子供に見せない、読ませない 「シンデレラ殺人事件」
はじめに、シンデレラが死にました。 それから色々ありました。
|
この画像は描画ジェネレーター「NovelAI Diffusion」で制作されました。
大まかなイメージの視覚化であり、 必ずしも作者の思い描くキャラクターとは合致しません。 |
その1 一体
シンデレラが殺された。
国王からの急使の伝である。
差し向けられた馬車で事件のおきた城へと向かう探偵メロドランドと若い助手のヘルペス。
「ヘルペスくん、いいか。現場に着いたらだ。よもや、低級なダジャレで受け狙いなどしてはならんぞ」
ヘルペス青年は一瞬、心の中を透かされたかのようにギクッとなった。
それでも、あなたのやり方には慣れてますという態度をよそおい、あまり興味がない話題の相手をする顔と声で応じてみせる。
「ぼくがダジャレをですか? たとえば、どんなでしょう?」
「『シンデレラが死んでれら』とかだ」
容赦がなかった。
心の中で丹念に整型し磨いていた未来の宝を、先まわりして言葉にされた。さも無価値なものをポイ捨てするように。
ユーモアの才に欠けた者によくあるが、ヘルペスもまた、誰もが考えそうな凡庸なネタでも自分が最初に思い付いた珠玉の逸品のように自負し、こだわっていた。
それを。
敬愛する人物から先取りして口に出されたうえ、ちんけな屑ネタと決め付けられてしまうとは。
「きみの言いそうなことだ。笑いの感性が未熟で、ダジャレ以外の手法では可笑しみを盛り込めない。いや、きみの知性全般まで否定はせん。低級な小ネタでも一時の気晴らしになるなら口にするのもよかろう。だが時と場をわきまえないと、愚かしいばかりか有害きわまる結果を招いてしまう。なにしろみんな、気が立ってる。国一番の美人で王子の許嫁を亡き者にされたんだから。一触即発で暴動さえ起こりかねん。火に油を注ぐ発言は禁物とわきまえろ」
「心得てます、先生」
彼は数々の残酷な殺しの場に出くわすうち、感情の揺らぎを顔に出さない術を身につけていた。
ヘルペスはみずからの体験に照らし、師からの戒めの言葉を反芻する。
殺人現場で笑いを取ろうとするほど愚かなことはない。
たいていは、こわばった面持ちで動きまわる誰からも無視されて悲しみを味わうか、あるいは逆上した縁故者から袋叩きに遭わされ、もっと悲しい姿をさらす羽目になろう。
でも。
このギャグは違う。
絶対に大受けし、大勢を悦ばせるはずだ。
なんといっても。本物のシンデレラが死んでいる、まさにその場で言ってのけるのだから。
人々の爆笑によるざわめきが聞こえるようだった。
あまりの即妙ぶりに感じ入り、卒倒する者さえ出るのでは?
そんな期待すらあった独創的なギャグ(と本人は疑わず)なのに。
片手で払いのけるように否定されてしまうとは。
ヘルペスは吐息をもらすと、内心の落胆を悟られぬよう車窓の景色に見惚れる振りをしながら、待ち受ける事件の現場に思いをはせた。
それにしても、シンデレラだ。
グリムの世界では、一、二を争う美女。
いったい、どんな姿で殺されているのだろう?
さぞや童話の場面のような、この世離れするほど美しい死にざまに違いない。
漠然とながらも、そんな期待があった。そんな思いに捉われてならなかった。
果たして。
お城に到着。
殺害現場(お城の中庭の奥まった場所)に足を踏み入れた途端、総身が凍り付いてしまった。
ああっ!
信じられない光景。
シンデレラが、シンデレラが……。
| ↑ ヘルペスの思い描いたシンデレラの殺害現場
実際
↓ |
|
画像はあくまでもイメージです。
キャラの顔も場面の設定も、 作者の思い描いたものとは微妙に、あるいは大きく異なります。 |
笑いながら死んでいる!
そうなのだ。
被害者は満面に笑みをたたえた顔で殺されていた。
微笑みなどといったものではない。
なんというか。
下賤な笑話でけたたましい嬌声をあげ、腹を抱えて笑い転げたあげくのけぞり返って昇天したような、えらい怪体な様相だ。
ドレスがはだけ、太ももがむき出しになった状態で両脚がV字型におっ広がっている。
奥ゆかしさはどこにもない。
ヘルペスは叫びそうになった。
こんなの、シンデレラじゃないよ!
まったく。
いやしくも悲劇のヒロインならば、もっと沈痛な表情をとどめてもよかろうに。
継母たちからいじめ抜かれて育ったのがある日 思いがけなくも麗しい姿で華やかな場に出向くことがかなったうえ、王位継承者から見初められ、ようやく幸せが手に入るという矢先で亡き者にされてしまった。
そんな悲哀の面影はまるで見受けられない。
あらゆるものを嘲笑うかのような、ちょっと殴りつけてやりたいほど気ざわりな死に顔だ。
「これ……ほんとにシンデレラ?」
疑いもなく、シンデレラだ。
童話のヒロインにふさわしい類まれな美貌。零時の鐘と共に元に戻った女中のように粗末な部屋着。このうえなく小さい足にガラスの靴……判別に必要な条件を満たしていた。
義母と義姉らによる確認も済んだという。
好奇の目で取り巻く見物人を立ち入らせないよう配されたお城の兵隊がやる気なさそうな顔で、死体を指さしてみせる。
「そ。ほんとに死んでれら」
あ。言われてしまった。
ヘルペスは心の中で舌打ちする。
不謹慎かと思い、言いたくとも堪えていたのに。
それを下っ端の番兵めが、無神経に口から出しやがって。
しかも咎められもせずに、取り巻いた野次馬から笑いを取っている。
これだったら、初っ端に言えばよかったのだ。
なまじ空気をうかがい、自重などしたものだから。
く……。
先生があんなこと言って釘を刺さなければ、喝采は自分のものだったのに。
こみ上げるやり場のない怒りが恨みの目となり、事件の被害者へと向けられた。
シンデレラのくせに死んでやがって。
シンデレラは笑ったままだった。
ヘルペスを手頃な聞かせ役と思ったのだろう。番兵は愚痴りはじめた。
「あ〜あ。因果な役目だよ。ヨーロッパで一番の名探偵を呼んだから、来るまで死体はそのままにしておけ、誰も近づけるなと言い付けられちまって。ずっと番してるけど。野次馬どもがな、寄るなと言ったって聞きやしねえ。たんと集まってきやがる」
「先生なら、もう着いてる。今、王様のところへ挨拶に行ったから。まもなく、こっちに来るよ」
「そいつはありがてえ。謁見でも石鹸でも何でもいいからさっさと済ませてくれや。寒いし、だるいし、腹減るし……まったく。ダジャレぐらい言わねえとやってらんねえよ」
「しかし。けったいな顔で死んでやがるよな。まるで死んでねえみたいだぜ」
「死因はわかる?」
一目するところ、血痕がないし、打(ぶ)たれたようにも刺されたようにも見えない。
番兵はなお卑猥な物言いをやめなかった。
「死因だ? 知るかよ。脱がして、裸にして、いじくりまわせばわかるんじゃねえの? あいにく死体に触れるなって言われててな」
被害者の遺骸を脱がして、裸にして、いじくりまわして犯行を検証する。
それはまさにメロドランドとヘルペスに托された役割だったが。
いままでは女性の遺体を前にムラムラと妙な気持になったことがなかったとは言わないが、いかなる場合であれ二人とも理性をもって対処ができた。
だが、今回検死するのはシンデレラだ。
あのシンデレラの死体。
いまから変な方向に想像が働いて仕方なかった。
「ひょっとしたらこの娘(ねえや)、ほんとに笑い死にしたのかもな」
番兵は死者にはみじんも敬意を払わなかった。
それどころか、猥談まがいのことまでヘルペスの耳に吹き込むのだ。
「いいこと教えてやる。あの娘(ねえや)、パンツはいてねえんだぜ。それでな、さっき突風のせいでドレスめくれあがったとき、まる見えになってやがんの。見ものだったぜえ」
あ。それで遺体の両足の間に大きな石が置いてあるのか。風が吹いてもドレスがはためかないように。
「野暮な石だろ? 侍従長の命令だよ。破廉恥で見るに堪えないとかほざきやがる。あんたが来る直前にだぜ。残念だったな、名場面を見損なって」
うう……。
ヘルペスにもっと早く来ていれば、との思いがまるでなかったと言えば嘘になろう。
兵士はさらに、いかがわしい雑学を授けようとする。
「知ってるか? 足の小さい娘(ねえや)って、アソコがでけえんだぜ」
さらに、遺体の下半身を眺めまわし下劣にほくそ笑む。
「こんな足の小さい娘(ねえや)は見たことねえや」
締めのダジャレを受け、背後の野次馬の群れがスケベ笑いでドドッと沸き立った。
チキショウ。また……。
ヘルペスは歯噛みした。お株を奪われ通しじゃないか。
今日は良くないことばかり。
おまけに。変な風体の醜い老婆が寄ってきて、唐突にきわどいことを囁く。
「ねえ。あんた。死体を見て、勃起した?」
ギョ!
「勃起してるだろ? ヤリたくてたまんないだろ?」
「ぼ、ぼくは……そ、そんな外道じゃありません」
「嘘をお言いでないよ。びんびんに硬直してるだろ? ズボン履いてても、ちゃんとわかるよ」
ヘルペスは反射的に、両手で前を隠した。
「ち、ちがう。勃起なんて一度もしたことはない!」
老婆は逆に、声をひそめる。
「いやだね。大声で叫ぶことかい?」
背後の人群れがざわつくのを感じながら、ヘルペスはひたすら恐縮し、顔を赤らめた。
「ひひひひひ……」
かくして老婆は、ヘルペスをいじるだけいじっていや〜な気分に浸らせると、まるで目当てを遂げたかのような悦に入った様子で去っていく。
あとには怒りで我を失いそうなヘルペスが残された。
あのババア……誰かが絞めてくれないかな。
ヘルペスにもときどきだが、人を殺したい者の気持ちがわかる。
そうやって犯罪者予備軍のような妄念にとり憑かれたまま、しばし呆然としていたが――。
「ヘルペス君、どうやら……」
不意にドキッとさせる声がして、我に戻った。
国王への拝謁を終えたメロドランド博士がいつのまにか、傍らに立っている。
「きみも、私と同じことを考えているようだ」
「そ、そんな……」
「いや、目を見ればわかるよ。異様に光を放っている」
「ち、違います。ぜ、絶対に、先生のようなことは考えていません」
「そうかな」
「そうですよ。ぼくの内面は先生とは違うんです」
「残念だ。きみも探偵稼業では精進したと思ったのだが」
は?
「犯人だがね。やはり、被害者に生きていられると都合の悪い者という線から手繰り寄せるのが理にかなうのではないだろうか?」
メロドランドが語るのは捜査の定石、あまりにも当たり前のことだ。
「となれば浮かび上がるのはあの親子三人……」
「でも、先生」
ヘルペスはめずらしく、師の見解に異を唱えた。
「被害者の顔。あの死に顔を見れば、誰でも殺したくなりますよ」
たしかに。先にも述べたがシンデレラときたら、いかにも己れひとりの至福に酔い痴れるような、それでいて他人のことは全然思いやらないといった無神経さまる出しの喜色満面たる表情のままに息絶えている。
「なるほど。殺したくなる死に顔……とは言い得て妙だ」
「だから。誰か、身の不運を嘆く者が天を呪った時にあの笑顔を目にし、自己憐憫の思いを逆撫でされた気になり衝動的に殺めてしまったのではないでしょうか?」
「ふむ……なかなかに順当な推理をする。しかしね」
メロドランドはこれもめずらしく、弟子の口出しに同意するかと思えたが。
「生きてる時からあの顔だったわけではあるまい」
「いえ。絶対、あんな顔だった……はずです。人の死に顔には本性が現れると言うじゃありませんか」
「生前の彼女を知らないだろう? 実は、証言を集めたんだ。彼女の家族、舞踏会の参列者、廷臣たち、国王夫妻に皇太子殿下……。シンデレラはけっして笑わない。笑顔など見せなかった。みんながそう言っている」
先生がそう言ってるんじゃ仕方がない。
ヘルペスには黙るしかなかった。
|
描画メーカー「NovelAI」で制作したラノベ調の挿絵です。
大まかなイメージの視覚化にすぎないもので、 必ずしも作者の思い描くキャラクターと合致するわけではありません。 |
検死が始まる。
まず遺体をしかるべき場所まで移動させねばならないのだが。
困ったのは、被害者の死んださまであった。
シンデレラは死人とは思えないほど嬉々とした、群衆から注がれる好奇の目をまるで意に介さず自分の幸せで有頂天といった顔で昇天している。
いや、顔のことはいい。
由々しいのは、その恰好だ。
のけぞるように身を反り返らせ、大きく股を広げたまま。
有体に言えば、まるで女性が男を受け入れるときの姿態そのもの。
そういうありようでシンデレラは死んでいる。
「あのお姿、なんとかならないでしょうか。あまりにも冒涜的で正視に堪えません」
宮廷女官長という偉い立場の女性からさっそく、申し入れがなされる。
実際、こんな場面を映画で見せたら婦人団体から抗議が起きるに違いない。
「先生、この恰好のままで運ぶんですか?」
「そうだな。まず毛布を掛けて見えないようにして……できるだけお行儀よい感じに姿勢を正してやろう」
いつもながら死体を扱うときは、異次元のものに触れるような違和感を覚える。
手触りからして違う。
「人間の死体でなく、人形と思うことだ」
メロドランドはそう言うが。
お人形ではなかった。
体をほぐそうとしてもギシギシに凝り固まっていて動かない。
「いかんな、死後硬直だ」
持ち上げるにも苦労する。
こんなお荷物を抱えながら踏み固められて滑りやすい残雪の上をいくのだから、先が思いやられた。
ヘルペスがふと近場に目をやると、おあつらえ向きのものを見つけた。
橇(そり)がある。
「先生、あれを。上に乗せて、引っ張っていきましょう」
「そうだな」
どっこいしょ!
毛布でくるんだシンデレラを、あの番兵の手も借りて三人がかりで持ち上げ、橇に腰掛けさせるようにして積み込んだ。
「さあ、引っ張るぞ」
と。
橇が。橇が、とんでもない方向に滑っていってしまう。
シンデレラの死体を乗せたまま!
行かせるものかとメロドランドが、続いてヘルペスと番兵とがしがみつくが。
停まらない。
どんどん速度を増していく。
橇が暴走をはじめても、手を貸してくれる者はいない。
あんなに大勢いた見物人がみんな逃げ散っていく。
衛兵たちも身をかわす。
あっ、あっ、あっ!
城門を超えて、飛び出してしまった。
死体にかぶせた毛布が強い逆風を受け、たちまち吹っ飛ばされる。
隠しておきたいシンデレラの姿があらわになった。
お城から城下の町までは急こう配の坂道なので、橇は加速するばかりだ。
もはや飛び降りるわけにもいかず、必死でしがみつくしかない。
橇はかくして、恐怖に引きつった顔で悲鳴をあげる男たちとあくまで喜色満面、あられもない姿をさらした若い美女の死体を乗せたまま、この世の果てまでという勢いで滑走していく。
シンデレラ急死の報はすでに、尾ひれがついた噂となり城外にまで広まっていた。
「おい。シンデレラ死んだってな。城からの噂だけどよ」
「え? 今さっき、橇で走ってったの、シンデレラだろ?」
「あれあれ。なんだ、生きてんじゃねえか。あられもない姿で嬉しそうに笑ってやがる」
橇の上では。
メロドランドが風圧に負けない声で叫んだ。
「いいか、諸君。橇が前方の何かにぶつかる直前、思いっきり体重をかけ、橇を上向きにするんだ」
「そ、そうすると、ど、どうなるんですか、先生?」
「力学の応用だよ。結局はぶつかって放り出されるんだが。まあ、気休めにはなる」
ひえ〜〜〜っっっ!!!
そうやってヘルペスらが阿鼻叫喚の悲鳴を発し続けるうちに。
橇は幾度となく前方にある人や物とぶつかりそうになりながらも急勾配の斜面から脱し、麓にある町の通りに達したが、それまでの勢いを残し、なお危険な速度のままに停まる気配もなく風を切って滑走を続けていた。
速力が落ちてきたとはいえ、町の中は人や荷車がおびただしく行き交う分、坂道よりむしろ衝突する危うさが高まった感じだ。
通行人の怒号や悲鳴も増えてきた。
「危ねえぞ、こらっ!」「きゃーーっ、まる見え!」
こんな具合でさんざん人騒がせな事故すれすれの接触未遂を繰り返しながら賑わった町の通りを疾駆するうち、とうとう終着点が見えてきた。
花々がお花畑のように咲き乱れる大きな花壇を輪のように取り巻いてさまざまな露店が売り物を並べ、一大市場をなしている町の広場。
橇はその輪の中に突っ込む勢いで直進していく。
「諸君、いよいよだ。先ほど言ったとおりにしてもらいたい」
メロドランドは、左右に目配せしながら。
「いいか。私が一、二、三と数える。その三で……」
「飛び降りるんだろ?」
「違う! 違う!」
番兵の思い違いをヘルペスが必死で訂正した後を受け、メロドランドが念を押す。
「三で、思いっきり体重をかける」
「あとは?」
「現地解散になる。無事だったら、橇のそばに集合だ」
衝突の瞬間。
ヘルペスは必死で神に祈り、番兵は神のことを思い出し、メロドランドは神など忘れていた。そしてシンデレラはすでに神に召された存在だった。
「一……二……三!」
一斉に体重をかける。
橇の「車体」が浮いた。
束の間。宙を舞った。
次の瞬間、広場中に鳴り響くけたたましい激突音を轟かせ、橇は市場の外縁にある露店に激突。
それで留まるはずもなく、前途をさえぎる売り物や備品を片っ端から吹っ飛ばし、あるいは押し潰しながら、暴走の余勢を駈って市場の中を容赦なしに突き進んでいく。
男たちは三人とも、暴力的な振動をくらってはじき飛ばされ、宙を舞うという体験者でなければわからない立場を忘れた快感を味わううちに、市場にずらりと並んだ果物や野菜、穀類や積み上げた秣(まぐさ)の上に投げ出され相応に打撃を受けた。
シンデレラはといえば、橇が広場中央の大きな花壇に乗り上げた衝撃でバウンドするように真上に放り上げられたものの、そのまま落下するところをふたたび橇で受け止められるかたちで姿勢をまったく変えずに着地を果たした。
市場の中はしばし、阿鼻叫喚の巷と化した。
それにしても怪我人が出なかったのは僥倖と言うほかない。
騒ぎの中、メロドランドとヘルペスはそれぞれの落下した場所で、命ある自分を見出した。
同時に頭に浮かんだのはシンデレラのことだ。
すわ!!
二人は各個に、着地の際に青果や干し草の山を潰してしまった痛みも忘れ、気丈にも立ち上がるや、よろめきながら橇のほうへ駆け寄った。
シンデレラは花壇に突っ込んだ橇の上にいた。
が。
一目して、ヘルペスは感嘆の息を呑んだ。
シンデレラが……。
絵画の中にいるようだった。
花壇という色とりどりの花々に埋もれた別天地のような空間で、揺りかごの形をした橇の上にあけっぴろげな恰好ですわり込み、満面に天真爛漫な笑み、なんの恥じらいもない様子で、生まれたままの部分を隠そうともしない。
残雪の積もる城の中では無恥をきわめる姿をさらしていたはずの彼女がいまや、天使のように純真で穢れのない存在としてあった。
おのれの感情や肉体を露(あら)わとすることでみじんも悪びれがない。
まこと、エデンの園のイヴもかくや。
やはり野におけ、シンデレラ。
死してなお比類ない美貌を保った彼女がありのままの魅力を全開している姿はヘルペスを惚れ惚れさせるに十分だった。
これで死んでなけりゃ最高なんだけどなあ。
おっと、見惚れてる場合じゃない!
橇のそばではいましも、シンデレラを生きてるものと思い込んだ町民らが気遣う様子で声をかけている。
「娘さん、怪我なかったけ?」
何人かは花壇に踏み入って近づき、安否を確かめようとする。
シンデレラの生死が暴かれる瀬戸際だ。
メロドランドは狼藉にも、思いやってくれる人々をシンデレラから遮断するように割り込んでいった。
「皆さん、心配は御無用。この方が怪我などするものですか」
もう死んでるし。
そして遺体の前に跪き、従者が主人の容態をうかがう芝居をした。
少し遅れ、野次馬の群れをかき分けてはせ参じたヘルペスにメロドランドが耳打ちする。
「ヘルペスくん、心してもらいたい」
「わたしは国王と契約した。本件を解決するにあたり、この国の大臣の俸給一年分の額で仕事を請け負うと。ただしシンデレラが殺されたことは犯人を突き止めるまで公表しない。それを厳守するとの条件付きだ。もしシンデレラの死を城外に漏らすようなヘマをやれば、報酬は一か月分に減額されてしまう」
あらららら……。
つまりヘルペスが事件解決時にいつも受け取る決算賞与も、十二分の一に減らされるのだ。しかし――。
「秘密を厳守も何も……」
「お城の中は野次馬であふれてたじゃないですか。あれだけ大勢にシンデレラの死体を見られてるのに、今さら無意味というものでは?」
「しばらくの間、お城はロックダウンされるという。滅多な者には行き来ができなくなる。皇太子の成婚祝賀会の警備のためとか理由付けはどうとでもする気だろう」
そこまでやるか、キングダム。
「王国は本気だよ、ヘルペスくん」
そうする間にも、外野での声は高まってくる。
「あ。あの人、見たことある。ほら、あの人」
寄ってきた野次馬が周囲を取り巻いて、わやわやとざわめきはじめた。
「シンデレラだ! そうだよ、シンデレラだ!」
シンデレラの名が伝わると、さらに多くのモブが押しかけ、ごった返す賑わいとなった。
シンデレラはもはや、国中で知らぬ者のないトレンドだった。これでは、別人の死体として誤魔化すわけにもいくまい。
やばい!
「見てください。お城の外でも野次馬だらけです、先生」
「見られているなら、なおさらだ。彼女が生きているよう振る舞わねば」
断じて、シンデレラの死を知られてはならなかった。メロドランドには名声が、ヘルペスには給料がかかった秘密なのだから。
「ど、どうやって?」
ヘルペスではこういう場合に、機転がきかせられない。
ぶっちゃけ、なすべきことがわからなかった。
「とにかく、死体であるのを悟られてはならん」
幸いというべきか、シンデレラは到底死んでいるとは思えぬ死に顔だったから、生きているよう見せかけるのに苦労はせずに……。
いや、苦労させられるだろう。
死体は動かないし、しゃべらない。
すぐにボロが出る。
これだけ大勢の前でシンデレラが死んでいるとわかったら……。
ヘルペスには先行きが思いやられ、身が縮んだ。
メロドランドはといえば、落ち着いたものだ。内心はどうあれ、やるべきことを速攻で行動に移す。
彼は橇の上の死体に生存感をあたえようとした。
平気な様子でシンデレラを生きた相手として扱っている。
「シンデレラ様、無茶はいけないとあれほど申したでしょう」
お付きの者が恭しくも、無鉄砲な良家の子女に説いて聞かせるかのように話す。
「あなたは未来の王妃となられる方。王国のため御身を大事にせねばなりません」
ヘルペスは感服するばかり。
先生ときたら。魔法使いに成りすまして魔女の集会に潜入した時にもいたって平静だったっけ。
ここでまた、メロドランドの秘められた才能の発露を耳目にするとは思いもかけなかったが。
と。
邪魔が入った。
小麦粉で顔も体も真っ白、吸い込んだ粉にゴホゴホ咳き込んで、よたよた歩いてきたあの番兵。
(積まれた小麦袋の真上に落下したのである)
「やべえ、やべえ。あの世に道連れになるとこだったぜぇ」
番兵のほうは言葉も態度もまるっきり無神経だ。
「世話が焼ける娘(ねえや)だ。生きてるみたいに元気よく、お城から飛び出しやがって」
ヘルペスが黙るようにと口に指を当てる仕草をしても、わかった様子がない。
「腹が立つよな。俺ら死にそうな目に遇わせて、ケラケラ笑った顔でいやがって。ほんとは生きてんじゃねえだろうな? どれ」
もはや何の遠慮もなくなった番兵が不躾にも、死者の頬っぺたをつねってみようと手を伸ばしたとき。
突然。
シンデレラが鈴を転がすような声で笑い出した。
番兵はあわてて手をひっこめる。
「あはははは! あーーっ、楽しかった♪ あの坂道、もっと長く続いたらよかったのに」
え?
シンデレラが笑ってしゃべるはずがない。だって、彼女は死んでた。たしかに死んでたのに。
でも、笑ってる。口から快活な言葉を出してくる。
「うふふふ! あなたたち、馬鹿みたい。付いてきてって言ったら、三人ともおなじ橇につかまってくるんだもの。別の橇で追いかければよかったじゃない。あはははは!」
生き返った? 奇跡が起きたのか?
わずかの間だがヘルペスは、そう信じそうになった。
だが。
どう見ても、シンデレラは死んだまま。
一杯喰わされたのだ。
種を明かせばメロドランドによる声色(こわいろ)を使った腹話術なのだが、ほんとうにシンデレラの身から発せられたように聞こえるから驚きだ。
男が声色で異性の振りをしても、多くはどこかオカマっぽく不自然でならないが、メロドランドの場合はまったく違う。
無邪気で愛らしく、若々しい娘のはしゃぎ声にすっかりなりきっている。
あの笑顔にぴたりとハマった笑い声。
むしろ、おなじメロドランドが従者に扮した声のほうがよはど女々しく聞こえるのだ。
「シンデレラさま! あんまりご乱暴が過ぎてお行儀よくなさっていただけないようならわたくしも黙っておりませんよ。国王陛下に報告いたしますからね。ぷんっ!」
すげー演技力。
そうするうちに救援というか、お城から橇の後を追ってきた騎兵の一隊が駆けつけた。
指揮官と交渉。橇を馬につないで引っ張り上げることになったのだが。
兵たちがその準備を終えるまで間をもたせなければならない。
シンデレラがずっとあの笑顔のままで人形のように身じろぎもしないのはまずかった。
もうしばらく静止画状態が続けば、勘の敏い見物人から真相を気取られかねない。
ヘルペスがメロドランドに耳打ちする。
「先生。シンデレラが橇の事故のショックで意識を失ったことにしてお城まで運ばせるのはどうでしょう? ぐったりとなっても誤魔化せるのでは?」
「その手のやり方は疑いを深めるだけと思うがね。とにかく衆目にはシンデレラが元気なところを印象づけなければ」
「体操でもさせるんですか?」
「まあ、見ていたまえ」
メロドランドはさっそく、腹話術でシンデレラと言い争いをはじめた。
漫才のような言葉のやり取りで衆目を惹きつけておく気かとヘルペスは察したが。
「シンデレラさま。騎士たちがお迎えに参りました。お城に帰らねばなりません」
「いやよ。お城になんて戻らない。もっと先まで滑りたいわ〜(声色)」
「いけません。王子様も心配なさるでしょう」
「王子様も呼んでくればいいじゃない。一緒に滑りましょうよ(声色)」
「わたしはシンデレラ様のお目付けを任された身。従っていただかないと」
「あたし、未来の国王のお妃さま。あなたになんか従いません(声色)」
「あんまり聞き分けがないようなら、こちらにも考えがありますよ」
「どうするの? あたし絶対、帰らない(声色)」
「こうするのです」
と。
あっ、あっ、あっ!
ヘルペスが動転する間もないほど手際のよい早さで、メロドランドは橇に飛び乗ると、割り込むようにしてシンデレラの隣りに腰掛けるや、細腕をつかんで引き寄せ、死体をあの硬直したポーズのまま自分の膝の上に、うつ伏せの向きで架けわたすよう乗せるとスカートをさーっとまくりあげた。
そして。
パン! パン! と音を響かせてお仕置きをはじめたのだ。
そう。平手でむきだしのお尻を打ちたたくというアレだ。
群衆は呆気にとられたことだろう。
「もう怒りました。たとえ皇太子さまの許嫁でも容赦しませんよ。あんまりわがままおっしゃると、こうです! こうですからね! こうしちゃいますよ!」
シンデレラが抑え付けられながら大声でわめく声が続いた。
「きゃーーっ! やめてーーっ! ヘンタ〜イ! あんたなんか追放よ。王子さまに言い付けちゃうから!」
むろんメロドランドの声色(こわいろ)だ。
なんという一人芝居!
あり得るはずのない場面を目の当りに見せられ、ヘルペスは気が遠くなりそうだった。
メロドランドは平手打ちを見舞うたびに膝の上のシンデレラの体を揺さぶって動かし、いかにもお尻を叩かれ暴れているよう見せかける。
みごとなまでの腹話術の演技である。
だがメロドランドの操るのは人形ではなかった。
人間の死体なのだ。
公衆の前で、死者にお仕置き……これほどの冒涜行為もまたとあるまい。
それもシンデレラ、本来ならば皇太子妃となるはずだった若い女性の死体に……。
しかし。
実情の怖ろしさを知らない群衆は大喜び、拍手喝采で沸き立った。
わがままな美女がお城の教育係から尻をまくられ折檻されるという滅多に見られぬ光景に。
「げははははは!」「どハレンチ!」「いいぞ、もっとやれーーっ!」「畜生め、シンデレラにあんな真似しやがって。俺にもさせろよ」
そうするうちに、馬で橇を引く手筈が完了。
人々が熱狂して見守る中。橇は騎馬隊によってお城まで牽引されていった。
お尻を叩かれ泣きわめくシンデレラを乗せたまま。
誰も、自分たちのアイドルが死んでいるとは思いもしなかっただろう。
すでにシンデレラ急死の報は国中を駆けめぐっていたが。
「いや、シンデレラは生きてる」との噂も同時に広まることとなった。
なにしろ、「生きてるのをこの目で見た」者が大勢いるのだから。
「見ちゃったんだ、ちゃ〜んと♪ シンデレラったらね、わがまま言って叱られて、お付きの人にお尻ぺんぺんお仕置きされて、きゃーきゃー泣きながらお城に連れてかれちゃったんだよ♪ 子供みたいでしょ?」
かくして、シンデレラはお城の中に戻ってきた。
橇を降りる時メロドランドは、膝の上に抑え込む格好にして運んできたシンデレラの身を丁重に抱えおこし、あの幸福の絶頂にあってなんの痛みも苦しみも見出せない表情の死美人に面と向かい、相手が生きているかのように陳謝の言葉を伝えた。
「御無礼をお許しください、レディ。これがわたしの仕事なのです。その代わり、あなたをそんな姿にした者を必ず見つけ出すと誓います」
実際にメロドランドが手がけてきた数々の事件で犯人を割り出せなかったものはなかったから、この言葉には誓い以上の強みがある。
それからシンデレラの額に、貴人に対する敬意、死者に対する敬意、なにより女性に対する敬意をもって心をこめて口づけをした。
「安置室でまたお会いしましょう」
遺体は三人の屈強な衛兵によって子供に用足しさせる格好のまま担われ、安置室のある棟へと運ばれていく。
もはや運び方を気にしていられない。
城内の人々は口々に、哀悼の意を示した。
「あのお姿……」「おいたわしい」
「メロドランド博士」
城の楼台からずっと様子を見ていた侍従長が、ここに及んで諫言を呈してきた。
「いやしくも、皇太子殿下の許嫁であられた女性ですよ。ご遺体を衆目の前であのように辱めるなどと。やり方があまりといえば御無礼では? もっと丁重な仕方で連れ戻すことはかなわなかったのでしょうかな?」
「自分は国王陛下からシンデレラ殿の死を秘しておくようにと言われました。こそこそと隠すようにでなく、ああした大げさなやり方で連れ戻したほうが衆目に彼女が生きているのを印象付けられると思いまして。まさかシンデレラ殿のご遺体をお仕置きするなどと思う者はいないでしょうから」
「当然でしょう。王家の御方へのかような侮辱は死罪ですからな」
「私は死に値する罪を犯した不届き者というわけですか」
「さよう、本来であれば。しかし幸運でしたな。シンデレラ様が王家に迎えられる前に亡くなられるとは」
今の対応からメロドランドは、侍従長が本心ではシンデレラの死を歓んでいるのかと怪しんだ。
「しかし……あんたの先生、すごい役者だよな」
乗ってきた橇の背から降り立った番兵が、滅多に見られぬものを見たときの興奮を抑えもせず、隣りにいたヘルペスにまくしたてる。
「てっきり、あの娘(ねえや)を魔法で生き返らしたかと思っちまったもんな」
「ぼくもたまげた。メロドランド先生とは長い付き合いだけど、事件のたびに思いもよらない才能を見せてくれる。ほんとに全地全能みたいだ、あの人は」
「神様なんじゃねえの?」
「どうかな。傍(そば)で見てるとけっこう問題ある人でね。たとえば……ユーモアがぜんぜんわからない。ぼくが知恵を振りしぼってどんな冗談を言ってもニコリともしないんだ」
「へっへっ。冗談ってのは知恵をしぼって言うもんじゃねえけどな」
「それは、番兵さんが頭を使わずにダジャレばかり……」
「ヘルペスくん」
噂をすれば影。
すぐ前方にメロドランドが立っていた。
「あ」
やばい!
先生はユーモアがわからないとぼやいてるの、聞かれてしまった。
「少し休んだら、安置室で検死だ。これからが本仕事になるので心してほしい」
メロドランド先生は意に介してない様子だが。
きっと内心じゃ、激オコだぞ。ユーモアがないなんてこの世でなにより恥ずかしいことだからな。
ヘルペスにはメロドランドに自分より優れたユーモアの才があるとはどうしても思えなかった。
彼もまた、この才能が欠けた多くの人とおなじで、近場の誰かが自分以上に笑いのセンスを備えているとは認める度量がなかったのだ。
「ヘルペスくん。なぜわたしをそんな目で見るのかな? まるでわたしがいきなり遠くの存在になってしまったかのように」
「い、いえ……さ、さっきの声色(こわいろ)ですが。せ、先生の謹厳実直そうなお顔のどこからあんな愛らしい声が出せたのかと……」
「ふっふっふっ。わたしがあれほど見事な声色を使えたのが不思議でならない、と?」
「本当にシンデレラから出てくる声のようでした。人間業とは思えませんでした」
「種を明かせばだね。声色も何も……あれはすべて、シンデレラの本当の声なのだよ。わたしが使ったのは魔念だ」
魔念……。
「そう。魔念で彼女の声帯を震えさせ、生きてるように発声させた。垢抜けない男の奏者が美しい音色の楽器を巧みに弾いてみせるように」
「………………」
「以前、魔教の教団に潜入したとき本物の魔法使いに見えるよう霊能者から魔術のレクチャーを受けたことがあっただろ? あの際に修得した技を使ってみせたまでだ」
「先生は超人です」
メロドランドはにっこりとした。そして――。
「うふふ! あはははは……!」
あの鈴が転がるシンデレラの美声で笑ってみせたのだ。
それからまた声のトーンを変え、メロドランド本来のイケメン声にさらに低音をきかせて追い討ちをかけてくる。
「本気にしたのか? 魔念なんてものを、私が使うと? はっはっはっ! 全部、嘘だ」
ハメられたと知ったヘルペスの顔ときたら。
なぜメロドランド博士が彼のような頼りない男を助手として傍(そば)においてきたかわかるというものだ。
すぐに騙されてしまい、これほどからかい甲斐のある相手はまたといない。
|
描画メーカー「NovelAI」で制作したラノベ調の挿絵です。
大まかなイメージの視覚化にすぎないもので、 必ずしも作者の思い描くキャラクターと合致するわけではありません。 |
さて。
遺体を運び込んだ安置室。
安置室といえば聞こえはいい。
城内で傷害や病気で死んだ者を一時的に収容する殺風景な大部屋にすぎなかった。
ようは死体置き場である。
宗教的な荘厳さはカケラもないが。
落ち着いた雰囲気と言えば言えるが、やはり不気味さのほうがまさり心安らかではいられない。
戦争の時など血まみれの兵士や農民の死体が立錐の余地なく積まれ、凄惨な様相をさらしたという。
いま、この空間にある死体は一体のみ。
「シンデレラもこうなっちゃオシマイだよな」
番兵のつぶやきが壁や天井に反響し、けっこうな響きとなってこだまする。
たしかに、そうだ。
裸のシンデレラ。
すでに着衣をすべて取られた全裸の姿となり、検死台に使われる長テーブルの上に横たわっている。両脚をおっぴろげたあの死にざまのまま。
室内には、メロドランドとヘルペス、それと例のやる気ない番兵の三人だけ。
入り口付近にたたずんだ侍従長と女官長は訝しげな、だが興味津々な面持ちで内部の様子をうかがいながらも入るのを躊躇している様子。
足を踏み入れれば自分たちも異常な運命(さだめ)に呑み込まれるのではと危ぶむように。
実際、中で動きまわるヘルペスは瘴気に取り込まれたかのようになり、常態ではいられなかった。
慣れてるはずなのに。
今までとはまるで勝手が違う。
十二分に気を付けたつもりでもトチってしまうのだ。
覚えたはずの作業の段取りや器具の取り扱いであんまりヘマばかりさらすので、メロドランドから新人時代のようなお叱りをいただく羽目になる。
「なにを逸(はや)っているのだ、ヘルペスくん。この期に及んで、死人を怖れるのか? 女性の裸にはにかむのか? 昨日今日この職務に携わったわけではなかろう。御婦人の遺体の検視なら、数えきれないほどこなしてきたはずだ」
「でも、先生。今日死んだのはシンデレラですよ。あのシンデレラ。何百年も語り継がれる伝説のヒロイン。その遺体の検死なんですよ」
「どんな女性でも死んでしまえば一体と数えられる存在でしかなくなるのだよ、ヘルペスくん」
尊敬する大先生はまったくクールなものである。
「われわれが呼ばれたのは、この娘がシンデレラだからではない、解決の困難な殺人事件の被害者だからだ。誰の死体かというのは事件が解決するまで忘れたまえ」
シンデレラの体のあの部位。
王国唯一の美貌の乙女を乙女たらしめるもの。
婚約者同士での性交渉がまだならば、皇太子すら拝めなかったもの。
これぞまさしく、未姦の性器。
今、ヘルペスの眼前に。
ああ……ああ……!
スケベな番兵が言ってた通りだ。
なんという。
妄想を絶する特大級のサイズじゃないか。うっかりすると頭を吸い込まれてしまうのではと危ぶまれるほどの巨大感。
まさに未姦の大器!
「言ったとおりだろ? 見たことねぇほど、でっけーだろ?」
番兵がぶしつけに、感慨に水をかけることを言ってくる。
ウザい奴。せっかくの眺めに見惚れていたいとき。
こいつ、いなけりゃいいのにな。
もっとも、ヘルペスに伝説のヒロインの秘部をのんびりと心ゆくまで観賞できたわけではない。
あくまで欧州唯一の名探偵の補佐役として雑用を仰せつかる立場での、いわば傍観にすぎなかったから。
そのメロドランドがまた、助手が私的な思いに浸るのを許さぬ存在なのだ。
「なにか見つけたかね、ヘルペスくん」
「ちょっと常人離れのしたサイズです。これ以上に大きな女性器は見つけようがないでしょう、先生」
「気付いたのは、それだけか?」
メロドランドは遺体とヘルペスの間に割り込んでくると、シンデレラのすでに秘部とはいえない秘部めがけてつかみ取らんばかりの勢いで右手を伸ばし、指を突き付けた。
「よく見るんだ」
ヘルペスは覗き込むようにして、メロドランドの示すところに目を凝らす。
「ア、アソコの周囲に、擦れた跡が……痣(あざ)というか擦り傷のような……」
「前にも目にしたことがあるはずだ」
「乗馬の鞍ずれでしたっけ?」
「魔女の箒(ほうき)ずれだよ、ヘルペスくん」
「ああっ!」
ヘルペスは愕然となった。
以前、魔女の死体を検分した不快な記憶がよみがえった。
このうえなく醜い女の死骸。それの股間に残る箒ずれの跡を見せられ、吐き気をもよおしたときの。
おなじものがシンデレラの遺体にあるなんて。
「彼女も魔女だったのでせうか、先生」
「わからんが、箒にまたがる趣味があったのは確かだろう」
掃除ばかりさせられたシンデレラだ。
箒と親和性が高いのは当然かもしれない。
そもそもの話。
見ず知らずの魔法使いのおばさんがいきなり訪ねてきて、舞踏会に行く支度をすっかり揃えてくれるなんてどう考えてもおかしい。
シンデレラと魔法使いとはずっと前から関わりがあったに違いない。
シンデレラが魔女だったとすれば、下履きを着けていないのも合点がいく。
魔女が下履きなしで箒に乗るのは常識だった。
布きれで秘部を覆って箒にまたがるよりも、あの部位にじかに箒の柄を押し当てたほうがずっと魔力が強まるとされているからだ。
検死は終わった。
結局、遺体から致命的な外傷は見つからなかった。
死因も特定できず仕舞い。
この時代の初歩的な科学捜査の限界を超えて犯行の全貌を浮かび上がらせるのはメロドランドといえども至難なことだ。
「手掛かりがまるでつかめませんね、先生。死因すらわからないなんてお手上げじゃないですか」
「憂いてはいかん。こういう捜査で悲観的な態度は禁物だ。犯人がすでにわかったという顔でいたまえ。動かぬ証拠が見つかったと吹聴するもよかろう。かくするうちに、潜んでいた犯人が余計な手出しをして尻尾をつかまれ自滅と相場は決まっている」
ヘルペスはうなった。
いつもながら、先生はすごい。何も推理せず、ブラフを切っただけで犯人を向こうのほうから招き寄せてみせるんだから。
本当にすごい。犯人が自分から正体を割ってくれる。
メロドランド先生はわざと無能な振りをして犯人を油断させてるんじゃないだろうか。
それにしてもシンデレラは多くの点でほのかに抱いた期待と相反する存在だったのだが。
ただ一点、ヘルペスの幻想を裏切らなかったものがある。
意外にも彼女は、処女のまま天に召されたということ。
証拠を自分の目でしっかり見届けた。
「あの死に顔の感じから彼女、そうとうなヤリマンだったのではと思ったんですが……みごとに外されました。まったくの乙女の身で死んでたなんて」
「人の価値は死に顔では決まらんよ」
実際、殊勝ぶった顔で逝った者にかぎって、とんでもない悪党だったりするものだ。
棟の外に出てくると、外気を吸い込んで息を吹き返した気分に浸るヘルペスとメロドランドである。悪意や無神経からでなく、シンデレラのことを頭から吹き飛ばさねばならなかった。かくして死者との関わりは安置室の中だけにとどめないとやっていけるものではない。
「先生。こういう状況ってどうしてか、お腹が減るものですね」
「しばらく空腹でいたまえ。夜は御馳走責めにあう」
「王様はぼくたちをそんな歓待してくれるんですか」
「われわれだけじゃない。国中から名士や富豪が招かれている。大勢集めて花火を打ち上げ、朝まで祝賀で盛り上げるんだ」
「まさか」
ヘルペスは耳を疑った。
王子の恋人が殺された翌日に、夜通しでお祭り騒ぎだなんて。
そのシンデレラは安置室すなわち死体置き場でひとり寂しく、あの姿のまま……。
皇太子の婚約者の殺害。
本来なら、国中が弔旗を掲げて喪に服すべきではないか。
「シンデレラの死を誰も意に介さないんですね」
「不思議はない。王国には彼女の死を公表できない事情があるのだよ」
それについては国王との謁見の際、じきじきに聞かされた。
「内外から賓客を呼び寄せ派手に賑わせて、何事もなかったように振る舞うのは彼女の死を隠すための偽装にほかならない」
「でも、その祝賀の会場にシンデレラは姿を見せない。ヘンだと思われませんか」
「われわれの案じるところではない。まずは彼女を生きてることにしたいのさ。いよいよとなれば替え玉だって使うだろう、この王国ならば」
メロドランドは夕映えに照らされながら、面倒事から解放されたがるように大きく伸びをしてみせた。
「実はわたしも、犯罪捜査のためではなく、その道をきわめた著名人の一人として呼ばれたわけだが――とにかく表向きではそうなっている――きみもわきまえて、言動には気を付けてもらいたい」
「つまり、どうすればいいのでしょう?」
「夜会を楽しめ」
|