「顔にタヌキと書いてある」4
――アイドルは狸の化身――


                     

このイメージ画像は描画ツール「NovelAI」で制作されました。



 マヤの態度はまったく予期せぬものだった。
 名所として知られる真証寺の境内を歩こうとの谷の誘いに、二つ返事で同調するかと思いきや。
 彼女はとことん引いてみせるというか、座席に身を埋ずめんばかりの激しい忌避の所作で応じたのだ。
 怖がりな子供が知らない人に手をつかまれ、墓場にでも連れだされるかのごとき取り乱し方。
 なんだろう、このアレルギー発作のような、身体的次元での強烈な拒絶の意思表示。

「いや……」
 マヤは蒼白な顔で身を小刻みに震わせている。マラリアを患ったのではと疑うほどに。
「行ってください。ここはいや」
 最前とまるで違う。人が、いやタヌキが変わってしまったかのようだ。
「早く! 通り過ぎて!」
 マヤの急変ぶりを谷はいぶかった。
 自分から馴れ馴れしいほど懇意に接してきたのが、夜中の散歩に連れ出そうとした途端、激変わりで恐慌を呈するとは。
 まさか人気のない場所で何かされると危ぶんだとも思えんし。
(だいたい、谷にことに及ぶ気があったら車の中でしているだろう)

 谷は何とかして、マヤの危惧を払いのけようとこころみる。思いもしない対応をされただけに、ちょっと意固地になってもいた。
「大丈夫、心配ご無用。ぼくらの他にも参拝する人はいるんだし。夜中でも警備員が睨みをきかせる観光名所だよ。防犯カメラも24時間フル稼動……」
「そういうのじゃないんです」
 マヤの態度は、谷から何を言われても和らぐことがない。目はしきりに真証寺のほうをうかがうが視点が定まらず、不安そうだ。あきらかに何かを警戒している。
「谷さんを疑ってなんかいません。わたしほんとうに、ああいう場所、我慢できないからです。絶対に、絶対に足を踏み入れたくないの」
「そんなに、いや?」
「あの鳥居……見るだけで悪寒が」
 え? 鳥居がお寺にあるなんて変じゃないとか言うなかれ。
 真証寺にはあるのだ。
 いや、真証寺にかぎらず日本中に見られる。事情の説明は省くが、鳥居が寺院に同居するのは珍しくもないことだ。
「お寺や神社は嫌い?」
「天敵です」
「ごめん。宗派が違うとは思わなかったよ」
 場を和ますジョークのつもりだった谷の言葉もマヤには上の空、効き目なしだ。とにかく、一秒でも早くこの場所から立ち去ることしか頭にないらしい。
 それなのに、車はさっきから交差点の信号前で停まったまま。

「発進して! おねがい、早く!」
 マヤは谷にしがみつくほどの昂ぶりの激しさで急きたてた。生きるか死ぬかというほど切羽詰った物言いだ。
「赤信号だから進めないよ」
「それじゃ、バックして!」
「そういう問題じゃないったら」
「とにかく、ここから離れて! すぐに!」
 マヤはほとんど、錯乱して暴れだす間際だが、谷にはどうにもならなかった。
 実際、おなじく信号待ちする他の車から前後をはさまれ右横にも並ばれ、まさに退っ引きならない状態だ。余白が残されたのは歩道に面する左側だけで、信号が青に変わらぬかぎり動きようがない。

 しかるに、人間社会のルールになど拘泥しないマヤにはそう思えないらしい。
「歩道に乗り上げて走り、列を追い抜いてください。できるでしょ?」
「無茶言うな。交通違反はご法度だ」
 あまりの言いざまに、谷にはぶったまげる反応を示すしかない。
「以前、制限速度をちょっと超えただけで切符切られたときに警官と喧嘩やったんだが。マスコミは大騒ぎ、謹慎処分で番組降ろされたりするはめに……だから……」
 そんな谷の事情にまるでおかまいなし、マヤの懇願するさまはもはや狂気かと疑うほどだ。
「操作されてるんです、あの信号。かまわず渡って!」
「無理だったら!」

 しかし不思議だ。
 さっきからずっと、信号が赤のまま。変わる気配がない。
 信号機の故障?
 谷が不審の念を抱いたとき、マヤが震え声を発した。まるで山奥で怖れていた熊か蝮(まむし)、いや山姥と出くわしたかのような怯えよう。
「出てきた……とうとう……あれが……」
 谷がマヤの凝視する方向に目をやると、真証寺の境内から往来へと、白い人影というか白の長衣を羽織った何者かが足早に歩いてくるのが見えた。誰かを探すような、あたりをうかがう素振りだ。
「いけない……気付かれる……」
 マヤは車の中で身をかがめた。
 谷にはますますわからない。
「お知り合い?」
……知り合いたくない相手
 マヤは絶対に勘付かれたくないとばかり、声までひそめて返す。距離があるし車の中だし、聞かれる心配ないのに。

 白い何者かは獲物でも探す風に、周囲に目配りしながらだんだんと近づいてくる。たしかに知り合いにはなりたくない気がする。あの格好でいるからには女性なのだろうし、それとおぼしい足取りでもあるが、白い長衣が常夜灯の光をはね返して輝き、顔がよく見えないのだ。
このままじゃ見つかる……」
 マヤはついに、傍目にはまったく異様な振る舞いにおよんだ。
 瞑想する表情で祈るように両手を合わせ、何事かぶつぶつとつぶやきはじめたのだ。
ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、ゼロ、イチ……」
 呪文のつもりなのか、早口で二つの数字を交互に唱えるのを際限なく繰り返す。
 ? ? ?
 谷はもう、何がなんだかわからない。
ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、ゼロ、イチ、ゼロ、イチ……」
 マヤはあくまで真剣な面持ちだ。

 と。
 信号が突然、青に変わった。
 同じタイミングで白い人影は、何かを感知したらしく、ビクッと身を引きつらせる。
 それから、こちらの方向に求めたものを認めた様子で、いきなり歩速を上げ、向かってくる。そう、まっしぐらに。まるで谷の車を餌食として襲いかかるかのように。
「逃げないと!」
 マヤは、ハンドルを奪い取らんばかりに、谷をせっついた。
「急いで!」
 だが。前をふさいだ車がようやく発進、今度は谷の車が動きだすというときに信号が赤に戻った。青に変わってから、数秒しかたたないのに。
 マヤは金切り声をあげた。
「停まっちゃダメ! 渡りきって!」
「わかってるよ」
 実際、さんざん待たされたドライバーたちからこの交差点の信号は信頼を失っていた。おなじ車列で、信号機の無茶苦茶な指示に従うものは一台もない。
「あの信号は絶対イカれてる」
 マヤもどうかしてる、とまで言うのはさすがにはばかられたが。

 しかし、もっと異常でヤバイものが歩道側から駆け寄ってきた。
 白い長衣の女だ。
 女は、徐々に速度をあげる車と並走するように、人とは思えぬ速さで追いすがりながら車内を覗き込んでくる。
 谷はゾゾッとした。
 女ではなかった。
 あきらかに、人の顔をしていない。野獣じみた真っ赤な両眼、とがった鼻先、耳まで裂けた口は牙をむき、さながら妖魔のごとき面貌。目で見たものは無差別で祟り殺すと言わんばかりの敵意をもって谷とマヤとを視界におさめようとする。
 意外にもマヤは、あれほど怯えていたのだからきっと ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル かと思いきや、胆を据えたかのようにキッと睨み返している。
 マヤと相手の視線がぶつかり合った瞬間、谷の車はぐいーーん! と速度を上げ、赤い目の魔性を引き離した。
 後方に取り残されたその姿が、バックミラーの中でぐんぐん小さくなっていく。



†             †             †



 車は真夜中の国道を、ひたすらに突っ走った。
 マヤはなおも魔性から追われるかのように息を切らしている。
「今のはいったい、何だったんだ?」
「わたしたち補足されていたんです、あれの力で。あれは車を進められないよう、呪力(じゅりき)で車道の信号を赤のままに」
「呪力?」
「人外の使う念力です。想念を力に変え物理的に働きかける術」
 化けるだけじゃなかったのか。
「それでわたし……一か八かで、こちらも信号機に計数念波を送り、一時的だけど向こうの呪力を祓いのけ、信号を青に」
「そんな技まで使えるのかい?」
「お忘れになりました? 先生が『もっと化けられる』でお書きになったやり方です」
「………………」
 どうやら。知らぬ間に、凄い腕前の弟子を養成してしまったらしい。
「でも、こちらの位置を探知されました。それであれは、車を追いかけてきたんです」
「あれっていったい、何者?」
「ですから、人外です」
 埒が明かない、と谷は思った。だから何なんだよ、あれってのは?
「わたしたちタヌキは、人と懇意にするのをあれに知られてはいけないの。もしわかったなら、捕まって八つ裂きにされる。だから悟られないよう身を潜めなければならなかったのに……見つけられてしまった」
「ちゃんと振り切って、逃げてきただろ? もう安心さ」
 マヤはすこしも楽観できないという表情で、かぶりを振った
「追いかけてくる。匂いを覚えられたから、どこにいても突き止められる」




( 続く )




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