「顔にタヌキと書いてある」6 |
このイメージ画像は描画ジェネレーター「NovelAI」で制作されました。 |
谷いわく日本の芸能界では、アイドル歌手になるには二つの才能が不可欠となる。
誰からも恋される才能と誰とでも寝る才能だ。
どちらも欠けると歯牙にもかけられない。アイドルの広報業界での商品性はそういうものだ。
しかもそれでいて、ファンの各位にはあなただけの恋人と思わせ、大切な人にしか身を捧げないよう信じさせねばならなかった。
ありのままの姿では通用しないのだ。
ようするに娘たちはタヌキになって人を化かすことを強いられる。
しかしマヤは生まれながらのタヌキだ。
人間の娘になりきるよう求められた。
いや、人間の男とは寝なくていい。彼女は秘蔵っ子、門外不出の特別限定品にしておこう。
かくして。
谷のもとでのマヤの日課が始まった。
表向きは新人歌手の研修。実際は妖術の鍛錬だ。
谷は旧著『きっと化けられる』を引っ張り出して目を通した。
書いた時はよほどヒマだったんだと自分で呆れるほど、古今東西のさまざまな秘術が詰め込まれた本。
いまや著作者自身に忠実な実践者となるのを求めているようだ。
しかし。
なぜ人間たちには役にも立たないこのネタ本が、マヤにとって群を抜く名著となったのか。
結局。タヌキには化ける天性があるからだろう。
人に空の飛び方をいくら教えても鳥にならないかぎり無意味なのとおなじかもしれない。
そこを理解すると、吹っ切れる思いがした。
よし。自分は今後、人間の身でコーチに徹しよう。
マヤを中庭に出して、申し付ける。
「木になってみろ」
「無機物には化けられません」
「木だって生きてる。有機物だろ。だいいち、タヌキは何にでも身を変えられるんじゃなかったのか」
「上級者にはできるけど。わたしはまだ……」
「だから、上級者になるんだ」
「いまは、この姿で精一杯」
「いいから、木に化けろ」
「無理です」
「やれば、できる。おまえはタヌキじゃないか」
「できません」
「できる」
「不可能です」
「それならこっちも、おまえを面倒見るのは不可能だ。どこへなりと出ていくがいい。言っておくが。そんなことじゃ人波にまぎれても、キツネの目をくらませないぞ」
マヤはついに、覚悟を決めた顔をする。
そして、念じた。
あっ。
木になった。
こいつ、見込んだとおり筋がいいぞ。
谷は称賛の代わりに石を拾い上げ、木に姿を変えたマヤに投げつける。
「痛い!」
木が悲鳴をあげた。
「馬鹿!」
マヤの不甲斐なさを、谷は一喝する。
「なんだ、今の反応は? なぜ避けない?」
木は哀訴するように言い返す。
「だって、木でしょ? 木になりきるんでしょ? 木は動きません」
「木じゃないだろ。おまえはタヌキ、木に化けたタヌキだ。どんなものに身を変えても、危険をとっさにかわすことを怠るな」
「化けてなりきることは大事だが、馬鹿正直になりきってりゃいいってもんじゃない。化けたものと心中したらダメなんだ」
谷自身が何物にも化けられない身であるのを差し引けば、えらく理にかなったことを言う。
その言葉をマヤは金科玉条として銘記する。
呑み込みの早い生徒である。
しかも教えた以上のことを実践できた。仕込まれた知識を応用、先に続くもののかたちを組み立てるようにして使いこなす。見通しをめったに外すことはなかった。
こういう相手だと教えるほうでも張り合いが出て、さらにきつい学びを課したくなる。
いきおい、訓練はしごき度を増していく。
指南を厳しくし過ぎたか。マヤは不意に出て行って一昼夜くらい戻らないことがあった。
そういうときは追いかけないのが谷の流儀だ。
戻ってきても責める真似はしない。何事もなかったように、レッスンの続きを課すだけ。
キツネ族が谷の前にあらわれ、自己主張を始めたのはこの時である。
朝まだき。
谷が創作上の霊感を得ようと、人気のない皇居周辺の路上を散策していると。
反対側から女が来る。
長身に白い長めのワンピースを装っている。ハンドバッグも何も持っていない。
もの静かな印象ではあるが、目の光からは不敵なまでの自信がうかがえるし、奥手な性格じゃないのはよくわかる。
スタイルはみごとで、重心をそらさない姿勢のよい歩き方。対向から男の視線を受けても照れも臆しもしない。
モデルかスチュワーデス?
そう思いながらゆったりした足取りで女との距離を縮めていると、女のほうはいきなり歩調を速め、こちらを捕捉する勢いでまっしぐらに歩み寄ってくる。
谷は警戒したように、立ち止まる。
サインをねだりたいわけでもなさそうだが。まさか公安?
しかし相手は、谷のプライバシーラインに迫るほど身近で足を止めると、見立てどおりか確かめるといった風に、くんくんくんと匂いを嗅ぎはじめたのだ。
俺の香水がそんな気になるのか?
女は初対面の間柄にまるで頓着せず、直入に言う。
「あなたからはタヌキの匂いがします」
いきなりのことで、驚くというより、よくぞ当てたという気になった。
しかし。マヤと居るときは獣っぽい匂いなんて、感じもしなかった。
あの娘、森林浴のようにやすらいだ気分になるグリーン系の香りを漂わせてたし。
それを、「タヌキの匂いがします」とは。こいつはいったい、何なんだ?
「タヌキの匂い? なぜわかったんです? もしかして、そちらの関係の人? 動物園の飼育係とか」
相手は、無言で応じる態度で否定してみせた。
「それじゃ……アレですか? あなたもやっぱり、タヌキさん?」
「失礼な」
ピシリと言い返される。否定というより拒絶だ。
まるで、海外で他のアジア人と間違われた日の丸女子のような反応。
「あんな下等な種族と一緒にしないでくださいまし」
言葉が過ぎたな、と谷は自戒した。
そりゃ普通の人は、タヌキの仲間かと言われたら不快な気分になるだろう。タヌキがいかにラブリーな種族か知らない人ならば。
谷はまだ、相手を人間の女だと思っていたのだ。
女はしかし、人間同士の初対面に不可欠なルールは抜きにして、言いたいことだけを言う。
「あなたはタヌキにとり憑かれています。御祓いが必要だし、どんなかたちでタヌキと関わったか明かしてもらわねばなりません。そのタヌキがどこにいるかということも。タヌキは害獣です。このままでは、あなたに破滅がもたらされるでしょう」
「そうですか」
谷は求められた情報は何もあたえないことに決めた。
この挿絵は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。 大まかなイメージの視覚化で、 必ずしも作者の思い描くとおりのものではありません。 |