「それでも僕は奴じゃない」


山本ヤマと本山マヤ



 山本耶麻(やまもと・やま)には友だちがいなかった。
 しかも名前のことで、いつも馬鹿にされる。

「おい、山本ヤマ。下から読んでも、山本ヤマだろ」
 からかわれて耶麻(やま)は、答える。
「バカ! 下から読んだら、ぜんぜん違う。平仮名だと、まやともまや。アルファベットなら……いいか? A-M-A-Y-O-T-O-M-A-M-A-Y!」
「あ、エラそうなこと言った」
 黙っていればいいものを。やり過ごすことのできない性格のため反抗的な受け答えをし、いつも不興を買ってしまう。結果は、ますます嘲られるのだ。
 彼がいじめられ通しなのは、こんな性格のせいかもわからない。

 ある日、転校生がやってきた。
 悪童だらけのこのクラスにはもったいないほど気立てよさそうな可愛い子。
 なんとなく誰かと似ている。誰にだろう?
「本山マヤ(もとやま・まや)です。よろしく」
 黒板に書いて紹介された名前に、みんなが沸いた。
「本山マヤだって……逆さに読んだら、山本ヤマじゃないかよ!!」

 ちょうど最後列、その山本耶麻(やま)の隣りが空いていた。
 本山マヤはそこに座ることになった。
 マヤの教科書もまだ届かないので、しばらく隣席の耶麻が面倒みてやる。
 本山マヤは顔立ちも山本耶麻(やま)と似ており、いっしょに並ぶと妹のようだ。

 ただし二人の資質には、かなりの差がみられた。いろんな面で、女子のマヤのほうが男子の耶麻より優っている感じだ。学力も運動神経も。
 みんなは、マヤと耶麻とが兄妹のようにそっくりなのに、どうしてこんな違うんだろうと不思議がった。マヤは一目見ただけではきはきした優等生タイプとわかるのに、耶麻ときたらまるでやる気のない落ちこぼれにしか見えなかったから。

 耶麻は教材をマヤに並覧させてやるのが役目だが、それは授業のはじめのうちだけでよかった。
 マヤは一読でそのページを理解した。全体のつながりを把握するのも得意で、耶麻が忘れたところを教科書のどこにあったのか遡って示すこともできた。
 こんな具合で、マヤのほうが耶麻の世話を焼いてやることが多くなった。

 はじめのうちクラスの子たちは、マヤの可愛さと勉強や運動が出来るのを好感し仲良くなろうと近づいてきたけれど、マヤが耶麻から離れずいつも一緒にいて、とりわけ耶麻がいじめられると味方になってかばったりするため困惑した反応を示すようになる。
 クラスのみんなは、本山マヤとは仲良くなりたくても山本耶麻まで受け入れられない。本山マヤといっしょに、山本耶麻がオマケで付いてくるなんて真っ平だ。いきおい、マヤから耶麻を引き離そうとした。

「ねえ、本山さん。山本耶麻くんと隣り同士だよね? あの子となるべく一緒にいないほうがいいよ。アンタッチャブルだから」
「アンタッチャブル? なに、それ。美味しそう」
 マヤはとぼけてみせた。
 アンタッチャブルとは不可触賤民、昔のインドのカースト制度で最下層の人々を意味するのはもちろん知っている。けれども、その呼び方を山本耶麻に適用するとはどういうことだろう。

「つまりね。スクールカーストで山本くんは最下位だから……」
 女の子の一人がまるで禁則事項を押し付ける口調で説明する。
「そばに寄ったらいけない子なの。手をつないだり体に触れたり、話すのもダメ。一緒に歩いてもご法度よ。友達になるなんて問題外」
「だれが決めたの?」
「従わなければいけないのよ。ルールだから、このクラスの」
 マヤは、言わずにいられなくなった。
「時代が違うじゃない。今はインドの首相だってカーストで一番下の人がなれるのよ。なぜこのクラスで山本くんと仲良くしちゃいけないの?」
「ここはインドじゃないの。うちのクラスなの。ダメなものはダメなのよ」

 男の子たちはもっと直裁に、マヤの前で耶麻を大っぴらに嘲った。
「山本ヤマって本山マヤとそっくりだよな。双子かよ〜?」
「髪を長くして女の格好したら、わかんないんじゃね?」
「いっそ本山と入れ替わって、女の子になっちゃえ」
「もともと女々しくて、女と見分けのつかない奴だったけどな、山本ヤマって」
「ヒヘハハハハ……!!」
 まるで自分たちが馬鹿にすればするほど本山マヤが耶麻のことを嫌いになると思い込んだ感じなのだが、しかし悪童たちの期待に反し、面目を潰したはずの山本耶麻を本山マヤはますます思いやるのだった。

 マヤを耶麻から遠ざけるのが無理だとわかると、とうとうクラスのみんなは、本山マヤ本人に「好ましからざる者」の烙印を押した。
 彼女はだんだん、仲間はずれにされていった。
 男の子たちは、本山マヤまでいじめの標的にし始めた。むしろ山本耶麻(やまもと・やま)に対する以上の熱心さで。

 ある日。担任の都合で自習をすることになった時間。
 クラスでもとびきり性質(たち)の悪い連中が、課題ほったらかしで跳んだりはねたりしていた。
「あんたたち、なに騒がしくしてんのよ。自習時間なんだから静かにしなさい」
 学級委員の注意も効き目なしだ。
「体育の自習で〜す♪」

 彼らは、自習の課題をいちはやく仕上げて手ぶらな感じの本山マヤにからみついた。マヤの勉強が出来すぎるところも鼻についていたらしい。
「おい、本山マヤ。勉強はもういいから、運動しなくちゃダメだよ、運動。きれいでセクシーになりたいだろ」
「本なんか読んでないで、体操やらなくちゃ。妊娠できなくなっちゃうぞ」
「ほんとだからな。出来のいい子が産めないぞ。山本ヤマみたいに変なのが産まれるぞ」
「ちがう。耶麻くんは変な子じゃない」
「チッ! そんなに山本がいいのかよ」
「そうだ、逆立ちしてみろよ、逆立ち。おまえが逆さになったら、山本ヤマになるだろ」
「そりゃいいや。本山マヤ、下から眺めりゃ、山本ヤマ!」
「アッハッハハ!!」

「そ〜ら、逆立ちしましょ〜。逆立ち〜♪」
 悪童どもはマヤの手をつかんで、椅子から立たせようとする。
「やめて、やめて〜」
 本山マヤが困惑するのを、悪童たちははやし立てた。
 はじめのうち本気で逆立ちさせる気はなく、からかって面白がるだけだったが、本山マヤがあんまり嫌がるので次第にエスカレートして本当にやらせたくなったらしい。他の男の子たちまでくわわり教室は騒然としてきた。
「逆立ちなんて簡単だぞ。おいらが手本を見せてやる。ほら〜♪」
 志家田たけし(しけた・たけし)がそう言って、実際に逆立ちしてみせようとしたところ、みごと失敗、ぶざまにでんぐり返った。逆立ちはけっこう難しいのだ。
 しかし、マヤが拒んでいるのはできないからではない、スカートの中を見られたくないからだ。
 本山マヤには嫉妬を掻きたてるところがあるのだろうか、女の子たちまで一緒になってあおり立てる。
「恥ずかしがることないじゃない。パンツはいてるんでしょ? 大事なとこまで見えないから」

「やめろ。女の子を、マヤちゃんをいじめるな!」
 耶麻(やま)は見ていられなくなり、進み出た。
「代わりにぼくが、ぼくがやる。ぼくが逆さになったら、本山マヤ。おんなじだろ?」
「ケッ」
 悪童たちは鼻白んだ。
「おまえが逆立ちしたって、面白くもなんともねえんだよ」
 口々に罵り、耶麻(やま)を邪険に排除しようとする。
「余計な真似しやがって」「出てくるな」「いいとこ見せたがんじゃねえよ」
 悪童たちははなから馬鹿にしていたところがある。あの運動音痴な山本ヤマに倒立なんかできるわけがない。

 それでも意地になった耶麻は逆立ちに挑んだ。
 一応まともな姿勢の倒立、と思いきや。
 悪童の一人で悪ふざけの好きな長丸まさお(おさまる・まさお)が面白がって、耶麻の半ズボンをずり下ろすというか引っ張りあげるようにしたところ、勢いあまってパンツまで脱がしてしまい、動揺した耶麻はフルチンの姿で倒立を崩され、床にひっくり返った。
 教室の中は激しい悲鳴と爆笑で割れ返った。
「きゃーーっ、ハレンチ!」「ギャハハ!! ギャハハッッ!!」「へんた〜〜い!」
 みんな、脱がした生徒でなく、脱がされた耶麻のほうを騒ぎを起こした張本人のように責めたてるのだ。

 羞恥と怒りで逆上した耶麻は脱がせた悪童にかかっていったが、相手はひとりではなかった。助太刀する仲間と一緒になって返り討ち、たちまち耶麻は袋叩きの憂き目となりボコボコにのされてしまう。
「見たか。チームプレーの威力を!!」
 悪童たちは床に這いつくばった耶麻の身を、蹴りを入れるようにしてあお向けに転がした。
 彼らは、あらたな発見に吹き出した。
「見ろよ。こいつズボン下ろされ、あせってはき直したから社会の窓が開いたまんまだぞ」
「うぷぷっ! ほんとだ〜♪」
「ゲハハハッッ!!」
「よしっ。チンチン引きずり出しの刑だ」

 見境なくなった悪童どもは、ふざけ半分ながらも、耶麻の大事なところをつかみ出して紐でゆわえる素振りをする。ヘタすると、本気でやりかねない。
「これで綱引きするか、綱引き♪ 俺たちとあいつのチンチンどっちが強いかな?」
 さすがに見かねた女子学級委員の上田多美香(かみた・たみか)が口を出した。
「ちょっと。やめなさいよ。そんなことしたら、チンチン取れちゃうかもしれないでしょ」
「いいじゃん。どうせこんな奴、男じゃないんだから。本山マヤになるとか言ってたし、チンチン取っちゃえば、念願どおり女になれるんじゃね?」
「いやだ、いやだ。そんなの、いや〜。耶麻くん女になってもあたしたち、仲間になんかしてやらないから。ぷぷっ♪」
 女の子たちも一緒になって嘲弄をはじめる。

 そのとき。
「やめてーーっ!」
 ひときわ高い金切り声が轟いた。
 本山マヤが泣き顔で進み出るや、気絶し倒れている山本耶麻をかばうように跪いた。
「山本くんをいじめないで。お願い! わたし、わたし……逆立ちして、山本ヤマになるから!」
 あの本山マヤが、普段とまるで違う、うわずった声音で泣きじゃくるように哀願しているのだ。

 悪童どもは容赦しなかった。
「ほんとに逆立ちするんだな?」
「だから、山本くんに何もしないで」
「ようし」
 調子に乗った彼らは、次々と条件をつける。
「ちょっとだけ逆さになって、すぐやめるんじゃダメだからな」
「逆立ちしたまま、ゆっくり百数えろよ」
「できないと、山本のチンボひっこ抜くぞ」
「いいよ。やる」

 マヤは、床の上でぐったりとのびた状態の山本耶麻を前に、まず土下座するような姿勢になると、さらに物怖じしながらも四つん這いの格好をし、いよいよ意を決した感じに片足を蹴り上げて垂直になる高さまで上げると、ついでもう片方もおなじ高さまで跳ね上げ、両腕を突っ張らせて逆さまになった総身を支えた。

「おっ!!」
 悪童たちばかりかクラスの全員が、固唾をのむようにして見守る。

 あんなに嫌がってたのが信じられないほど、みごとに決まった倒立だった。
 しかし、そんなことより。
 マヤの着ている涼しげな白地に淡い緑の葉っぱをあしらったワンピースがおへそが見えるまでまくれ、真っ白な下履きが丸見えとなった光景に、男の子たちは色めきたった。
 きれいな肌色、すらっとした両脚、まばゆく輝く純白のパンティ。流麗な艶を放ちながらやわらかく垂れ下った長髪……。
 なぜかわからないがときめいてしまう眼前の少女の姿に、男の子たちはみんな、チンチンがこそばゆくなっていく小児特有の妙な快感をあじわいながら一秒も目を放せずにいた。
 もし逆立ちを強要したのが思春期以上の年代ならば本山マヤはさらに辱めを受けていたかもしれない。でも周囲に群れるのは小学生、目の前の出来事が引きおこした興奮をどんなかたちで収束させたらいいかもわからない子供ばかりだった。

 そのとき。
 女の子の一人がササッと出しゃばるように、ちょっかいを出した。倒立状態の身を支えるマヤの腕に蹴りを入れたのだ。
「あんた! いつまでパンツ丸出しにしてるのよ、ヘンタイ!」
「あっ!」
 いきなりバランスを崩された彼女は、逆さまの状態でくずおれ、床に頭部を強打した。
 マヤはさらに、横たわる山本耶麻を下敷きに、その体と交差するようにあお向けに倒れると、頭を抱えこむようにしてうつ伏せに身を転じ、動かなくなった。
 みんな、あっけに取られるしかない状況だ。

 先生がやってきた。騒ぎを聞きつけたらしい。
 みんな反射的に、折り重なる格好で気絶したままの本山マヤと山本ヤマをほったらかしにして席に着いた。

「そこの二人、何やっとるんかね?」
 教師には不可解な場面だったろう。
 教室の床の上で、長々とのびた男の子の体の上に折り重なる格好で、女の子が突っ伏している。ヤマの体とマヤの体とでちょうど交差するように重なり合い、なんだか十字架みたいなかたちだ。
 教師の前では良い子ぶった態度をとり学級委員まで務める悪童の一人が、受け答える。
「先生。山本ヤマと本山マヤの二人は愛の誓いを交し合う儀式をしているんです」
「なに、なんだと?」
「たがいに別々の存在になりたいって言ってました」
「いかんな、授業という儀式の最中に」
 教師の不在時とは打って変わった、無邪気な笑い声で教室がどよめいた。

「う〜ん」
 山本耶麻が意識を取り戻したように見えた。
 重い。
 腹の上では、身をかけ渡すようにして意識のない状態で本山マヤが突っ伏している。
 あっ、あっ、あっ……。
 あせった風に上半身を起き上がらせ、なぜ女の子が自分の上で気絶してるのか理解しようと、彼女の身を揺さぶった。
 本山マヤも失神状態から我に返るや、自分が男の子の上で腹ばいになっていたのに仰天した様子で飛びのくように身を起こした。
 二人して顔を見交わし、言葉を失った。
 それから慌てぶりを隠しもせず、それぞれ自分の身を隅々まで確かめるかのように眺めやる。

 クラスの連中には何がなんだかわからず、気絶したところを先生から叱責されパニくってるよう映っただろうが、当の二人にとってはいっそう由々しい事態が起きたのをおのおのの身で自覚せざるを得ない局面にあったのだ。

 たがいの心と体が入れ替わっていたのだから。




( 続く )




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