日本俳優の国際的商品性
(邦画余話)




 スター・システムが映画商売に不可欠だとしたら、世界に邦画を売りこむ場合も、世界で通用する売れっ子を起用しなければならぬ道理となる。
 だが、道理を通そうものなら、一本の外国向け映画もつくれなくなるのが日本の映画人である。 
 日本映画界には、一枚看板で通用する国際的大物が現にいないし、過去にもいなかったという絶望的な事実を思い知らされるからだ。

 などと言ったら、たちまち多くの人から反発をこうむることだろう。
「そんなはずはない。世界で通用する大スターなら日本にだって、昔も今も、大勢いるじゃないか。三船敏郎、仲代達矢、丹波哲郎、石原裕次郎、高倉健、千葉真一、坂本龍一、役所広司、金城武……」

 ここで、呪文を。
「ウォルフガング・プライス、アントン・ディフリング、ギュンター・マイスナー、ルネ・コルデホフ、ヘルムート・グリーム、ペーター・ファン・アイク、ハンス・クリスチャン・ブレッヒ、カール・ミカエル・フォーグラー、ジークフリート・ラウヒ……」

 なんだって? いや。
 いま口にしたのは、すべてドイツ語圏の男優で、ハリウッド映画にも脇役でたまに登場する人たちの名前。
 何人か、わかったという人はそれなりのドイツ映画通といえよう。
 この呪文、語句を入れ替えれば、外国人の日本俳優への博識ぶりを測るのに応用できる。

「ヒロシ・ヤクショ、ユキ・クドー、テツロ・タンバ、ユージロー・イシハラ、ケン・タカクラ、ヒロユキ・サナダ、ソニー……あ。ソニー・チバなら、テレビで見たことある!」
 平均的反応は、そんなものだ。
 世界市場での日本人スターの格は、間違ってもハリウッドのA級スターと張り合わせてはならず、ローカルなドイツ映画人と同等程度に位置付けするのが妥当だろう。
 すなわち、概して歓迎されないが、認められる者もいなくはないといった状況。

 ドイツ映画界は過去、ドイツの国際スターを起用して、いかなる世界的ヒットを生み出したか?
 日本映画を世界に売ろうとするとき、この近似的経営状況でのやり方を参考とすることは重要だ。
 これから世界市場をめざす邦画が日本人スターの知名度に頼るのは無意味である、という教訓がつかみ取れるはず。