「夏夜の出来事」

         
1 離脱体



 新世紀大学理工学部。
 大講義室は他の学部生もふくめ若い男女で満杯だった。
 ぎっしりと詰めかけた聴衆を前に、谷底のステージで熱い視線を浴びているのは隠秘科学学科講師の邑楽貴秋(おうら・たかあき)。
 聞く者を夢中にさせずにおかない魅力的な語り口、芸能人ほど派手ではないが、それなりに均整のとれた容姿と自身を嫌味なく引き立ててみせる洒落者のセンスをそなえる。
 もともと人気の高い邑楽(おうら)なのだが、今日の講義は誰が受け持つにせよ耳目を引かずにおかないものだ。
 本邦では前代未聞の公開実験、人工的に霊体をつくりだし、さらに、その霊を消滅させてみせるというのだから。
 いまや、ノーベル賞にも等しい研究の成果が学生たちの眼前であきらかにされようとしている。

「最初に、諸要素(エレメンツ)という言葉をおぼえてもらいたい。人体を多層的に構成するさまざまなエネルギー体を総称したものだ」
 邑楽は、近場で聴講する、見覚えのある眼鏡の女子学生を指名した。
「そこのきみ。諸要素について、知るかぎりのものを挙げてみてほしい」
 女子学生は、憧れの的の邑楽から名指しされるという恩恵に戸惑いながらも、優等生が試験問題を片付けるようにさしたる苦労もなく、問いへの答えを並べていった。
「はい。まず肉体、それからエーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体、ブッディ体、アートマ体、モナド体……」
「そうそう。しかし、だ。それらは、オカルトの分野で認知される諸要素にすぎない。われわれが試行錯誤をかさねて把握した実際のエネルギー体の組成は一部で知られるものと微妙に、あるいは大きく異なっている。たとえれば、中世の世界地図と大航海時代から以後に西洋人が見知った実際の世界地理との差に等しい」
「どんな具合に違っているんですか?」
 眼鏡女子からの問いかけに邑楽は、受講室の学生すべてに向けて答えた。
「いまは企業秘密だ」
 邑楽は口に指をあてがい、内緒という仕草をして、会場全体から笑いをとった。
「われわれは科学者だ。カバラや黒魔術の水準の知識を最良の指南書とするものではない。もしわれわれがそうしたオカルト要素に捉われていたら、これからお見せする生体情報の電磁転写システムなどは実現ならなかっただろう」

 そのような具合で。
 邑楽(おうら)は幽霊の科学的原理についてひとしきり説明をおこなったあと、実験の主役をつとめるボランティアを募った。
「さて。実験のため、体を提供してくれる人が約一名必要だ。だれか、自分の幽霊に会ってみたいという人は?」
 受講生たちはそわそわ、興味深々ながらも名乗りあぐねている様子。
 そのとき。
 遅刻した学生が勢いよく駆けこんできた。
 通路でブレーキをかけたように急停止すると、空席を探してキョロキョロし始める。その様子がいかにも漫画的な愛すべき感じなのに、みんなドドッッ!! と沸いた。
 邑楽(おうら)は若者を名指しする。
「そこのきみ。千早勇人(ちはや・はやと)くんだな。遅刻のペナルティだ。実験台になってもらうから出てきたまえ」
 はははははは!!
 学生たちは笑いさざめいた。

 千早は照れるように頭をかきながら前に出てきた。
 実はこれは、サクラだった。
 何日も前から彼がモルモットの役を引き受けることは決まっており、実験のときはみんなの関心が盛り上がるよう、しかるべき段取りで登場する手筈になっていたのだ。

「先生。これって、人体には無害なんでしょ?」
「モルモットによる実験では成功している」
 講堂内が爆笑で沸きたった。
「モルモットでだけ?」
「ほかに猫でも犬でもボノボでも。すでにアメリカでは、欧州系やアフリカ系の人間での実験がうまくいった。日本人の実験参加はこれが嚆矢となるので、名誉に思ってくれ」
「先生。日本でだけ実験失敗ってことないですよね? 実験された人がそのままあの世の存在になっちゃうとか」
「単位がほしかったら、講師を信じるんだ」
「もしものことがあったら、ぼく、化けて出ます」
 講堂の中がまた沸いた。

 邑楽(おうら)には研究助手の佐々木咲(ささき・さき)という女性が付き従っており、そっちはそっちで人目を惹いた。
 なにしろ姿が普通ではない。メイド服だ。エプロン姿のメイド。まるで秋葉原のマスコットのような格好をしている。いますぐ籠に入れたティッシュでも配り出しそうな感じだ。
 以前に業産オルネン社の女性が割烹着で研究に打ち込むのが話題になったとき、あやかって自分なりに個性を打ち出すというか話題集めを試みたものだが、いろいろ言われるにせよキャラの薄い彼女にははまった格好に違いない。

 そんな彼女が、実験台に横たわった千早青年の体の各所にやさしい手つきで、モーションキャプチャーでの映画撮影に使われるようなベルト状の器具を装着していくのである。局所の部位にはとりわけ念入りに取り付けられる。
 この前準備の光景には、とくに男の学生が喜んだ。
「あっ、いいな、いいな!!」

 だが、うらやましく思えたのはそこまでだった。
 実験が始まった途端、弱めながら電流を流された千早は身を突っ張らせ、体全体をピクピクと小刻みに痙攣させはじめた。
 目をむき出し硬直しきった表情、歯を食いしばりながら苦悶に耐える、さながら電気仕掛けによる拷問か死刑執行のような光景。
 聴講生たちはざわざわざわと騒ぎだした。
「なぶられてる、なぶられてる」「うえー。まずい顔」

 邑楽(おうら)が落ち着いた態度で、聴講生に説明をおこなう。
「諸君。大丈夫だ、心配ない。モニターで健康状態を見守っているが、千早くんの呼吸も脈拍も、それから脳波もまったく正常な水準にある。いまは生体情報転写装置が諸要素に働きかける際の副作用がもたらすちょっとしたストレスで過剰に反応しているよう見えるだけで、危険領域には達していない」
 みんなはいぶかった。
 本当かな。
 実験台での千早の様子はとても正常な水準には思えなかった。
 しかし。これも実は、狂言なのである。みんなをビビらせるため大げさに反応するよう言っておいたのだ。

 それにしても反応がいささか過激で、長すぎる。
 もうそろそろ、離脱体の生成される兆候があらわれてもよいはずなのだが。
 邑楽(おうら)の内心にまさか、という疑念が生じかけた。

 すると、見よ。
 千早青年にさらなる異変があらわれた。
 なにやら素っ頓狂な顔相と化した千早の口や鼻から、白い霧状の気体が噴き出してきたのだ。
 際限のない、ものすごい量である。
 ついに耐え切れず、受講室のそこかしこから悲鳴があがる。
「きゃーーっっ!!」「やだ、きったな〜い!」
 白い噴霧は見る見るうちステージ上に充満していく。最前列にいた学生らは、人の口から出たものを吸い込みたくないといった風に、後ろの列へと退いた。

 さらに、見よ。
 ステージを満たしたエクトプラズムのような濃霧の中、ついに、ついに人影が、実験台となっている千早青年の離脱体が浮かび上がった。はじめはぼーーっとかすんだ姿であったが、次第にくっきりとした輪郭をとり、ホログラムのように本物だか映像だか判別できないほど実体的な存在感を獲得していくではないか。

 学生たちはどよめいた。
「うわわっっ!! 出たっっ!!」
 やがて像は生きた人間と見分けのつかない質感を備える密度となった。まるで、命をもった者がそこに存在するかのように。

 邑楽(おうら)は、歓喜というよりむしろ安堵の表情で聴講室の一同を見回した。
「諸君。実験は成功だ。ここに、千早くんの離脱体(ドッペルゲンガー)が生成された」
 聴講室を学生らの盛大な拍手と歓声の嵐が席巻した。
 全員が離脱体現象が人体にもたらす作用によりぞーーっとしたものを背筋に感じながらも熱い思いにとらわれていた。
 いまや自分たちは科学的常識とされたものを覆す歴史的実験の目撃者となったのだ。

 熱狂がいくぶん静まると、聴講生の関心は離脱体と現物の千早との差異を見分けることに注がれた。
「先生。あれ、ほんとうに千早くんの離脱体ですか?」
「なんだか生きてるほうの千早くんとは別人みたいに人相が……」
「そうそう、すごい険悪」
「何するかわからない感じ……怖い……」
「レイプされそう」
「オカマ掘られそう」
「キャハハハ!」
 実際、二人の千早はまるで、お坊ちゃんと兇悪犯とが距離をおいて並んだようだった。
 邑楽(おうら)は説明する。
「離脱体として諸要素に転写された姿が元となった人格とは似ても似つかないという場合がときおり見られる。なぜなら離脱体は嘘をつけない存在で、理性による道徳的な締め付けを免れているからだ」

「つまり穏やかに見えたのは本音を包み隠していただけ。その離脱体が険悪な形相なのは、隠されていた本性がむき出しとなり発現したからと考えればいい」

 女子学生の一人が震えながら問いかけた。
「それじゃ……そっちの姿こそ千早くんの本性なわけですか?」
 きゃーーっ!!
 返答の前に答えを知ったかのように、聴講席の各所から悲鳴があがる。

「そうとも言えるが、そうとも言い切れん」
 邑楽(おうら)の返事は曖昧だった。実際、答えに窮していたのだ。
 人選を間違ったかもしれない。感じのよい若者だから、離脱体もあまり怖くないものが出来ると思ったが。よりにもよって、悪魔みたいなのが出てきてしまうとは。

 邑楽(おうら)は何とかフォローを試みる。
「ヴェテランのパン職人でも時としてとんでもない出来損ないをつくってしまうという。生成された離脱体も、転写される人の気分や体調によってまったく違う様相を呈すると言ってよい。こうしたものが出来たということはまあ、本日の千早くんのコンディションがこれに準じたものなのだろう」
 受講室はようやく笑いを取り戻した。

「ともあれ。本物の千早勇人はここにいる。とても感じのいい青年じゃないか」
 邑楽(おうら)はとりなすように、千早の肩をたたいて力づけた。
「さあ、千早くん。このへんで、きみから出てきたあの悪役キャラみたいなクリーチャーを収束させたほうがいい。なんだか評判が良くないようだから」
 学生たちは緊張をほぐすように笑いさざめいた。
 なにせ彼らの眼前では、険悪な形相をした幽霊そのものの存在が周囲を睨みまわしているのだ。うっかり目を合わせでもしたら祟られそうだった。誰もが気のせいかと思ったが、千早の離脱体を見ていると説明のつかない恐怖を感じるのだ。

「さて。神の御手にご登場ねがおうか」
 邑楽(おうら)はギターケースのようなものからトレーニング器具らしきものを取り出した。実際、筋力を鍛えるブルワーカーに似ていなくもない。
「これこそ、幽霊を消滅させる奥の手だ。とりあえず電磁収束砲と名付けておこう」
 電磁収束砲。
 邑楽(おうら)とサクラメント神学校の研究施設とで提携、開発なったものである。
 完成品は世界にこれ一台しかないという代物だ。
 邑楽(おうら)は、両手で捧げ持つようにした電磁収束砲を、聖なる神器のひとつでも授けるような儀式じみた神妙な態度のうちに、千早に渡した。
 ずっしりと重量のあるものなのはわかる。

 邑楽(おうら)は十歩ほど離れたところに霊気を放ちながら立ちつくす千早の離脱体を指し示す。
「あれがきみの分身に見えるかもしれん。だが写真や動画に映った姿とおなじで、諸要素という媒体に記録された千早勇人の生体情報がつくりだす像にすぎないものだ。ようするに、きみではない。自分の分身を処分するようで抵抗はあるかもしれないが、いかなる思い入れも持ってはいけない」
 千早は苦笑しながら応じた。
「いえ、思い入れなんてありません。ぼくも怖いです」

 邑楽(おうら)から念入りに操作の仕方を教わった後、千早は電磁収束砲を自身の離脱体に向けた。
「先生。あいつが怒って反撃してきたりしませんよね?」
「霊体が人体に物理的ダメージをくらわせることは不可能だ」
 邑楽(おうら)は確信をもって請け合う。
「幽霊の常套手段として、いかにも危害をくわえるよう脅しつけるかもしれんが」

 だが。
 予期せぬことが起こった。
 千早の離脱体は突如、自発的な反応を見せた。
 収束されるのを拒絶するかのように、こちらを睨みながら歩き始めたのだ。

「どうした? 撃て!」
 千早は離脱体の自分からじっと見据えられて魅入られたようになり、引き金を引けずにいる感じだ。
 離脱体のほうは、妙に自信をもった態度で近づいてくる。
「撃つんだ!」

 電磁収束砲をかまえる千早に飛びつくようにして、背後から砲を操作し発射させようとする邑楽(おうら)。それもできないとわかると、今度は千早の手から電磁収束砲を取り上げ、自分で撃とうとする。
「貸せ!」
 手遅れだった。
 離脱体の千早は肉体の千早と合体してひとつになった。
 というより、離脱体の姿が消え、千早の形相が凶暴なものに変わったのだ。
 渡すまいとはげしく抵抗、砲を振りまわして邑楽(おうら)を殴りつける千早。
 あの青年のものとは思えない物凄い力だ。
 邑楽(おうら)は身長分は吹っ飛ばされ、床に叩きつけられた。
 聴講席で叫び声があがり、騒然となる。
 研究助手の佐々木咲と邑楽(おうら)との関係はみんなが知っていた。
 彼女はただちに駆け寄って邑楽(おうら)の身を気遣うかと思われたが、すくみ上がるように反応すると後ずさりし、生体情報転写装置の後ろに隠れてしまう。

 千早は、電磁収束砲をみんなのほうに向けた。
 身を起き上がらせ、邑楽(おうら)が叫ぶ。
「いかん! みんな、伏せろ!」
ヒョルヒョルヒョル! ズバビーーーーッッッ!!
「ぎゃお! まばゆい!」「わ〜、綺麗」
 見惚れるほどの美しい閃光に照らされ、阿鼻叫喚の様相となる大講義室。
「ぎゃーーーっっっ!!!」
 攻撃的な意図をもって放射された光の条が、呆然となり、隠れ、逃げまどう聴衆の上を無差別に横切っていく。
「うげっ!」
「当たれた!」
「あぷないよ ぼくはいいから きみにげろ」
「どけ、どけ、どけ! 邪魔だよ、デブ。ぐはっ!」

 実験では、霊体に電磁収束砲の打ち出す光エネルギーを浴びせれば消滅する。
 生きた人間に電磁収束砲を発射したらどうなるか?
 邑楽(おうら)自身が未解明だった問題への解答がいま、眼前でくりひろげられる光景の中にあった。
 大講義室の中は規模にふさわしい恐慌の場となり、学生たちは一大狂騒を呈した。
 今の神経科の入院病棟は投薬処置により静かなものだが、大昔に精神障害者を放り込んだ狂院と呼ばれる隔離施設の中もかくやと思われるカオスな様相である。
 混乱が収まったとき、多くの学生は腑抜けたように、へたり込み、突っ伏し、横たわっていた。
 やがてこの状況は一大学の構内で起こった集団ヒステリーとして報道されるのだが、離脱体実験のことは大学側から厳重に包み隠された。



 千早の姿は消えていた。彼にとり憑いた千早自身の離脱体、そして両手に抱えた電磁収束砲とともに。
 隠れていた転写装置の陰から恐るおそる出てきた佐々木咲は、床の上に悄然としてすわり込んだ邑楽(おうら)を助け起こすというより彼にすがりつくことで心を落ち着かせようと努力するかのようだ。
「先生……装置を破壊されました。それだけじゃありません」
 佐々木咲は涙ぐんでいる。
「わたし……さっきの騒ぎの間に、わたし……千早くんに脅されて……必死で抵抗したけど……あれを……力付くで、あれを奪われてしまいました……生体情報転写装置のコンバーターを」
「なんだって?」
 千早が奪っていった電磁収束砲だが、それだけでは霊体を消滅させる機能を発揮するだけだ。しかし。コンバーターをしかるべき部位に装着すれば、今度は反対の機能も備えるようになる。すなわち霊体をつくりだすことが可能なのだ。

「まいったな。電磁収束砲を持っていかれるだけで痛手なのに。電磁転写砲にも転用できる状態でとは」
「なにを、なにをする気なのかしら?」
「いいことはなしだろう。千早の奴、悪魔がとり憑いたようだった」
「ほんとうに、どうしたらいいの」
「あれと同型の装置をつくれるのはいまのところ、サクラメント神学校の研究施設だけ。しかし……俺は先方の前に信用を失った。あれは絶対に事故は起こさないと誓約したうえで取り交わした提携による産物だ。実験にしくじって悪魔のようになった学生に持っていかれました、なんてどのツラさげて言える?」
「それじゃ、千早くんの離脱体を収束させる手立てはないんですか?」
「………………」
 邑楽(おうら)は思いあぐねる様子でいたが、しばらくすると良案を見出したように指をならした。
「待てよ。試作品を姪の家に置いてある。なにせ試作だからめったに使わないようにと言って渡したほどだが、電磁収束砲には変わりない。それなり効果があるのは実証済みだし。ともあれ、いまはあれにすがる以外ない」




( 続く )




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