靖国派のバイブルは子供の漫画
−−ROOSTER ROOST−−




「日本の漫画って、子供が読むには残酷すぎるよな」
「聖書だって残酷でしょ。都市住民を皆殺しにするなんて」
「聖書には慈悲深い神様も出てくるぞ」
「そんなキャラクター設定の神様じゃ、意外性ないですよ」



ご注意
以下の文章は、2009年秋より前に、
つまり自民党がまだ日本を支配していた頃に書かれたものです

外国人には信じられないかもしれないが、日本の現内閣幕僚らの先の大戦への解釈は、あくまで「皇軍は大義ある解放軍だった」とする二世代も前の子供向け戦記漫画と変わらぬ水準にある。

本当の話だ。
いい年こいたおじさん達やおばさん達が、いったい何を根拠にそんな「史観」を抱くことになったのだろう?
彼らが子供時代、こうしたアニメやドラマを見ながら育ったからにほかならない。






(YouTube - 0戦はやと)
1964年


(YouTube - 怪傑ハリマオ)
1960年代初め



いや、彼らは本気なのだ。
普通の人なら、そんな歴史認識をどんな理屈を用いたところで大人の世界で通用させられないとわかるはずだが、憲法を変えても通用させてみせるというのがこの連中の決意していることだから。

それも、「過去の歴史に誇れるものがないと、国民が自信を失い、国を愛する心がすたれる」という、とてつもなくぶっ飛んだ理由から。
とにかく嘘をつきまくって、「第二次大戦中、日本は交戦諸国の中で唯一の正しい国だった」と思い込ませようというわけだ!

しかし……。
過去に誇れないことをした国だからと言ってどうなのだろう。それが今の個々人の身にとって具合の悪いことかと小一時間。
敗戦後を生きた人々は、自尊心を奪われ、まさに侵略国家としての世界的評価にさらされながらも頑張りぬき、「復興」という今日の繁栄に結びつく巨大な偉業を成し遂げたのではなかったか?
それこそ誇りにすべきことと思うが、軍人でない人々が平和的手段でもたらした事跡では都合が悪いのだろうか?

だいたい日本人だけで正しかったと呪文を唱え、あの時代の日本への国際評価が変わるなら世話がない。

ところで戦後のドイツは、日本の歴史修正主義者がやろうとするのとまったく逆のことをやってきた。
つまり、枢軸時代のことをありのままに教え、ナチスを正当化するような行為は法で禁じている。
ナチズムがドイツ自身にとっての未曾有の災厄という認識に立つなら、これは当然のことである。

それでドイツ人が自信を失い、社会や秩序を守る気概がすたれているだろうか?
ロシア、チェコ、フランスなど、旧被害国がドイツに悪印象を抱いただろうか?
かえって、今のドイツへの周辺国の評価が高いのは、あの国がナチ体制にもはや二度と逆戻りしないのを確信できるからではないか?

日本のバカウヨどもは悪あがきをやめ、謙虚になれなくてもいいからせめて愚直になり、ドイツを見習えと言いたい。
ドイツとまるで逆のことをここ十年ばかり日本がやってきた結果を思い合わせるとき、これ以上の答えは見出せない。


彼ら歴史修正主義政権はまた、「鎖国」や「キリシタン迫害」、「日本帝国の植民統治」といった日本歴史の暗部についても独特の理由付けで正当化するつもりでいる。

外国人なら矛盾にすぐ気づくと思うが、「正直」「親切」「謙譲」「自己への賛辞にはへりくだる」といった日本人の美徳とされるものは、世界史の中で描かれる日本の自画像にはまったく発揮されずなのである。

実際、日本の過去を史実どおりに論じようものなら、「自虐史観だ」「反日だ」と牙をむきだす堪え性のない連中が跋扈するのがインターネットの日本語圏だ。
「しきたり道理に振舞うのは日本人同士で居るときだけ。外国人に向かうときは図々しくしないと舐められる、それが国際流儀だ」ということらしい。

もしかしたらこの思考法こそ、「やさしい日本人」による戦時中の残虐行為を解き明かす鍵かもしれない。
そのことは置いといて。


いったい、かくも愚かしい為政者たちはどこから来たのだろうか?
実は、彼らとその中核的支持層は、子供の頃に『零戦はやと』や『ハリマオ』のような低級な戦記番組の洗礼を授かった世代の中から現れた。
幼少時に抱いたイメージは強烈である。

ニッポンはとにかく正しい国なのだという思いが捨てきれず、より高次元の媒体からいくら日本が侵略する側だった史実を示されても、親から悪戯を叱られた童子のようにうわべでは渋々と承服しながら、心の中では舌を出してきたに違いない。
「そんなわけないじゃん、ば〜か」

馬鹿はおまえのほうだと言いたい!
子供の頃に馬鹿なのは仕方がないが、大人になっても馬鹿のままでいるとは本物の大馬鹿者であろう。

かくして、卵の殻より大きく成長できない、自分の国に責任をもつことをしない非常識国際人は育っていった。
新世紀の日本における歴史修正主義の暴走は、そうした大人になる試練から逃げ続けてきた連中が団塊となり、ついに暴発させた、世界の現実に吠えかかるシュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)にほかならない。
(もっとも、彼らの看板役となる内閣総理大臣が公式の場でそのような本音をぶちまけることはない。
小泉以後でさえ、歴代の日本国首脳は「(侵略の罪を認めた)村山談話を踏襲する」ことを明言し続けている。
あきらかに彼らには認知能力がある。中国とアメリカを同時に怒らせたら、日本にすら自分の居場所がなくなるのだけはわかるのだ。)


ある程度まで生存能力の発達した人間ならば、過去の苦い経験から引き出した教訓を、先々に生かそうとするものである。
たとえば、日本が惨敗した事実が残念でたまらないなら、どうしたら勝てたかということをまず考える。

戦う相手がまずかった。補給が不手際すぎた。同盟国と協調しなかった。ハリマオと零戦はやとの活躍に頼りすぎた……。
結局、昭和の軍国主義は当時の世界情勢のもと国難を乗り切るのにまったく不適格だったという答えに、普通の人ならば行き着く。
そもそも、日本を見舞った国難自体、軍国主義の暴走が招いたものではないか。

筆者の知るかぎり、そんなごく当然の全体図が見える者すらも、靖国主義に陶酔する者の中にはあまりにも少ない。
代わりに、皇軍将士のマゾヒズムのきわみともいうべき滅私忠君ぶりを讃えまくるという人格的な特異ぶりを披露してくれる。
この思想の持ち主には先天的に戦争に勝つ能力が欠落してるのではないかと確信を抱きたくなるのだ。

言ってやりたいものである。
「今度は、靖国派ぬきでやろうぜ」




( 続く )






キルロイ見てるぞ


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