原子爆弾と抑止力




 四十五年夏の日本に原子爆弾があれば、それが抑止力となって敵方は原爆を落とせなかったと考えるのは浅はかである。

 あの大日本帝国、しかも末期の大日本帝国が核兵器の保有国だったとして、当時の国民の精神状態からすれば、抑止どころか一も二もなく戦場で役立てたに違いない。

 日本の航空戦力ではアメリカの本土爆撃までは無理だったろうが、房総沖の米国艦隊、満州のソ連軍、そして中国の都市にそれを投下しただろう(アメリカ人は日本が黄色人種の国だったのでためらいなしに使えたかもしれないが、日本人は違う。相手がどこの国の人間だろうとおかまいなしに非道さを発揮できるのだ)。

 こうなると、日本による史上最初の非人道兵器の使用は、相手方にパールハーバーのときを上まわる対抗的口実をあたえ、合衆国は今日なされるほどの非難はこうむらず、より効果的に――つまり、敵方の損害については酌量せずに――新時代の戦争を遂行していただろう。

 かくして、大戦末期の様相は核攻撃の応酬となり、わが列島での被爆地は広島、長崎にとどまらず、津々浦々におよぶすべての市街地が総力戦への貢献が不可能になるまで焼き尽くされたに違いない。

 抑止力とは、抑止する心があって、はじめて力を発揮するものなのである。




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