空軍、スペインのゲルニカを爆撃
7月 蘆溝橋事件。日中戦争はじまる
9月 国際連盟、中国への都市爆撃で日本を非難
11月 九カ国条約会議、日本の中国侵略を国際法違反として非難
12月 日本軍、南京を占領
すなわち日本が残余の世界から敵視されたのは、ドイツと結んだからではなく、ドイツと同じように国民一丸となり全体主義の道を驀進した報いだったのじゃ。
1938年3月 ドイツ、オーストリアを併合
12月 日本軍、重慶への爆撃開始
1939年2月 日本軍、海南島を占領
3月 ドイツ軍、チェコスロヴァキア占領
9月 ドイツ軍、ポーランド侵攻。第二次大戦勃発
1940年3月 日本、傀儡の汪兆銘政権を中国に樹立
5月-6月 ドイツのフランス進撃とフランス降伏
7月-9月 ドーバー海峡の制空権をめぐる「英国決戦」
9月 日本軍、仏領インドシナ北部へ進駐
9月 ベルリンで、日独伊三国同盟調印式
1941年6月 独ソ開戦。ドイツ軍、ソ連領土になだれ込む
6月 日本軍、仏領インドシナ南部へ進駐
繰り返すぞ。日本が米国から敵視されたのは、「ドイツと結んだ」からではなく、「ドイツと同じことをしていた」からじゃ。 ナチスと組もうが組むまいが、日本が武力で周辺地域を従わせようとする国策を捨てないかぎり、結局は前途で災いが待ち受けていたのは確実だろう。
日本はさんざん悪いことしたあげく、これも悪逆を重ねるドイツと組んだからアメリカの目にいっそうの脅威として映ったってことだよね。 つまり、普通の国が悪い国とつるんだせいで転落したんじゃない。山本五十六をヨイショする映画の主張なんかとは根本から違うわけ。