Yahoo!掲示板遠征記
貴方がお奨めの「世界の愚将/悪将」は?

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日本人とアメリカ人
投稿者: Manforstorm
投稿日時は、2000年8月28日以降と推測
メッセージ番号不明0
 さて、Westpoint_1999さん。
 メッセージ250「本土侵攻だけが反攻ではない」にお答えしたいと思います。


>「連合艦隊が西に去れば、4隻の正式空母をもつアメリカ艦隊に対抗できる海軍力は西太平洋にはありません。その機動力を駆使して、開戦初期に日本軍がやったような奇襲・強襲作戦を好むところでくりだすことができます。…… 中略 ……おそらくラバウル、ウエーキさらにはトラックに攻略作戦が展開されたと思われます」(メッセージ250より)

 この状況には、日本とアメリカの国民性が大きく関与してきます。
 当然、連合艦隊が太平洋を留守にすれば、対する米軍は活気付けられ、ドゥリットル級の空爆や海上部隊による小規模な陽動作戦は頻繁におこなわれるでしょうが、動じてはいけません(戦争ですから!)。
 現実にイギリス国民は、Uボートによる商船破壊でアメリカとの連絡を遮断寸前にされ、ドイツの空爆に国土を痛めつけられながら、戦時生活を耐えていました。
 しかしながら、皇国の臣民のほうはそれができなかったのです。しかも、連合艦隊が日本にいても。
 東京に爆弾を落とされたから、遠路はるばるお返しを見舞いに、中部太平洋まで出かけていく。
 早期に米国民の戦意を挫くと豪語していた男が、小規模な本土爆撃による軽微な被害に動揺したように、総勢を引き連れ、はるか敵対水域のど真ん中で国家の命運を賭した勝負を挑むとは!
 これはもう、ミッドウェー以前の問題で、かかる過敏な国民性をもろ出しにして世界戦略を遂行したことが間違いの第一歩だったとしか言いようがないのです。
 「一億玉砕」を標榜しながら、その程度の攻撃で騒ぎたてる国民には近代の総力戦を戦うことはできないし、事実戦いぬけませんでした。
 集団自決や絨毯爆撃のような、「みんなで仲良く死ねる」状況でなければ、死地に赴く度胸は発揮できなかったのでしょうか?

 それはともかく。
 このように、私が唯一の枢軸側延命案として提示するスエズ遠征が実現ならなかった理由を突き詰めることによって、当時の日本の国民性が浮き彫りにできるのです。
 無益な玉砕なら喜んで受け入れるが、あらゆる可能性を検討し、粘り強く戦いぬいて勝ちをつかむ行為に先天的欠陥をさらけだすという国民性が。

 さて、アメリカ。
 以前の稿でも述べたように、アメリカ人の目は、つねにヨーロッパを向いています。
 日本人は内心ではアメリカ人から注視されることを求めますが――山本がアメリカと開戦することに固執したのも、こうした深層心理によるものではないかと思える節さえあるのです――、アメリカ人の意識では日本、というよりアジア全体のことは二の次であり、これは第二次大戦の全期を通して変わることのなかった戦略方針にもあらわれています。
 朝鮮戦争が不徹底な戦果で終わり、ヴェトナム戦に敗北を喫したのも、このアジアから益は得たいがアジアのため労は払いたがらない対アジア姿勢が一因であったかもしれません。
 要するに、アメリカ人はアジアではなるべく血を流したくないのです。

 1942年の太平洋艦隊の規模でも最大限に役立てれば、大東亜共栄圏の守備に大きな被害をあたえられたでしょうが、慎重派のニミッツ提督は、次の年まで保たさねばならない手持ちの機動部隊をことさら危地に投じるような真似はしでかしません。
 敵の守備水域の中でヘタに動かせば、彼らにとってのミッドウェーを招くことになりかねないからです。
 ハルジーならニミッツの指揮のもとでさかんな挑発を仕掛けるでしょうし、実際にも仕掛けましたが、1942年の時局では、日本側の撹乱を目当てとする陽動作戦の域を越えた実質的戦果は度外視せざるを得ないのです(現実には、この陽動作戦に含まれるドゥリットル空爆によって山本はミッドウェーにおびき出され、アメリカ側の勝利に貢献する結果となったのですが。しかしこれは、山本の落ち度であり、米軍の陽動作戦そのものが空母機動部隊を壊滅させたわけではありません)。

 戦略爆撃が本格化するのはサイパン失陥後からですが、米軍にとってサイパンの占領は1944年の時期でさえ、マリアナ沖海戦に投入したような大規模な海上兵力によらなければ不可能なものでした。
 「不可能」とは、物理的な日本軍との戦力比から言うのではなく、それほどの圧倒的火力が集中できない状況では、すなわち軍事的成功が保証されない条件下では、米軍上層部が作戦の決行を了承しないという意味ですが。
 中途半端な戦力で重要な作戦を遂行することはアメリカ軍の好みではないのです。

 日本とドイツにとって戦争に負けることは、直接的に国の破滅を意味しました。
 しかし米国が戦争に勝てなかったとしても、世界の中での影響力が弱まるというだけの話で、それが国家存亡の瀬戸際とはほとんどのアメリカ人にとって認識されなかったのです。
 この差は決定的なもので、戦略方針にも影響をあたえます。
 勝ち目があると確信するゲームを、さらに勝ち目が増大するまで待ち、ゆっくりと動く。
 これは、太平洋でもヨーロッパでも、アメリカ軍の一貫して見せた戦いぶりでした。


 長くなりました。
 「メッセージ250」の続きの部分への意見は、次の投稿までお待ちください。 


 これは ヤフー掲示板で実際におこなわれた論争を再現したものです