「未来は老人社会。そうすっと、ジジくさく振る舞うのがもっとも未来的だっつうことになるんかいな?」
「なりましょうのう」
役に立たなくなった者をはじき出すという行為は、長い人類の歴史の中では異常なことではなかった。倫理上の是非はともかく、そうした選択をやむなきものと認める意識は現代人にも受け継がれている。
未来の人たちは、老齢者を廃棄する代わり、科学的手段によって、老人という存在そのものを、すなわち老齢期なる状況をなくしてしまおうとするに違いない。
すべての人間に老化という現象が(、すくなくとも老化による害が)起こらざるものにするという、新時代的に解釈された「姥捨て」の一斉断行である。
この章では、いわゆるところの老人問題を取り扱っている。
でもそれは、「何十年後に何十歳以上の高齢者が人口の何割を占めていて――」という類の、ナンセンスな現況展開としてではない、あくまで新世紀大学流の取り扱い方によってだ。
≪ 以下の空白部分は、改稿中です ≫
「じゃあ、年金もらえへんの?」
「前向きに考えましょう。年金なんかいらなくなるんですよ」
これは断言していいが、十年以内に、老人問題対策のため老人福祉税が導入されるだろう。
老化制御の研究が飛躍的に向上していくのも、ひとつにはこの税制措置のおかげである。「世の中に尽くしてくれて、ありがとう」などと言いながら、その実、社会的に余分な者を養うための税金など、だれも払いたがらないはずだから。
年金の支給額が削減されるのに合わせ、高齢者の人材利用による社会活動とメトロ型情報システムを統合した全国的なネットワーク(名付けて、モットワーク)が生み出される。
要するに、年金を受けながらのアルバイトが認められるわけだ。いや、アルバイトしなければ、年金だけでは暮らせなくなるのだ。
これにより、「引退後は年金で悠悠自適」という構図は消え去るものの、大多数の高齢者がなお社会に参加しているという意識を保ち続けられる。しかもこのシステムは、介護や救急が必要なとき、威力を発揮する。
生体革命の展望型予測 |
2007年 | ハイブリッド方式による人体への臓器移植が実用化される。 体外からのソナー式検診により、汚染物質の体内分布や血液の流れが実時間で測定できる技術が普及する(☆ すでに開発はされている)。 |
2011年 | 老化の仕組みの正確なメカニズムが解明される。 (クローン税の導入という限定条件付きで、人体複写が認可される?)
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2012年 | 生活スタイル、汚染物質、ストレス等による人体環境破壊についての社会的、経済的損失の評価方法が確立され、防止のための規制システムとして普及する。
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2014年 | 遺伝子の診断により、長期病気予報(数年から数十年先)の手法が確立される。
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2016年 | 活性酸素、発癌物質、体内蓄積物、有害金属等を、体内において吸収、無毒化する人体浄化技術が普及する(もしかして、「吸収調整剤」のことか?)。
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2017年 | DNAなどの生体情報をもとに、各人を近い将来(数ヵ月から数年先)に見舞う身体的災厄を予測する技術が実用化される。
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2018年 | 老化の制御や体内蓄積物を排除する技術開発が進み、全世界的に「人体環境保全対策」が普及する。もろもろの事情によってもたらされる人体への害に対して、DNAの若返りやハイブリッド方式を利用した修復技術が駆使され、損傷をほぼ完全に遮断できるようになる。
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妥当な予測であろう。
雑誌『ニュートン』でも、脳の老化を制御できるようになるのは今から二十年後としており、これと符合するのだ。
「あんたはあと十三年たったら、脳腫瘍になるんだよ」
「ああ、そうですか」
実際の話、癌が成育するには十九年かかるのだ。
朽ちた肉体を若々しくリフレッシュさせることがいきなり可能になると言っているのではない。
老化の克服は、次の三つの段階をたどって実現されていくことだろう。
前段階 老化の仕組みの正確なメカニズムが解明される。(2011?)
第一段階 はじめは、老いていくペースの減速化に成功。(2018?)
第二段階 それから十年から一世代後。今度は、老化の停止。(2025?)
第三段階 さらに十年から一世代後。いよいよ、若返りが可能に。(2026以降)
このように、「生命の革命」の推進者たちが成し遂げた偉業を、一部の変り者は別として(※)、世界中のすべての大人が歓呼で迎え入れる結果、地上から老人がしだいに姿を消す。というより、老人の姿をした高齢者が減っていく。
※ あなたがぼくより変り者だとか、ぼくがあなたより変り者だとか、比較の意味で言ったわけではない。いつまでも若く、健康で生きられるようになることを喜ばぬ人というのは、すでに普遍的な意味合いでの変り者なのである。
不老不死をテーマにした映画にせよコミックにせよ、『天寿をまっとうしてこそ自然で、人間らしい』といったわかった調子の、でもやはり全然わかっていないエンディングで締められるものが多いのは、人類がまだ、天然の願望を抑圧しなければやっていけない時を生きているからにほかならない。
今は、不老不死が実現すると聞けば、夢のような話だと思う人のほうが圧倒的多数派だろうが、その実、不老不死の肉体になればいいと願っている人も、同様に圧倒的多数派であるのはあきらかなのだ。
生活空間。
「生命の革命」が達成されたあとでも、自殺者は出るだろうし、修復不能なほど損傷を被る傷病者も出るだろう。それでも死亡率は出生率をはるかに下回るわけだから、当然、地球人口は肥大化していく。
ここで、よからぬ方向に想像を働かせる人もいるかと思う。
「地上が健全な成人ばかりで満ちあふれ、死ぬ人がいなくなってしまえば、栄養も燃料も不足するだろうから、やはり人が死ぬことは必要だ」
そう考えるのは、非二十一世紀的な悲しむべき後退的発想である。
水を注いでいる浴槽があふれそうだから栓を抜いて排水する。人口問題についてどうして、そういった類の考え方しかできないのだろうか?
「人が死ななくなれば、人も生まれなくなる」
人類という種には天然の溢水防止装置が備わっている、と考えるほうが理にかなう。
現在でさえ、先進国での男性の精子数は減少しつつあるといわれる。
生活水準が向上すれば、開発途上国でも出生率は横這いになっていき、やがては下降線をたどるはずだ。
食糧増産、エネルギー開発、居住空間、すべてにおいて対応策は山積みである。(笑)
これらのことで煩うのは、小さな子供が、オチンチンがちっちゃいけど大人になったらどうしよう、と案じるようなものだ。
人類の発展する過程では、その時々に応じさまざまな不都合に見舞われるはずだが、同時に、解決策自体が必要となるのを待ち受けながら成長しつつあることを忘れてはいけない。
いつの場合でも、進歩する科学技術それ自体の中から、生み出されるトラブルを収拾するための妙案が見つけ出せるに違いない。
それでもダメなら、宇宙があるさ。
とはいえ、現在の時点で宇宙開発に大枚を注ぎ込むのは愚の骨頂である。
労多くして益少なしの成果しかもたらさず、ヴェトナム戦争を推し進めた政府に対する国民同様、やがて人々に宇宙計画への拒絶反応を起こさせるようになりかねない。
当分の間、地球で稼いだ金は地球上のことで使うべきなのだ。
だが将来、おそらくは二十一世紀後期以降、地上のすべての国から貧窮にあえぐ難民が姿を消し、世界総生産に占めるはるかに小さな負担で大気圏外での活動が可能になったとき、人類が宇宙空間に居住空間を見いだすのを拒む理由はどこにもなくなる。
それから先の筋書きは、エイドリアン・ベリーの本でも読んでもらったほうがいい。
とにかく、太陽系にある資源だけでも、数千億の人口を数万年は養えるはずだ。
最悪の場合、地球上では完全な産児制限がおこなわれ、赤ん坊を産み、育てるのは宇宙移住者だけの特権になるかもしれないが、かかる処置が必要となるのは数百年は先のことであろう。しかも数百年後の人々は、そうした対応を迫られながら、なお深刻な問題として捉えたりはしないかもしれない。
要するに、「生命の革命」の成果が人口の受け皿を破壊的に圧迫すると考えるのはお門違いもはなはだしいということだ。
価値観。
だれもがいつまでも生きられるようになれば、人々から生命の貴さについての認識が薄れるからロクでもない世の中になるだろうと危惧するのは、貧乏人が金持ちになったら人間性を無くしてしまうのではと心配するに等しい。
金持ちであるのは貧乏のままであるよりはるかにいい状態だということは強調しておかねばならない。
お金がない人間には、お金がなくなることで保てなくなるもの――おもに自分や家族の生活――の価値にしか思いが及ばない。その結果、人生観と文字通りの意味での宇宙観が刹那的なものにならざるを得ない。
≪ この部分、なお執筆中 ≫
一方、財政的に余裕ある人間は、 それを使うことで手に入る(入れられる)もの(を理解し、)
ることができる。
人が金銭の本当の使い方を身につけられるのが金持ちになってからだとすれば、人が生きることの豊かさを実感することも、各人の寿命が永続的に保証されたあとで、はじめて可能となるに違いない。