「顔にタヌキと書いてある」3
――アイドルは狸の化身――


                     

このイメージ画像は、描画ジェネレーター「NovelAI」で制作されました。



 結局その日は、十何人かが選ばれ、後日おこなわれる三次選考まで進むことになった。
 その中に堀井マヤはいない。
 彼女は別枠での抜擢であり、三次審査の必要なしとみなされたのだ。

 谷は帰りの車に、マヤを同乗させた。
「きみについて、訊きたいことがヤマほどある」
「わたしも、お話したいことが同じほど」
 見栄も気取りもなしに隣りの席に行儀よくすわるマヤは、育ちの良い上位中産階級の子女といった風だ。
 とうていタヌキが身を変えているとは思えない。

 谷の運転する車は、夜の東京を行く先も決めずにひた走る。
「きみの名は?」
「堀井マヤ」
「本名のほうさ」
「化けると忘れます」
「ご両親は?」
「どちらもタヌキです」
「育ったのは?」
「タヌキの群れ」

 なるほど、話はしたいが個人情報まで明かしたくはないのか。
 無邪気に見えて、ガードは固い。
 谷は、訊き方を変えた。
「化けられる?」
「いまでも化けてますけど」
「それ以外の姿にだよ」
「わたしはまだ未熟なので、こうなりたいと思うものにしか。習熟すると、蛇でも熊でもイヤなものにも化けられるんですが」
「熊や蛇だって? あー、きみが熟達者でなくてよかった」
 マヤはふふっ、と笑いだした。
 車の中一対一での緊張がほぐれ、距離感が狭まった。

 谷はさらに、突っ込んだ問いを仕掛ける。
「人の世界に出てきたのはどうして?」
「山奥では就職難なので」
「本当のことを言え」
「いい人に出会えるかもしれないから」
「いい人は見つかった?」
「さあ……どうでしょう」

 車が光に包まれたレインボーブリッジを渡る頃には、マヤは谷に身を寄せ、肩に頭をあずけるようになっていた。
「なぜ正体を明かしたの?」
「先生ですから。テレビや本でうかがっています。超常界にとても詳しいんでしょ? だからご理解いだけるのではと……わたしのことを」

 たしかに谷はオカルト・マスター、すなわちオカルト知識を極めた男として通っている。関連する著作も多い。だが実際に、超常現象と出くわしたことはなかった。
 マヤの谷への評価はまったくの買いかぶりである。
 谷がオカルトの権威というのは、彼が音楽を書いたホラー映画『オカルト・マスター』の公開時、宣伝のためやったことに由来する。即席で仕入れた知識をもとにテレビやラジオであることないこと語りまくったところ、そっちのほうが映画以上に評判を呼んで谷自身がオカルトマスターの称号を賜ることとなったのだ。
 その異名は谷につきまとい、本は書かせられるし、ホラー番組では招かれるゲストの常連。比類なきオカルト通と思い込まれている。
 皮肉にも、マヤとの関わりが谷に、真に超常的な世界への扉を開かせるのだが。



†             †             †



 そのことを打ち明けたところ、マヤの反応は予想外のものだった。
「でも、先生には……タヌキのわたしからも、普通の人と違う、何かがあるように思えます」
 谷への評価が微塵も下がった気配はない。このタヌキ娘、俺のことをなぜ、こうまで持ち上げる?
「普通と違うって?」
 谷は自嘲気味に笑った。
「以前、よく言われたもんだっけ。谷、おまえには普通の日本人と違う、何かがある。容姿も個性もまるで日本人離れしてやがるし、絶対に世界で通用する男だって」

「おめでたくも信じたよ。調子に乗って、とうとう成田から飛び立った。世界の谷になってやるぞと意気込んで。だがね。海外に出れば、まわりはみんな日本人離れのした容姿と個性(笑)。そんな中におかれたって、ちっとも目立ちやしないんだ。逆に、自己のアジア的属性を突きつけられる。どんなにあがいても、外人から見れば黄色人種の一人にすぎないってこと、思い知らされた」
 谷の表情はまるで、醜男が鏡に向かって悲運を訴えるような、嘆かわしさに満ちたものとなった。恵まれた容姿の持ち主なのに解せぬことだ。
 外地でのカルチャー・ショック、自惚れを打ち砕かれたトラウマはそれほど強かったのだろうか。

「外人さんからどう見られてもかまわないでしょ。人は見かけで決まりませんよ」
 マヤは、谷がいきなり過去の苦い思い出にとり憑かれた様子に困惑、こういう場合に人間ならこうすると思われること、相手を力づけるための通り一遍な気休めの言葉をかけたといった風だ。
 それにしても谷は、世界的名声もかち得、はた目には不足ないはずの身でありながら心の奥に秘める失意や孤独を、本人にしかわからないルサンチマンによる苦渋を、この期におよんでなにゆえマヤの前にさらけ出したのだろう。

「先生は海外ではまるで相手にされなかったように言いますが。ちゃんと音楽の才能を認めさせたじゃないですか。ハリウッドのアカデミー作曲賞やレジョンドヌール勲章……絶対に普通の日本人では到達できない境地です。先生の魅力ってなによりも、作る曲の素晴らしさにあるんだから本望でしょ? 谷ポップスの良さはタヌキでもわかります」
 マヤからいくらおだてられてもニコリともしなかった谷だが、最後の「タヌキでもわかります」には思わず、口元をほころばせた。
「だから? みんな、ぼくの曲が好きなだけでぼくが好きなわけじゃない。だれの曲なのか知らずに口ずさむ人も多いだろう。白状するけど、ぼくの曲はぼくも大好きだよ。ラジオで流れたりすると、なんてピュアで繊細で心温まる旋律なんだって聴き惚れることがある。まったく、自分の性格とは大違いだ」
 マヤも、谷の締めくくりの言葉「自分の性格とは大違い」で吹きだした。
 それから二人でしばらく、肩もたれあい、笑いあった。

「谷先生がどうして、ご自身を貶めることばかり言うのかわかりません」
 マヤは、気遣うように谷の肩から腕のあたりをやさしくさすってみせた。
「オカルトマスターの件にしても。先生は、あることないこと語りまくっただけ、とおっしゃったけど。その中には真を突いたものもあるんですよ」
「たとえば?」
「先生が『きっと化けられる』という本で述べたこと……妖術による身の変え方について」

 『きっと化けられる』。
 谷のずいぶん前のベストセラーだ。古今東西の変身にまつわる呪術の知識を寄せ集めて構成、いかにも変わり身の技が可能なよう思わせるオカルト本で、むろんのこと実用を目的とした内容ではない。
「仕入れたネタを想像で膨らませただけのフェイク本さ。あんなことで変身できたら世話ないよ」
「わたし、化けることができました」
 まさか。
 いやもう、何だって信じるが。
「わたし、タヌキ仲間では落ちこぼれだったんです。いろいろ頑張ったけどどうしても上手に化けられなくて……悩んでいたところで先生の本を読みました。書いてある通りにやってみたら、ビンゴ! 立派に化けられちゃった。どんなタヌキも仰天するような、自分でも信じられないほどのみごとな美少女に」
 かくたる姿で目の前にいるマヤを見るかぎり、たしかにそうなのだろう。
「だから先生はわたしの恩人、会う前からのお師匠様」
「………………」
 マヤが谷にしめす旧知の間柄のような親密さがどこから来るのか、ようやく合点がいった。

「人間の読者からそういう感想もらったこと一度もないけどな」
「タヌキには有効なんです。即効性がある指南書でした」
 『きっと化けられる』はあきらかなネタ本として大受けしたわけで、編集部宛の感想カードには、「本当だな?」「何度やっても化けれない」「てめえが化けてみせろ」「役立たず! インチキちんちん!」「きっとばかになる」といった戯言ばかり書いてよこされ始末に困ったという。
 それがよりによって、タヌキの役に立ったとは。

「こんなすごい本、独占しちゃうのもったいないなと思って。わたし、みんなにも勧めることに。まず、化け方を指南する大人のタヌキに読ませたんです。ところが。人間の書いた本で化け方を学ぶとはけしからんって、取り上げられ燃やされちゃった。大ショック!」
 え? タヌキの書いた本なんてあるのか? それにタヌキに火が使えるのか? いろいろ突っ込みたかったが、話の腰を折りそうなのでやめておいた。

「以来わたし、タヌキの群れで学ぶのいやになっちゃって。人間の姿で山から降りては、図書館で独学。続編の『もっと化けられる』や他の著作も読み、谷先生にますます傾倒していく日々。そうするうちにとうとう……」
 マヤは俄然、目を輝かせた。
「わたし、決意したんです。人間の世界に出ていき、先生にお弟子さんにしてもらおうと。そして、日本一のタヌキになってやるって」
「言っておくが。ぼくには、あの本以上のことはなにも教えられないよ」
「本とおなじ、適当に思いついたことアドバイスしてもらえれば十分です」
「そんな先生があるもんか」
「いいえ。わたし、なんでも実践してみせますから。谷さんには行き当たりばったりで真実にたどり着く、鋭い知覚力があるように感じます」
 なんたる言い草。古今東西、こんな褒め言葉で弟子入りを乞うた者がいただろうか。
 谷は、マヤが口にした自分への評価をこま切れにして、胸の内で繰り返した。
 行き当たりばったりで……真実にたどり着く……鋭い知覚力……。
 そういえば。目的地もなく国道を東へと走り続けた車は、ちょうど成田山真証寺の前の信号で停まっていた。
 関東での稲荷信仰の総本山だ。
 ここに来たのも何かの導きなのか。

 谷は提案してみた。
「息抜きをしよう。ここで降りて、境内を歩かないか? 来たことあるけど、とても落ち着いた、いい場所だ。今は夜中で参拝者も少ないし、プライベートな話の場にはうってつけ……」
 マヤは顔色を変えた。




( 続く )




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