結末は観客によって選ばれる
(邦画余話)




 観客の映画に対する決定権についてですが。
 映画会社が結末についてのリサーチをやろうとやるまいと、どのみち、結末は観客によって選ばれることになるのではと思います。
 かくあれかしの結末だと大勢が見に来るが、意に添わぬ結末ではお客が集まらない……適者生存の法則でしょうか(笑)。
 「フランダースの犬」などは、あらかじめ二つの結末が撮影され、配給する国別で選べるようになってましたよね(日本公開版はやはり、悲劇系)。
 名作「眼下の敵」は、アメリカの駆逐艦長とドイツの潜水艦長、主役が二人とも戦死して終わる結末だったのが、試写会で観客が同調しなかったため、急遽、両方とも生き残るように撮り直されたといわれます。
 「タイタニック」でも、安手のアクション映画みたいな場面があったけど、試写会で「あの場面はミス・マッチ」という声が多かったため、カットされたそうです。
 スタジオが観客の意向を取り入れ、かえってよくなったことになります。

 もちろん、リサーチがすべてではありません。
 リサーチの結果などは映画の出来を左右する要素として二次的なもので、ダメな映画は結局、どんな結末でもダメな映画のままだろうし、監督が真の名手ならどのような展開になろうと、それなりに魅せるものがつくれる。
 観るほうでも、ひとつの結末に拘泥せず、色々な成り行きを楽しむのはオツなことかもしれません。