ご注意
以下の文章は、もう十年以上も前に書かれたものです

「環境いたい」



 地球温暖化という言葉が世界語となるはるか以前の1976年、未来学者ハーマン・カーンが、その著作『次の二百年』で、次のような、のんきなことを書いている。

『北氷洋の氷群が永久に融けてしまうかもしれないが、北氷洋の氷はもともと浮いているものだから海洋の水位を著しく押し上げたりすることはまずない。もしグリーンランドと北氷洋の氷山が数世紀にわたって融け、海洋の水位をかなり上げたとしても、それが人間社会の終焉を意味するとは限らない。ただ農業地帯や沿岸都市でいろいろな転換措置が余儀なくされるだけの話である』


 しかしカーンは、まったくのホラ吹き親父ではなかった。
 同じ章でこうも書いているのだ。

『大気圏内の炭酸ガスの量は、長い間潜在的な脅威と考えられてきており、今後も厳重に監視する必要がある。……(中略)……一八五十年から一九四十年の間に地球の平均気温が華氏で約二度上昇したが、これは前記の原因によるものと推定される』


 また、フレオンとオゾン層との関係についても早々と言及をおこなっている。

『最近の調査の結果、新しい問題が発見された。ハーバード大学の科学者の発見によると、缶入りスプレーに広く使われているフレオンが、徐々に地表から成層圏に昇り、そこで日光によって分解されて遊離塩素を発生するというのである。塩素はオゾンと反応して、保護層の消耗をもたらす。計算によると、現在大気圏下層に放出されているフレオンは、今後数年の間にオゾン濃度減少の原因となるという』


 ハドソン研究所といえば、楽観的未来論の総本家のようなシンクタンクだったが、将来の問題について、押さえるべきところはしっかりと押さえていたことになる。
 今になってこんなに大騒ぎするのなら、人々は二十数年前に、『次の二百年』を読んでおくべきだったのだ(サイマル出版から、『未来への確信』という題で邦訳された)。 




 今日、あまりにも大勢の人々が、ひとつしか台詞をもらえなかった群集場面のエキストラといった勢いで、環境保護の必要を叫ぶ。
 だが、待て。
 地上がこれだけ善玉で埋め尽くされているなら、悪役はいったい、どこに存在できるのだろう?
 どこかのだれかが、この地球に対し、人類に対し、底知れぬ悪意を抱き、生存の場の破壊に全精力を注いできたとでも?

 なるほど。筆者は、とびきりの悪党というものを間近で大勢、目にしている。
 時々は、その者たちにとびきりの罵声を浴びせたくなる。

「たいがいにしやがれ、うすらボケども!」


 地球をここまで追いこんだのは、明るくあるべき現状を一世代も前になされた警告的予測が的中してしまう状況に至らしめながら、そのことを省みず、まさしく今現在、正義の場から将来への悲観論をわめき立てる、その他大勢すべての者ではなかったか?

 そう。迫りくる危険を手遅れになるほど放置したのは、警鐘など耳には入れず、明日の災厄は担保に預け、借り受けた時間で一日の愉楽を追い求めてきた大多数の人間たちだったはずだ。
 あげくの果て、早くから、未来に待ち受ける問題について行き届いた解決法を提唱しつづけた成長支持者たちのほうへ責をまわす。
「あいつらは、未来は明るいなどと吹聴し、みんなを油断させた」

 恥が日本人にとって唯一のモラルだとしたら、大人も子供も、恥を知るべきだ。

 ナチ党政権下のドイツ人ならば、われわれはヒトラーに騙されたのだと言い逃れもできよう。
 だが、わが日本の環境に対する罪過については、目の前で起きたことを述べるしかない。
 フロン=ハロンの脅威が増大した八十年代と九十年代は、明るく健常な精神が、万人のための輝かしい未来観が、広範に支持された時代などではなく、モラル度数ゼロの、こざかしいプチ・ブル気取りの大人ガキどもが、世相を乗っ取ったかのように幅をきかせ、下劣な喜びをせしめた、目も当てられぬ一世代だった。

 今日の危機を醸成したのは、横行する破滅論を考えなしに受け入れながら、来たるべき厄日を食い止めるためにはまるで動かずに明け暮れしてきた、かかるリクルート的独善主義の風潮に毒されきった大衆以外のなにものでもないのだから。
 まるで時代の傍外に追いやられた成長推進主義者が現在の危機的事態を招いたなどとは、だれにも言わせはしない。



余禄

 筆者は、地球のことを母なる星とまでは思わない。
 ガイア理論などは、マザー・コンプレックスにとらわれた者の幻想にすぎぬのではないだろうか。
 うかうかすれば、この「母なる星」は、われわれがなした環境への功罪などとは関わりなく、その子らを滅亡の淵に引きずり込んでしまう。
 地球とは、ホモ・サピエンスがたまたま生れ落ちた、その生存に適する条件をかろうじて充たせる、ひとつの天体でしかないのである。
 重力にしても、金星くらいの地球より少し軽いめのほうが、人体にははるかに有利に作用してくれるはずだ。
 ガイアとは所詮、人類が一人立ちできるまでの仮の宿りであるにすぎず、われわれは永劫に母なる大地と同体だなどと悦に入るのは、大の男女が乳母車にしがみついて離れようとしない状態にほかならない。
 それでは、どちらもダメになるだけだ。




次回。時間旅行の不可能性について


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