ご注意
以下の文章は、もう十年以上も前に書かれたものです

いらざる前書き


 以下の文章のほとんどは、1997年の暮れから1998年の春先にかけて、ちょうど、あの『タイタニック』が全世界でブームを巻き起こした数ヶ月と重なり合う時期に書かれている。



 むかし読んだ「リーダーズ・ダイジェスト」によれば、老後を予測して描く肖像画家というのが存在するそうだ。

 絵のモデルとなった人の現在の姿ではなく、その人が老けたときの顔がいかなるものかを予測して肖像画に仕立てるのだという。的中率たるやなかなかのもので、絵を描いてもらった人が年を重ねるごとに、本人のほうが肖像画と顔が似ていくように感じられるとか。

 その画家によれば、「モデルの現在の顔立ちの特徴を強調して描くようにすれば、年取ってからの顔が先取りして再現できる」。


 筆者による未来予測もこの要領だ。

 現代の世相のさまざまな特徴を、それぞれの動くべき方向へ沿って、少しずつ誇張して描けば、だいたい一世代分の変化が表現できるだろう。

 むろん、世相への認識が違っていたら仕方がない。未来を予想するセンスとは、身のまわりの実情を正しく認識するセンスのことである。

 たとえば最近、地球の温暖化を食い止めようという高邁な目的を持った人たちが京都に集い、世界温暖化防止会議なるものを開催したのだが、この事実を強調し、三十年後には陸地のかなりの部分が水没しているなどと考えてはいけない。

 それは間違った方向への想定なのであり、より正しく未来の姿を思い描きたければ、「西暦2027年の温暖化会議は、会議とは呼べぬほどいっそう分裂の度合いを強める」と予測すべきなのだ。

 これなら的中するだろう。


 いまから述べることについても、読んだ人から、「あと三十年で世の中、こんなになるわけないじゃないですか。バカバカしいとは思わんのですか」と言われない程度には説得力のある予想図をめざしたつもりだ。

 筆者は、ジュール・ベルヌでもなければ、H.G.ウエルズとも異なり、むろんハドソン研究所とも関わり合ってはいない。
 しかし、先行きを見ぬく有力な切り札を授けられている。

 その切り札とは、人類の本性への理想主義を取っ払った洞察が来たるべき高度演算化社会の様相にまつわる予測的描写において発揮された場合の、ラジカルな土台に足場をすえる有利さだ( どうです、ややこしーでしょう )。

 幸いにも、筆者のたれる能書きが果たして、奇なるものか、真なるものか、その見極めはまさに一世代たたなければ、だれにもわかりはしない。
 光文社『ノストラダムスの大予言』の著者も同様に思っただろうが、とっくに期限を切ってしまった。こちらでは世界の破滅を予見しているわけではないので、あれほどの思いはせずに済む。




「とにかく希望が持てるのは、専門家たちが行き詰まってるってことでしょう。権威筋が『不可能』と太鼓判を押した直後には必ず、素晴らしい発見や発明がもたらされます。それも若手の研究者かまったくの素人によって……失礼、ドクター。もちろん、あなただけは例外としての話ですが」
( ビリー=ボニーの言葉から。『キング・ミーツ・クイン』より )





未来への目次

はじめに計算力ありきロボットえらいクローンこわい
環境いたいタイム≠フリージジババいらん
最終社会未来予測よもやま話


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