映画『南京』について

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予想されたようなものとは違う内容らしい。
大勢の中国人を殺す日本軍を描くのでなく、逆に、日本軍から大勢の中国人を保護した人々を描くものだという。
そう、安全区で活動した国際委員会の面々が主役なのだ。


映画「南京」 サンダンスで初公開 際立つ「日本の残虐性」

 【ソルトレークシティー(米ユタ州)=松尾理也】1937年12月の「南京事件」をテーマにした米ドキュメンタリー映画「南京」が、ユタ州パークシティーで開催中のサンダンス映画祭で初公開された。同映画の制作陣は産経新聞と会見し、「反戦映画ではあるが、反日映画ではない」と述べる一方、中国の国営テレビ局との共同制作の形をとっていることなど、中国との密接なかかわりも認めた。

 「南京」は、当時南京に滞在していた欧米人の証言、事件で生き残った中国人へのインタビュー、旧日本軍兵士へのインタビューの三つの角度から事件を描く構成になっている。

 このうち、中国側のインタビュー部分には、生存者が出演し、涙をながしたり、傷跡を示したりしながら、日本の残虐性を訴える。

 一方、旧日本軍兵士の部分の多くには、日本国内の平和活動家によって収録されていた過去のインタビュー映像を使用。一部には、文脈は不明ながらも、笑いながら虐殺を語る映像なども挿入され、中国側との対比が強調されている。

 制作指揮はインターネット接続大手AOLの元副会長、テッド・レオンシス氏がとり、監督は、アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を2度受賞したビル・グッテンターグ氏が務めた。

 レオンシス氏らによると、同作品は、中国中央テレビ(CCTV)の協力を受けて制作され、今後同テレビでの放送が予定されている。日本での公開は未定だが、同氏らは「広範な取材、調査に基づき、正確な内容を期した。多くの日本の人々にも見てもらいたい。政治的な意図はない」と話している。

Sankei WEB/2007/01/26 http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070126/usa070126000.htm

 例によって、なんでも中国の陰謀と結びつけたがるサンケイの偏向ぶりときたら、現代日本の恥部を体現してあますところなしだが。
そうした報道からでも映画の真実は垣間見えてくる。

−−事件をめぐっては、さまざまな論争がある

監督「この主題についてこのストーリーしかないと主張するつもりはない」
製作者「犠牲者数についても、激しい論争があるのは承知している。そこで、私たちは東京裁判での数字を引用することにした。もっと少ないという意見はあるだろう。では、少なければ問題ないのか?というのが私の意見だ。数の多寡は問題ではない」

 まさにしかり。

−−反日映画ではないと強調しているが、日本に肯定的な部分はほとんど感じられない

監督「語ろうとしたのは、歴史の一つの側面だ。いろいろ取材はしたが、結局、当時現場にいた人々についての映画にすることにした」

 インタヴュアーにはそもそも、日本軍が罪を犯した立場であり、賞賛される側ではないことがわかってるのだろうか?

−−日本では石原慎太郎・東京都知事らにも取材を行ったそうだが、そうした保守派の意見はまったく反映されていない

監督「その部分が映画に含まれていないことは遺憾に思う。しかし、私は同様に、他にも取材しながら映画からそぎ落とした多くの部分についても遺憾に思っている」

 つまりサンケイには、否定派の意見が出てこないことだけ問題なのだ。
都知事らの意見がポアされたのは、再録する価値なしと判断したからだろう。
「捏造だ、陰謀だ、便衣兵だ」、例の通り、呆れることばかり言ったのでは? そんな場面が入ったら百年目で、世界の観客の目に、日本の悪役度が印象付けられるだけ。
むしろ日本人として、作り手らの見識に感謝したい。

−−故アイリス・チャン氏の「レイプ・オブ・南京」にはどれほどの影響を受けているのか

製作者「チャン氏の死亡記事をみたことが制作のきっかけになったのは事実だが、同書については史実的に不正確な記述が多いと聞いている。この映画は同書に基づいて作られたものではない」

 暮れから年初にかけ、「『レイプオブ南京』が映画化!」とか大々的に騒いでたネット右翼って、何だったんだ?
まあ、無理ないか。「イーストウッドが南京映画を監督」という、あの読売新聞の誤報でパニクりまくったのと同じ連中だから。


ちなみに以下は、映画『南京』の企画書だ。

南京プロジェクト(仮題)

作品主旨

1937 年 12 月の日本軍による南京陥落の前後を取り上げる長編ドキュメンタリー映画。当時南京では何が起きたのか、「南京事件」と言われる出来事に関わった人々はどんな人たちだったのか。「大虐殺」とも呼ばれる状況が起きたことに、どのような社会的・文化的背景があったのか。アーカイヴ映像、写真、インタビューなどを使い、当時の様子を描きながら、これらの疑問を投げかけたい。また、その答えを探る一つの手法として、南京に在住していた西洋人、中国人、及び日本人によって残された手記などを現代の俳優が朗読する。

作品構成

当時、日本軍の攻撃が激しさを増す中、南京市内に「安全区」を設置し、何万人もの南京市民の保護に献身した西洋人の視点が作品の核になる。

彼らは南京が戦火に巻き込まれた状況下で出国する選択肢があったにも関わらず、現地に留まり「安全区」を設置し、区内に保護された中国人たちの生活を支えた。彼らを突き動かしたものは、一体何だったのか…。残された記録の断片を集め、可能な限り読み取っていく。

また一方で、攻め入る日本軍に降伏し、追いやられていった中国人兵士たちの状況はどうだったのか。南京で庶民は何を目にし、体験したのだろうか。天皇のためにと出軍した日本人兵士たちは何を体験し、感じたのだろうか。また検閲の厳しい戦時下、現地に派遣されていた記者たちは何を目にし、伝えたのか。

このように「南京事件」に関わった様々な人たち自身の日記、証言などの記録を一連の著名俳優(アメリカ人、中国人、および日本人)が劇場舞台で朗読し、当時の記憶の再現を試みる。

朗読される映像の間には、インタビュー映像、ニュース映像、記録写真などを織り込んでいく。当事者、元兵士、研究者、知識人などを取材することにより、現在ある様々な「南京事件」の見解の相違を探り、背景にある複雑な社会状況を示唆したい。そして重要なのは、西洋人、中国人、日本人の全てが、この時、人間としてどのように行動したのか、人間性の繊細さ、複雑さを描き出すことにある。

プロデューサー: テッド・リオンシス (Ted Leonsis) /ビル・グッテンタグ (Bill Guttentag) /ダン・スターマン (Dan Sturman)
監督: ビル・グッテンタグ
http://hassin.sejp.net/nanking01.pdf

さすがアメリカ人、作戦がスマートである。
たしかに、「いくら殺した、いや殺さない」といった不毛な論争より、このやり方のほうが皇軍の実態と罪の規模というものを際立たせてくれる。

あのとき、安全区で国際委員会が健闘しなかったなら、どうなっていただろう?
記録に残るよりも日本兵が紳士的に振る舞うなど期待できなかったことを思えば、委員たちの功績は偉大というほかない。
彼らは、いまならばノーベル平和賞の授与が確実なほどの大仕事をやり遂げたのだから。

私は肯定派というより、史実を素直に追認する者だが、これまで、皇軍の罪科を追うあまり、現場にいて父祖たちの罪を命懸けで食いとめてくれた功労者らを過小評価していたのに思い至らなかったとは、悔恨の一語に尽きよう。

たしかに、肯定派は罪をなした者と犠牲者にばかり目を向けてきた。
そして、善き人々を讃えることを忘れていた。
胆に銘じなければなるまい。






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