「顔にタヌキと書いてある」8
――アイドルは狸の化身――


                     

このイメージ画像は描画ジェネレーター「NovelAI」で制作されました。



「これからが本番と思え」
 谷はマヤに言い聞かせる素振りで、自戒の念を口にした。
 デビューして一年足らず、ミリオンセラーを成し遂げた『真実の証明』がレコード大賞を受けた直後にである。
「日本を制覇したら、次はいよいよ北米市場を狙う」
 マヤを日本でアイドルに仕立てることは谷にとって手始めに過ぎなかった。
「念願だったよ。自分の手で世界に通用する女流シンガーを育て上げるのが」
 マヤは恩人の意に追随というより、年長者の意外に子供っぽいおねだりを承認するようにうなずいてみせる。
 もとよりマヤには、歌手としての先行きなど大事なことではない。少女歌手になりきって人々を欺くのも、修練のひとつと割り切っている様子だ。谷のもとでさらに研鑽を積み、今度は世界中を騙しおおせるなら快挙ではあるが。
「しかし、国外の壁は高いぞ。とりわけ大アメリカの壁は。日本の芸能人は誰もが、イヤというほど思い知らされてる」
 今でさえマヤの歌は韓国や東南アジア、中華圏など国外でも爆受けしていたが。北米、欧州といった西洋文化圏では今ひとつふるわなかったのだ。

「真に世界で通用するには何が必要か? 日本の少女アイドルの行き方とはまるで違ってくる。ロリータ風に愛嬌を振りまきながら歌い踊ればいいってもんじゃないんだ。しおらしくて可憐、振り付け通りの動きをする等身大のマスコット。そんなものをアメリカやヨーロッパの大衆は、ちょっと風変わりだが熱狂する価値まではないアトラクションとしか見做さない」
 マヤは妖術の鍛錬で難儀なものに化けろと言われたときのように、覚悟をもって息を吸い込む。
「欧米で受けるって、難しそう」
「極意は単純きわまりない。それこそ二秒で説明できる。いいか? こうあってほしいと思う少女じゃない、こうなりたいと思わせる女であること」
「それだけ? ほんとうに?」
「簡単だろ?」
 つまり。
 男の願望に応えるばかりでなく、フェミニズムの視点からも共感できて見倣いたくなるキャラクターを生み出すという当然のことを、欧米より五十年も人権意識の遅れた日本の「アイドル業界」はやろうとしなかった。
 せいぜいが。ジャニーズ系の美男アイドルに女性ファンを熱狂させてバランスを取った気でいるのが関の山だったのだ。
「むろん、日本でアイドル崇拝教を支える層の求めから大きくかけ離れることになるが。おまえに熱狂する連中の多くは戸惑うだろう。けれどもそちらに合わせたら、永久に世界進出は不可能と思え」
 実のところ、クールジャパンが欧米ではオタク受けするばかりで、いつまでたっても標準となり得ない最大の理由でもある。

 いわゆる「出羽守」と思われたくないのか、谷は自論にフォローの言葉を加えるのを忘れなかったが。
「俺はアジアの男の女性観が悪いとか正すべきと言うわけじゃない。本物のフェミニストだったら、こんな仕事をしてないし。日本で絶大な人気のアイドルが欧米圏で受けないのはなぜか指摘したまでさ」
「それだけわかっているのに、なぜ谷プロでは、世界に通用するシンガーを出さなかったんですか?」
 当然の疑問だが、谷はわかりきったことのように答えを返す。
「おまえがいなかったからじゃないか」
「谷さんは、少女歌手グループの育成も手がけてましたよね。あの娘(こ)たちではダメなの?」
 マヤが谷の前に現われたのはそもそも、そのメンバー募集のオーディションの場ではなかったか。
「ようは、金銭勘定だ。商売を成り立たせるには売れるものを出さなきゃならん。この国の顧客のニーズに合わせた取り揃えをしたまでさ」
 谷は、他にやりたいことがあるのに意に沿わぬ用事をまかされた者のような吐息をもらす。
「あの子らはアジア市場限定の商品。日本アニメとおなじで、ほかじゃ大きく伸びない。そう割り切っての人選をした。愛らしく、そのうえ愛らしく、しかもあくまで愛らしく……とにかく日本はじめアジアの男たちから受けそうなのばかり。だが、おまえは違う。45(フォーティ・ファイヴ)からはみ出した」
 45(フォーティ・ファイヴ)とは「幕の内45」。谷プロがマネージする少女歌手軍団だ。
 これの命名自体に谷の思惑があらわれている。
「Jポップの少女歌手軍団なんて、幕の内弁当みたいなものだな。一品ずつなら魅力の小さいオカズだが、寄せ合うように綺麗に盛り付ければ御馳走と見まがうほどの魅力を発揮する」



この挿絵は描画メーカー「NovelAI」で制作されました。



「もとから日本のアイドル集団は個の魅力なるものを殺がれている。タレントは個性が命とされた頃。まるで美容整形医院の看護婦みたいに目鼻立ちの整った娘たちを揃えて歌唱グループに仕立てた奴がいた。馬鹿の極みと言っていいが、実情に即する案を臆面もなく打ち出して成功させた天才でもあったんだ。現に、みんながそいつのやり方に倣ってる。たしかに日本のように薄い個性のタレントが群れ合ってドングリの背比べやってる風土じゃ、そんな集団戦法こそいちばんだろう。何といっても、男たちの望みが具現されたものだった。しかしだ……」
 谷は吐息するのも飽きたように、唇をグッと結んでみせた。
「日本の芸能界はその時から、あんまり進んでいない」

 日本の芸能界は、タレントを個別に引き立てるのをやめ、各々の魅力を属すチームに吸収させチームを輝かせるやり方に移行したのだ。
 つまり欧米先進国の群れと歩調を合わせるのをやめた、というより付いていけなくなった。
 それが今日まで変わらぬ、大まかな状況と言っていい。
 谷はなんとかして、淀みにはまって動けなくなったかのような日本の芸能界に活力ある流れをもたらしたかったのだ。




( 続く )




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