日本映画に登場する変な日本人2
(邦画余話)




 「将軍」という日米合作のTVドラマで来日したアメリカの映画人が語ったとおり、日本の映画人には真実らしさを認識する能力が欠如しているのでしょうか?
 本当に「アメリカより五十年は遅れている」のでしょうか?(しかも、これは二十年前の言葉ですよ)    
 日本の俳優には、動物としての人間の心の動きをデリケートに(それも、芝居体ではなく自然体で)演技する才能がないのでしょうか?
 あっても、監督が「アホッ! 大げさにやらねえとわからねえんだよう」とか言って、採択しないからでしょうか。
 大げさにやらないとわからない?
 こまやかな被写体のありようを大きくすくい取るように捉えて観客にわからせるのが、映画作家の才能、撮影や編集の技量だと思うのですが。
 それができないなら、いったいなんのために監督やってるんだ、と言いたくなるところはあります。
 まこと、日本の映画だからといって、日本の世論をけっして反映してはいない。
 第二次大戦末期のイタリアで、すでに多数の国民から支持を失ったファシスト政権が自国を支配し占領する状態と変わらなかったように、現代の日本映画界では、そこにふさわしからざる連中が支配者ヅラして居座り、大多数の国民の希求におかまいなく、一部のファンや仲間内だけで自家燃焼するような映画ばかりつくり続けている……自分には映画界の現状を見るにつけ、そう感じられてならないんです。
 そう。
 今の日本人俳優の芝居は、「日本を占領した日本映画人」による様式的演出にだけ沿ったもので、けっして現実の日本人をあるがままにとらえたものではない。そこからくる違和感が外国人の目に「嘘吐き」と思われるゆえだし、まさに日本の観客をも日本映画から遠ざけているに違いない。
 そんな気がしてなりません。